『ゲルマニウムの夜』『皆月』:花村萬月



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『ゲルマニウムの夜』


花村萬月さんの『ゲルマニウムの夜』は以前に読んだことがありました。

第119回芥川賞受賞作です。


『ゲルマニウムの夜』
花村萬月



ソース味の非常に濃い小説でした。

”反復と快楽”について述べられている箇所が今も強く印象に残っています。


以下、本文より抜粋。


祈りとは反復に意味があるということを僕はいきなり理解した。

いまおこなわれている性行為と同様に反復が祈祷の快感をもたらすのだ。

すべての快感の本質は反復にある。

その事実において祈りと性行為がイコールで結ばれることを理解した。

僕は宗教の真の快楽を知りつつあった。自我なき反復。これが最上のものだ。

(花村萬月『ゲルマニウムの夜』より)


祈りの反復(同じ言葉を同じリズムで唱える)ことと、

性行為の反復はイコールではないか。

それは自我なき反復、快楽の本質であり至上ではないか。


果敢な真理探究の姿勢と、思わず唸ってしまうような力強い文章。

清濁を“ぶちこんだ”ような、「混沌」とした物語を読み終えた後、しばし放心状態でした。


『皆月』


そして今回、『皆月』を読みました。

第19回吉川英治文学新人賞受賞作です。


『皆月』
花村萬月



『ゲルマニウムの夜』にはなかった、

爽やかな、青春小説のような一面がありました。


主要三人物となる、

「オタク・ソープ嬢・ヤクザ(正確にはやくざ者の義弟)」がいるのですが、

読後もその三人が頭の中で“生きている”のです。

“生きている”というのは、その人の未来を想像できるということです。

読後、彼らの未来をついつい想像してしまうのです。





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“爽やかな”と先ほど述べましたが、

個人的にそのピークは、

オタクがソープ嬢に「麦藁帽子」を買ってあげるシーンでした。

思わず彼女は、「…幸せすぎるよ」と落涙するのですが、

この場面で感動した方は多いのではないかと思います。


以前から思っていたのですが、

「麦藁帽子」というのは、

つくづく「純潔」や「神聖」を象徴するアイテムだなぁと思います。

同時に、夏の匂いや若さまでも連想させる、恰好の青春アイテムです。





といっても、

そのような青春小説では終わりません。

本作にも、哲学的な、清潔なエロティシズムは語られています。


人間の性は、性欲を発散するためでもなく、子孫を残すためのものでもない。

性の根本にあるのは、孤独だ。

この世界にたった独りでいることに対する不安だ。

だから、他人を求めるのだ。

(花村萬月『皆月』より)


「男である」「女である」ということは、

「孤独である」ということを意味してはいないか。


『皆月』は爽やかな青春小説にとどまらず、

エロティシズムを通して語られる、深い「アダルト」の哲学が込められています。


また、阿刀田高さんが本書末の解説でも述べられていますが、

『皆月』という言葉には、

女性解放運動である平塚らいてうさんの詩への呼応があるように思います。



元始、女性は実に太陽であつた。

真正の人であつた。

今、女性は月である。

他に依つて生き、他の光によつて輝く、

病人のやうな蒼白い顔の月である。

(平塚らいてう『原始、女性は太陽であった』)


“皆月”、男も女も結局は『月』なのかもしれない。

性の根本にあるのが、“孤独”であるならば。


オッサンの前歯を折り、結果、半殺しにされてしまうゲイが本作にはでてきます。

「男でも女でもある」、また、「男にも女にもなれない」ゲイは、特に『月』のイメージで描かれていたように思います。

「両性別とも月である」という意味がそこに込められているのではないかと思いました。


“性の根本にあるのは孤独である”

そんな「性別による孤独」に追い詰められた結果、

「他人を求める」という形もあれば、「ゲイやホモ」という形も存在しています。



皆、月である。

しかしながら、物語を読み終えて感じることは、

同時に皆、『太陽』ではないかと。


他者を求めることによって、「月が太陽に変わる」、

そんな物語であると私は感じました。