TuneIn Radio:J-POP・クラシックラジオ局一覧

https://play.google.com/store/apps/details?id=tunein.player&hl=ja

TuneIn Radio、便利だよね。

パソコンやスマホで、世界中のラジオが聴けるサイト。

作業用BGMとしても、いいよね。

今日は、

  1. J-POPが流れるラジオ
  2. クラシックが流れるラジオ

このふたつを紹介するよ。



TuneIn Radio


TuneIn Radio


TuneIn: Listen to Online Radio, Music and Talk Stations

TuneIn は、世界中の音楽、スポーツ、ニュースなどが聴ける新しいサービスです。TuneIn は、 7万 を超えるラジオ局、そして200万を超えるオンデマンド番組を提供しています。NHKや各地のコミュニティFM、オッターヴァ(クラシック)や人気のポッ ドキャストなどに「チューンイン」してお楽しみください。

スマホ/iPhoneアプリ




TuneInのアカウントをとっておくと、

気に入ったラジオ局を、「お気に入り」にいれて、保存しておくことができるよ。

アプリもあるし、スマホとも同期できるよ。もちろんスマホでも聴ける。

じゃあ実際、ボクが「TuneIn」にいれて聴いているラジオ局をのせておくよ。

なにかの参考になったらいいよ。


J-POPが流れるラジオ


J-POPがほぼエンドレスで流れる。

以下、ぜんぶTunInのサイト。




あ、最後のAnimeNfo Radioはアニメ関係かな…。


クラシックが流れるラジオ


読書のときとか、けっこう集中できる。




・・・ちょっと数が少なくてごめん。

このなかではオッターヴァが、いちばん有名。

じゃあそんな感じで、以上、@ryotaismでした。


こちらの記事もどうぞ♪



明日死ぬかもしれない可能性はどれくらいか?

花畑

よくいうよね…。

「人間、明日死ぬかもしれない」
「いつ死ぬかわからない」

って。

じっさい、ボクたちはそういった場面をみてきた。みてきたはずだ。

とつぜん、一瞬にして、多くの人が亡くなる。

本当は、いつ死んでもおかしくない。

だからこそ、毎日を必死に生きようと思える。


でも、ついついそのことを忘れちゃうよね?ボクはそうだよ。

これって、仕方ないんだよね。

「明日死ぬかもしれない」って言われても、「今日まで生きてきた経験」があるからね。

今日まで普通に生きてこれたから、明日死ぬ可能性も低いだろうって、考えてしまう。

「明日死ぬかもしれない」って言われても、ピンとこないんだよね…。

でもね、ちょっとこのへんをしっかり考えたいんだ。

よかったら続き、読んでみてよ。

がんばって書くからさ。



確率のお話



コインを100回投げてさ、

100回ともコインの『表(オモテ)』がでたとするじゃん?

じゃあ、101回目はなにがでると思う?


『表』でしょ! だって100回とも『表』だったんだから!」


うん、そうだよね。ふつう、そう思うよね。

でもね、確率の話でいったら、

101回目に『表』がでる確率と『裏』がでる確率は、同じなんだ。

どっちも同じ50%の確率。

それまで100回とも『表』がでてたのは、たまたまで。

101回目に『裏』がでる確率も、同じ50%なんだ。


「そんなことありえない!」って思うよね。

でもね、合理的に考えると、数学の世界では、そうなるんだ。

100回とも『表』がでても、101回目に『裏』がでる確率は同じ。


卵を壁にぶつけて、ニワトリがでてくる確率


卵とひよこ

なんとなーく、ここまで言ってること、わかってもらえたと思う。

じゃあ、ここからもっと、極端な例え話をいうよ。

卵を壁にむかって投げるじゃん?さぁ、どうなる?

「割れるに決まってんでしょ!割れて、どろ~ってなるよ!」

うん。

じゃ、聞くけど、なんでそう思う?

「いや、常識的に考えてそうだって!」

そうだね。

それは、これまでの『経験』からいって、そうだよね。

これはさっきのコインの例でいうと、

「100回とも『表』がでたから、101回目も『表』がでる」

という考え方なんだよね。

でも、ボクはこう言うんだよ。

「壁に向かって卵をなげて、ニワトリがでてくる可能性ってゼロじゃないよね?」って。


「そんなわけねーだろ!フクモリ、ついにお前は頭がおかしくなったのか!」


…ああ、ごめん!そだよね、ありえないよね。

でもさ、

そんな経験をしたことがないから、「そんなことはありえない」って思うんだね。

でもね、「ニワトリがでる可能性」は「ゼロ」ではないんだ。

かぎりなくゼロに近いけれど、「ぜったいにない」とは言い切れない。

ひょっとしたら、ニワトリがでてくるかもしれない。

「そんなわけない!」って、ぜったいに言い切れないんだね。

合理的に、数学で考えると。


明日死ぬ確率


たんぽぽ

ああ、でもごめん。

正直に言うよ。

「壁に卵を投げつけて、ニワトリがでてくる」って?

