福森亮太作品集『生』について


福森亮太 作品集 『生』


福森亮太 作品集 『生』というiPhone・iPadアプリを2011年にリリースした。

スマートフォンが“スマホ”と略して呼ばれ、普及し始めた頃だ。

リリース後、約二年が経過した今、この作品アプリに対する思いを、初めてここに綴ってみる。


福森亮太 作品集 『生』(iPhone/iPadアプリ)



福森亮太 作品集 『生』
(アプリプレビュー)

『生』という文字を百枚書き、その画像を収めた作品集である。

それは『生』と読めないほど崩れた、抽象的な書体であり、

それを色を使って描くことで、見る人にとってますます“わけのわからない”ものとなった。

実際、「なにこれ?意味不明なんだけど…」と、多く方に言われた。


伸びないダウンロード数


さて、ここからが本題であるが、

この「福森亮太作品集『生』」だが、

ご察しの通り、恥ずかしくなるほど、ダウンロード数が少ない

というか、「ほとんどダウンロードされていない」といってよい。

赤面である。

当然、利益なんざ、ほぼ無い。


尚、これは私が単独で制作したわけではない。

とある方(K氏)のご尽力あって出来あがったものだ。

いや、K氏がいなければこのようなものは作れなかったし、

又、作ろうとすら思わなかった。

大変に感謝しており、氏には生涯頭が上がらない。

それだけに、時間をさいて制作してくれただけに、
この情けないダウンロード数に関して、
K氏には今も申し訳ない気持でいっぱいである。


「ダウンロードされていない」理由としては、

  • 魅力的だと思わない
  • 販売価格が「450円」って、誰が買うんだよ
  • てか、福森亮太って誰か知らないし
  • 芸術として価値が低い

…などなど、枚挙に暇がない。


今現在も、このアプリに収められた『生』のようなものを描き続けていたならば、
少しは現状も変わっていたかもしれないが、
私はそこからズレて、色々と違うものを描くようになってしまった。

そういったことも要因としてある。


或いは、そもそも芸術の地力が私にはないのかもしれない。

アプリのダウンロード数の少なさからして、

日頃私の書く、偉そうな押しの強い文章なんざ、所詮は大言壮語である。

「口だけの偉そうなやつ」「実力も実績もないやつ」であり、

つまりは、自意識過剰な“勘違い野郎”なのかもしれない。


死ぬまで待つ、死ぬまで待てる、そんな『期待』のもてるアプリ


では、この「福森亮太作品集『生』」について、私自身がどう思っているか。

『失敗』だと思っているか?

答えは「NO」。「いいえ」である。

『成功』だと信じてやまない。

いや、正直にいうと、

「あぁ、失敗したんだな…」と思うこともある。

「結局、私はいいものが描けなかったんだ」と、残念に思うこともある。


が、日を追うごとに、私はこの作品集アプリを作ってよかったと思うようになった。


実際、私は今現在も、「間違いなく良い作品だ」と思っているし、

「誰もやったことがない、誰もがみたことのない作品だ」と確信している。


「450円でダウンロードしたけど、価格に見合ってない、買わなきゃよかった…」と言われても、

それは申し訳なく思うが、一方で、仕方ないとも思う。

私は、私の中にある信念だけで描いた。

それが他者とも共有できる信念であるとは限らない。

しかし、あなたの信念と、私が作品に込めた信念に、微弱な摩擦が起きて、

「なんらかの化学反応があなたにあってほしい」と、強く望んでいる。

が、こればかりは、私にはどうすることもできない。

「待つ」しかない。


待つ。待つということ。

いや、待つような、待てるような、そういう作品集であるということ。


今現在も、「福森亮太作品集『生』」はitunesでダウンロード可能であり、

ほとんどダウンロードされていないにもかかわらず、依然リリース中である。

この先、この作品集アプリのダウンロード数がどうなるかはわからない。

しかし、この、「今もある、これからもある」ということに、私は希望的観測をもっている。

そこには、どうなるかはわからないという「未来」がある。

そして、そんな未来が訪れるのを、私は「待てる」。「待っていられる」。「待つことができる」。

これをつまり、『期“待”』と言う。


そしてその期待値が、450円という価格に込められている。

この価格は、私と制作者であるK氏が相談して決めた、「未来への期待値」であった。

450円で買ってもらうことで、見ることのできる「未来」が、私たちにはあった。
450円で買ってもらうことで、得ることのできる「期待」が、私たちにはあった。

いやそもそも、その時点ですでに、その瞬間にこそ、何よりの「未来」と「期待」が存在していたのかもしれない。

そのような、夢見がちな制作サイドが抱いた、私たちの「期待」と「未来」、

その熱量が、そのまま同じように、買い手にも届くんじゃないか、

私たちがみた「期待」と「未来」と同じものを届けられるんじゃないか、

450円という両者にかかる橋を渡って。

そう思って、このアプリは450円という価格をもち、今も現存している。


福森亮太作品集『生』。

それは何かと問われれば、

「死ぬまで待つ、死ぬまで待てる、そんな『期待』のもてるアプリだ」と私は言う。

それがあなたにとってもそうであるかは、あなたにしかわからないが、私は構わない。

死んじまったら終わりだが、生きている間、つまり、私は死ぬまで待つ。待てる。待つことができるものだ。



福森亮太 作品集『生』