男の定義


「男の定義」といいますか、「男とは何か?」について、
私は、私なりの解をもっています。

『男とはまさに“精子的”な存在であり、“生産性”ある死を迎えることが男の本懐である』

これが私の「男の定義」です。
これが「男」です。


言わずもがな、男は「死んでいく生き物」です。
その中で、「いかに死ぬか」が、今現在も問われています。
「いかに死ぬか」が男の最高命題であり、
「何かを残して死ぬ」ということが、男の最大目的、本願です。

それは精子のような一生涯であります。


では、“生産性”とは何か、以下の二点があげられます。


  • 家庭を築くこと
  • 文化を残すこと


これらを成し得たならば、男は“生産性”ある死を迎えることができます。


【家庭を築くこと】


子を作り、育て、次代を築くことです。

やり遂げたという、幸福な顔で男は死ぬことができます。

これに関しては、別段の説明は要らないでしょう。


【文化を残すこと】


「文化」とは何か。

これは非常に広いのですが、芸術は勿論、科学や、次代に残る会社を築ことや、
宗教や、スポーツ、 「愛について論じる」といった、学習による伝習など、
そういったことです。

「社会や世界に残る所産」のことです。


では、文化に貢献するためにはどうすればよいか。

「作品化」です。


これに関しては、私の敬愛する芥川の言葉を引用させていただきます。

“芸術家は何よりも作品の完成を期せねばならぬ。
さもなければ、芸術に奉仕する事が無意味になつてしまふだらう。”

(芥川龍之介『芸術その他』)


頭の中で考えているだとか、
「俺には個性があって、俺には思想があって…、俺はオリジナルだ」って、
それは当然なのですが、
それでは、文化に関与することができません。

その思いを、具体的に「作品化」せねばなりません。


「作品化」というのは、他者に提供できる形にすることです。

自分の思想を、具体にし、まとめ、ラッピングし、「公共性」をもたせることです。


例をあげると、

毎日日記を書いているなら、それを一冊の本にまとめる、
野球観戦が好きなら、それを評論としてまとめる、
絵を描くのが好きなら、それを商品化させる、
料理を作るのが好きなら、レシピとして残す、

…このようにして、他者に提供できるような形にします。


繰り返しますが、
「頭の中で考えているだけ」や、
思想が散在しているような状態に留まるのではなく、
まとめて、しっかりラッピングし、作品化せねば、無意味に終わるといってよいでしょう。


尚、それが実際に社会でシェアされるかどうかは、第一に考えるべきことではありません。

目下、優先すべきは、一先ずの「作品化」であります。


たとひ自身の作品が「文化」として残らずとも、
果敢に挑戦した結果の死に様は、特攻死のごとく華々しく、
必ずや誰かが見ており、その誰かが、その生き様を文化として受け継ぐのではないかと思います。


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「男の定義」について、まとめます。


『男とはまさに“精子的”な存在であり、
“いかに生きるか”ではなく、
“いかに死ぬべきか”という意識のもと、
“生産性”ある死を迎えることが男の本懐である。
生産性とは、【家庭】と【文化】を築くことである』


以上で締めたいのですが、

最後に少々余談を…。

「男の定義」などと申せば、
「人間に絶対的な『定義』など存在しないんだよ」と返す方がいます。
(それは「常識なんてない」といった論調に似ています)

それは重々わかっておるのですが、
少し弁解をさせていただくと、以下の様な魂胆が私にはあります。

「『人間』とは何か、わかりません。定義づけることはできません。
が、『性(別)』であるならば定義することが可能ではないか」。

幾らか汲み取っていただければ幸いであります。


尚、「女」はどうであるかといった意見に関しては、思うところはありますが、
私は男であり、
「男は唯、男についてのみ語りうる」と、そのように考えております。