そんなわけねーだろ!って、ボクは思ってるよ。ぶっちゃけ。

だって、そんな確率、ほぼゼロだよ。ほぼ、ありえない。

科学的に考えても、ほぼ絶対にない。

たとえその可能性があるとしても、「確率、低すぎ!」って話。


ところでさ、

じゃあさ、ちょっと比べてみようか。

「壁に卵を投げつけて、ニワトリがでてくる確率」と「明日、死ぬ確率」、

どっちが高い?


「明日、死ぬ確率」のほうが高いよね。


「明日死ぬ確率」っていうのは、とても低いようにみえて、実は、『世の中にある色んな確率』と比較すると、けっこう高いほうなんだ。


いろんな確率、あるよね?

1億円の宝くじを当てる確率。
総理大臣になれる確率。

そういう、いろんな確率が世の中にはあるけど、

そのなかでも、「明日死ぬ確率」はけっこう高いほうなんだ。
ランキングでいうとね。

ボクはそう思ってる。

他と比較すると、実は意外と、「明日死ぬ確率」って高いよね?って。

卵をなげてニワトリでる確率よりも、ぜったいに高いよね…。

このへん、ちょっと忘れちゃうんだよね。

「明日死ぬわけねーだろ!」って、

いや、でもそんなことないよなぁ…って。他の確率と比べると。


で、あとさ、

ここまで言ってきた「死ぬ確率」っていうのは、『自分』の話なんだけど、

『大切な人』が死ぬ確率も、これと同じってこと。

自分が死ぬ確率と、大切な人が死ぬ確率は、同じなんだ。

ありえないようにみえて、けっこうあるってこと。

同じなんだよ、ワタシが死ぬ確率と、大切な人が死ぬ確率は。数学で、厳密に考えると。


・・・これ以上は書かない。

ボクが書くと気持ち悪くなるからね(笑)


***


ということでね、

これまでの経験から、ついついこれからを安易に予想しちゃう、

それは仕方ないけど、たまには数学で考えて、行動してみるのもいいかなって。

あ、ここまで読んでくれてありがとうね。

ボクが書く最期の文章かもしれないし、キミが読む最期の文章になるかもしれないし、

また会えることを願ってるよ。じゃあまたね。


生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

ファン心理とは何か?ライブに人が来ない本当の理由



おい、どした?

「『ファン心理』ってなんやねん(´・ω・`)?」

じゃ、今から書くよ。

批判とか、するんじゃないよ!ぜったいだよ!


「ファンになる」とはどういうことか?



