「年間で××冊読む」、そんな読書目標への違和感


「年間100冊読むことを目標にする」、或いは「年間で100冊本を読んだ」などという発言をよく耳にするけど、
違和感があって、「あれ?読書って“冊数”だったっけ?」と……。

“冊数”を目標としたり、「年間100冊読んだよ」ということを、得意気に(或いは向上心たっぷりに)話しているのを聞くと、「どうも私の読書とは異なるようだ」と思ってしまう。

そもそも、「ちゃんと読んでるの?それでちゃんと読めるの?」と思ってしまうのだ。

「年間100冊」って、目次だけで内容の8割が分かってしまうような、読みやすいビジネス書や新書ばかりで、
例えば哲学の古典や、難解な文学長編小説は、その「年間100冊」の中にどれだけの割合で含まれているのか。

「もしやすぐに読める本ばかり読んでいるんじゃないか」、といった意地の悪い見方をされてしまう可能性があるので、
ライフハック系の文を書いている人の、「年間で○○冊読む(読んだ)」といった発言は自らの首をしめることになりはしないか…。

「冊数を増やさなければ、良書と出会えない」という論もわかるが、
では100冊読めば良書と出会えるのか?そもそも良書って何だ?というか、読書って何だ?
と突き詰めていくと、「冊数なんてあまり意味のないことだな」と思われる。

良書を繰り返し読むことだって、意味のある読書だし、
一週間かけて、じっくり一冊と向かい合うような読み方も読書だ。

「冊数を念頭に置く、読書の中心に据える」「冊数という概念を読書に持ち込む」というのは、狭い読書の考え方ではないだろうか。