男は何歳になっても夢を追うべきか


壮大であって、手に負えない処もあるのですが、
『男は何歳になっても夢を追うべきか』というテーマについて私なりに考えます。

と云いますのも、私なぞ三十路手前にし、未婚であり、且つ貯金無く、行末にしても、安月給のままに碌々出世もしない立場、
斯様な男に「世間」は御多分もれず、「いい加減に落ち着いたら?」と放つのです。
(具体、「世間」には、親や家族、恋人などがあげられます。)

話を進める前に、本稿で使われる「夢」を、実現の約束されていない願望と定めておきます。
「小さな目標ではなく、大きな『夢』」と言えば、何となく分かって頂けるだろうと託します。


男は何歳になっても夢を追うべきか


明確にその解(或いは態度)を私は持ちます。
それを断言的に申せば、どうにも独善的、或いは批難の免れない恰好となるのでさし控えますが、
先ずに、このようなテーマを問うこと自体、恥ずべきことであるというのは、“私のために”述べておかねばなりません。
かく問いに、“立ち止まり、悩むこと”など、私には愚にもつかないことです。

が、人には、人それぞれの生き方があります。
絶対などあるはずもなく、故に、「かくある“べき”」ということは、それこそ“絶対”に行なってはならない、無礼にもあたることでしょう。

以上のことを踏まえれば、「男と夢」についての「ケース/事例/場合」を述べることのみが私には許されます。

“追うべきか否か”は申し上げられない、
「男と夢」、両者の関係性として、どういったものがあるのか、それをただ連ねるに留まります。

まず、大きく分けて2つ。

  • 男は、夢があるならその夢を“死ぬまで”追うべきだ
  • 男は、夢があっても“場合によって”は諦めるべきだ

では、この2つをそれぞれ探っていきます。


男は、夢があるならその夢を“死ぬまで”追うべきだ


言葉の通りです。
夢があるなら、叶う見込み薄くとも追い続けろということです。実にシンプルで、『完結』的な態度です。

では、「夢がない場合」はどうか。

[A] 男は、夢がないなら見つけて追うべきだ
[B] 男は、夢があるなら追うべきだが、ないならなくてもよい
[C] 男は、夢など必要ない

[A]は、常に「夢」を持ち続けるということです。
[A]を選んだ場合、ここで『完結』します。

[B]は、見つからないならばそれでよい。あるならば、[A]のような態度でもよい。夢に対し、気軽に、臨機応変に身構えています。
これはこれでひとつの態度であって、ここで『完結』です。

[C]は、「夢」自体を無価値とします。
「夢など必要ない」という一言で、『完結』です。


男は、夢があっても“場合によって”は諦めるべきだ


場合によっては諦めたほうがよい。
実現することに至上の価値があって、追うことに腰を置いてはならならい。

「夢を諦めた/諦める場合」には、先ほど述べた[A][B][C]と、そして[D]という新たな選択肢があります。

[A] 男は、夢がないならば(なくなったならば)見つけて追うべきだ
[B] 男は、夢があるなら追うべきだが、ないならなくてもよい
[C] 男は、夢など必要ない
[D] 男は、夢があるならその夢を期限付きで追うべきだ

[A]の場合は、言い換えれば、男は、“その夢”を諦めても(諦めても良く)、“また別の夢”を追うべきということです。「夢」の形や内容は変わりますが、常に「夢」を持ち続けるということであり、「夢」という器だけは保持し、中身を変えるというやり方です。

[B][C]については前述した通りです。

[D]の場合、2つに分かれます。

  1. “その夢”を期限付きで追い、期限を終えれば諦める → [B][C]
  2. “その夢”を期限付きで追い、期限を終えれば“また別の夢”を見つけて追う → [A]
つまり、“期限付き”で夢を追う場合も、結局の所、[A][B][C]のいずれかを選ぶことになります。

期限をつけて取り組むことは有効的なことかもしれませんが、肝心なのは、その“期限後”です。
それこそが『男は何歳になっても夢を追うべきか』について問うべきポイントであり、期限をつけ、夢が叶っても叶わなくても、最終的に辿り着く処は、[A][B][C]のいずれかです。


まとめ


『男は何歳になっても夢を追うべきか』。

私は次の4点で、『完結』という言葉を使いました。

  •  男は、夢があるならその夢を“死ぬまで”追うべきだ
  •  男は、夢がないなら(なくなったならば)見つけて追うべきだ
  •  男は、夢があるなら追うべきだが、ないならなくてもよい
  •  男は、夢など必要ない

「男と夢」について考える際、このどれかであれば、迷うこと無く、『完結』的な態度をとることができるということです。
このいずれかの態度であれば、迷うことはありません。
逆に、このどれでもない場合に「夢」について迷ってしまうということです。

冒頭で述べたように、“人それぞれ”であって、“どうあるべきか”の絶対は存在しません。
『ケース/事例/場合』を挙げることに終始した、私の一意見です。

* * * *

最後に・・・私の個人的な思いを・・・。

「世間」の声に対してブレない態度を示すこと。
それは斯様な説明によって得るものではありませんが、「男と夢」という関係性に、現代においては『覚悟』という言葉は使われず、このような文面上の『足掻き』だけが存在しています。

「我々は明日、死ぬだろう」、そんな格言で鷹揚に構えられるものでもありません。

しかしながら、“死んじゃうよ?”、”後悔するよ”といった自分や世間の囁きに、男の航海は座礁してよいものか。
常識や一般論といった「途中」の詰まらない処が男の死に場所であってよいのか。

私は思います。考えます。

誕生とは、死ぬと分かって進みだした船。
男の夢、男の目指すものは、この船が最期に辿り着く場所。
唯一の指標である、“目的”の「死」に向かって、
その道程を照らすべく「夢」はあって、
突き進む生涯のことを「男の仕事」と呼ぶのではないか。