じゃ、そうだな~。

いろんなファンがいるけど、

今日はわかりやすく、「ミュージシャンの『ファン』」に設定するよ。


じゃ、いきなり結論いうよ。

『そのミュージシャンの音源をきっかけに、
そのミュージシャン自身を好きになること』


これが、「ファンになる」ということだよ。


じゃあ、そのことを順番に書いていくね。

最初はね、

そのミュージシャンの歌が好きなんだよ。

「あ、いい歌うたってるなー」って。

それが、最初のきっかけなんだね。うん。

で、そこから、

その歌をうたっている人に、だんだんと興味を持ち始めるんだね。

「この人、どういう人なんだろう??」って、気になり始める。

その人の考え方とか、パフォーマンスとか、言動、キャラクター、ファッションとか、

そういうのに目がいくようになるんだね。

で、「歌」だけじゃなく、「そのミュージシャン自身」を好きになっていく。

「この人の考え方が好きだー!」「ファッションかっこいい!」

とかね。

この状態になったら、つまり、

歌をきっかけに、その「ミュージシャン自身」が好きになったら、


これが、「ファンになる」「ファンになった」っていうこと、
なんだね。


つまり、「ミュージシャンがファンを増やす」っていうことは、


  1. まず、魅力的な「音源」をつくって、見つけてもらう
  2. そして最終的に、「自分自身」に興味をもってもらう


ってことだね。

まず「音源」⇒さいご「自分自身」に興味をもってもらう

まぁ、「自分自身」⇒「音源」という逆パターンもあるよ。あんまりないけど。


ボクがいちばん言いたいのはさ、

「音源」だけじゃなく、「自分自身」にも興味をもってもらって、

そこではじめて、「ファンがひとり増えた」ってことね。

「魅力的な音源」を作ってても、

「その人自身」に魅力がなかったら、だれもファンにはなってくれないよ。

それは「歌に興味がある」っていう、その程度で終わってしまうんだ。

恋愛でいうと、「いい人どまり」ってやつ。

「ファンが多いんだー」って、キミは言うけどさ、

それはファンではなく、キミの歌に「興味がある」っていう、その程度で、

恋愛に発展しない、「いい人どまり」に思われているだけ。それはファンではないんだ。


ちなみに、

「いい歌を作る」=「自分自身の魅力」に繋がる、これはちょっと違うよ。

「ファンではないけれど、まぁまぁ歌が好きでなんとなく聴いているアーティスト」、いるでしょ?iPodみてみなよ。いるでしょ。

これは、「歌は魅力的なんだけど、その人自身に自分はあまり魅力を感じていない」、そういうアーティストなんだね。

「いい歌」を作っていても、その人のファンにはなれないのは、「その人自身」に魅力が足りないからだね。

「いい歌」と「その人自身の魅力」は、ちょっと別物なんだ。

「その人自身の魅力」っていうのは、

ファッションとか、MCとか、パフォーマンスとか、

対話力とか、目つき・表情とか、熱い生き様とか、

一貫した歌をうたうことで、歌から遊離した思想とか、

「音楽表現から離れたところ」に、その人自身の魅力がある。これ、身につけなきゃね、うん。


「ライブに行く」のはファンだけ



この前さ、ボク、ネットラジオやってるんだけど、

「どうやったらライブに人がいくんだろう?」っていう話をしてて。

あ、これね↓

第八回「渋谷屋根裏の営業終了にともなって」
http://youtu.be/PYok2dswAU4

このあと、ちょっと考えてみたんだ。

当たり前のことだけど、

「ライブに足を運ぶ人」は「ファン」だけ。

ファン以外、つまり、「ちょっと興味がある程度」だとわざわざライブには行かないよ、ってこと。



そうだな、いっぺん、客側の立場で考えよっか。

「ファンがライブに行く」って、どういうことだと思う?


「は? そんなもん、『その人の歌を聴きに行く』ってことに決まってんでしょうが!」


うん、そうだね。ごめんごめん。

たしかにキミは魅力的な音楽を作っているね。

でも、キミのライブには人が来ない。

それは、先ほどのことをいうと、

「キミの歌には興味があるけど、キミ自身には興味がない」
ってことなんだ。

ライブに行くのは「キミ自身に興味がある」ファンだけ。

「いい人どまり」では、ライブには来てくれない。


ライブに行くファン心理



「ファンがライブに行く」

そんときの「ファン心理」ってどういうものか?

それはね、その人の「歌を聴きに行く」というより、

その人に「会いに行く」という感覚なんだ。



つっこんでいうとね、

「歌を聴きに行く」という理由だけではライブには行かない。


その程度だと、「めんどくさい」という気持ちのほうが強いんだ。


「ファンがライブに行く」っていうのはね、

「歌を聴きに行く」んじゃなく、「ミュージシャンに会いに行く」ということ。その感覚。

ライブに行くのは、「聴く」じゃなくて、「会う」。これがファン心理。

ミュージシャン側でいうと、

ライブは、「聴いてもらう」じゃなくて、「会ってもらう」ってこと。

じゃあ、「会ってもらう」にはどうするか?

魅力的な音楽だけじゃなく、

自分自身が魅力的じゃないと、会ってもらえないよね?
会いに来てくれないよね?

そのミュージシャンが魅力的だと、「会いに行こう」「会いたい」って思う。

で、ライブに行く。ライブに来てくれる。


復習だけど、ライブに来るのは「ファンだけ」。

「ファン」とは、

『音源だけじゃなく、ミュージシャン自身に興味がある人』のこと、

そして、その人自身に興味があるから、『会いたくなる』、

で、ライブに行く。

歌に興味をもってもらっている、それだけだとライブには来てくれない。

自分がつくる「音源の魅力」、そして「自分自身の魅力」、

ふたつの魅力がミュージシャンには必要、ライブの動員には必要。


・・・いや、もっといえばね、残酷な話だけど、

たしょう楽曲がダメでも、本人に魅力があれば、ライブには人が入る。

歌はまったくダメダメでも、

たとえば

「イケメンの歌い手」
「カワ(・∀・)イイ!!歌い手」

こういう人には、ライブに人が集まったりするよね…?

「ライブに行く」っていうのは、「歌を聴く」というより、「会いに行く」という感覚が「第一」のものだから。


キミに会いたくなる、ライブに行きたくなるような、

キミ自身に何か魅力があれば、「ライブに行くよ」ってこと。


***


長くなった。ごめん。

じゃあまたね。

え?

「肝心の『ミュージシャン自身の魅力』が抽象的でわかりにくいんだよ」って?

それはまた書くよ。たぶん。

今日はもう眠いから寝る。おやすみ。キミも早く寝なよ。

以上、@ryotaismでした。

音楽関連の記事


第八回「渋谷屋根裏の営業終了にともなって」




音楽好きと音楽嫌いによる音楽の話


第八回を録音しました。

ライブハウスのことや、ライブに人を動員するにはどうしたらいいか、

などなど、しゃべりました。

よろしければご試聴を。

第八回「渋谷屋根裏の営業終了にともなって」




【今回のキーワード】:ライブへの動員/ドリンク代/ネット配信/初音ミク/CD買ってなくてもファンになれる時代/ファンであることがアイデンティだった時代



『音楽好きと音楽嫌いによる音楽の話』


音楽好きと音楽嫌いによる音楽の話
【Youtubeチャンネル】http://www.youtube.com/user/music2talk

mixiハロー!が気軽に挨拶できない理由


「mixiハロー!」というのができたそう…。

どうすかね?これ。流行りますかね…。


「mixiハロー!」とは?


mixiハロー!


mixiハロー!


ハロー!は簡単にあいさつのやりとりができる機能です。
仲良くなりたいあの人や、ちょっとごぶさたな友人に気軽にあいさつをしましょう。
ハロー!には6つのあいさつ選択肢があるので、シーンに合ったあいさつを送ることができます。
1クリックで簡単に返信できるので気軽に返してみましょう。



mixiにはこれまで、つぶやきや日記などの投稿へコメントやイイネ! を通じたコミュニケーションが行われきた一報で、気軽にあいさつをする機能が用意されていなかった
なお、同じ相手には1日1度だけしかあいさつを送れない。




以下、6つのあいさつから選べる、と。


mixiハロー! 挨拶の種類


気軽にあいさつできないmixiハロー!



あいさつが「6つ」って、なかなか少ないよね…。

となると、6つを選抜するmixi側のセンスがかなり問われる、と…。

ちょっと、それらを並べてみます。


  • ハロー!
  • (`・∀・´)ノやあ
  • おつかれさまです
  • Σd(゚∀゚d)オウイエ!!
  • おひさしぶり
  • 元気ー?

うん。 ん?

Σd(゚∀゚d)オウイエ!! って、

・・・どういうこと?汗

「元気ですよ~」「テンション高いですよ~」みたいなことですかね…。

まぁ、いいか…。


「おつかれさまです」

うん、これが一番シンプルでよく使いそう…。

と思ったのだが、

「おつかれさまでしたのほうが、使いやすかったかも…。

まぁいいや、細かいことです。


ところで、これ、ほんとに気軽にあいさつ交換ができるのかね?


“(`・∀・´)ノやあ”の挨拶がきた場合



(`・∀・´)ノやあ

なんともいえない、顔文字ですね。

これって、男向けの顔文字?女性も使うのかな?んー。

まぁ、それはわからないけども、

もし、“(`・∀・´)ノやあ ”っていうあいさつがきたら、

先ほどの6つの中から返事しなきゃいけないわけだ。

となると、

  1. (`・∀・´)ノやあ ⇒ ハロー!
  2. (`・∀・´)ノやあ ⇒ おつかれさまです
  3. (`・∀・´)ノやあ ⇒ Σd(゚∀゚d)オウイエ!!
  4. (`・∀・´)ノやあ ⇒ おひさしぶり
  5. (`・∀・´)ノやあ ⇒ 元気ー?
  6. (`・∀・´)ノやあ ⇒ (`・∀・´)ノやあ

    このなかの、どれかになるよね。

    かりに、“(`・∀・´)ノやあ ”というあいさつがきて、

    「おひさしぶり」「元気ー?」「(`・∀・´)ノやあ」というあいさつを返したら、

    なにか、そこから話を続けなきゃいけないよね?雰囲気的に。

    つまり、

    『気軽に簡単にあいさつのやりとりができる』というコンセプトがなりたたないよね?って。

    となると、、、

    1. (`・∀・´)ノやあ ⇒ ハロー!
    2. (`・∀・´)ノやあ ⇒ おつかれさまです
    3. (`・∀・´)ノやあ ⇒ Σd(゚∀゚d)オウイエ!!

    のどれかになるんだけど、「おつかれさまです」は文脈として変だよね。

    となると、

    1. (`・∀・´)ノやあ ⇒ ハロー!
    2. (`・∀・´)ノやあ ⇒ Σd(゚∀゚d)オウイエ!!

    以上の2つになるのだけど、

    もしこれ以外のあいさつを選ぶと、

    あるいは、これ以外のあいさつが返ってくると、

    「気軽なあいさつでのやりとりではなくなる」、ということだよね…。

    「あいさつの交換」だけで終わらない、長期戦…。


    が、これよりも何倍もめんどくさいあいさつがあった!?


    「元気ー?」という挨拶がきた場合


    1. 元気ー? ⇒ ハロー!
    2. 元気ー? ⇒ おつかれさまです
    3. 元気ー? ⇒ Σd(゚∀゚d)オウイエ!!
    4. 元気ー? ⇒ おひさしぶり
    5. 元気ー? ⇒ 元気ー?
    6. 元気ー? ⇒ (`・∀・´)ノやあ

    これを、先ほど同じように、文脈としておかしくなる返事をけずると、

    つまり、「元気ー?」というクエッションマークの問いかけに、

    文脈上ちゃんとこたえられている(と思われる)返事は、、、、


    • 元気ー? ⇒ Σd(゚∀゚d)オウイエ!!


    一択!? この一択だけなんですか!?


    キツイわー。元気じゃない場合キツイわー。



    一日一度のあいさつ


    それと、なになに、しかも、たしか、

    『同じ相手には1日1度だけしかあいさつを送れない』って?

    もしも、

    • おひさしぶり ⇒ 元気ー?

    というやりとりがあったら、

    「メッセージ」とか送らなきゃ変な感じになる、と。

    だって、「?」で挨拶が終わってるからねぇ…。

    というか、「元気―?」は挨拶というより、「今から会話しません?」っていう導入じゃないすか…。


    感想


    これは、ちょっと、めんどくさがりやのボクには使いこなせないツールだな…。

    気軽に挨拶しようにも、地雷が多すぎるぜ…。

    仲条幸一の魅力を歪曲に語る



    「仲条幸一」というアーチストについて今日はちょっと書いてみるよ。


    え? 知らない

    知らないし、興味もないって?


    そりゃあ残念だ。

    いい歌をうたってるんだよ。

    音楽好きなら知っておいて損はないよ。たぶんね。


    仲条幸一というアーティスト





    仲条幸一


    自らをピアノマンと名乗る東京生まれ東京育ちのシンガーソングライター。
    両親共に教育者で5歳から音楽教育を受けはじめ2012年には大学院を卒業。
    大学院では現代音楽とサウンドスケープを研究して来たという学者肌でもある。
    そんな彼がこれまでの作品の集大成として制作されたアルバムが本作品です。
    ピアノの腕前は大学院で研究していた程の実績で実証済み。しかし、彼の本来の才能は歌詞にこそある。
    東京で生まれ育った独自の視点で現代を切り取る。
    それこそが仲条幸一の魅力です。癒しというよりは、パンクと言った方が的射ていると思います。
    クラシカルなピアノとパンクな歌詞を堪能していただければと思います。


    東京アセスメント (MusicVideo)




    ごみ屋敷 (Music Video)





    ボクなりに、大ざっぱに書くよ。

    • ピアノやアコーディオンを弾いて歌をうたっている人
    • 「青年系」の歌詞
    • ピアノがうまい

    以上だよ。

    以上でじゅうぶんだよ。

    ・・・いや、テキトウに書いてないよ!汗

    これだけで実際じゅうぶんなんだ。

    ん?

    西野カナamazarashiのときのような考察がないだろ!」って?

    ・・・いる?

    そうか、いるか。


    ピアノでの弾き語りって実際どうよ?




    ボクなんかはね、「ピアノなんてよくわかんねぇよ」って。

    楽器なんて、ギターしか知らないよ。

    まぁ、そのへんだよね。

    そのへんの敷居をこえてくるのが、仲条幸一。

    ピアノがうめぇから。

    テクニックで、狭い偏見をぶっ壊しにかかる。

    「ピアノってすごくいい楽器なんだな」って思うよ。


    世の中には、ピアノで弾き語りをしている人って、ごまんといるよ。

    「彼もそのひとりだろ」って?

    ちょっと違うね。


    へらへら笑って音楽してるナメた連中とは違う


    こんな考え方があるんだよ。

    「作り手の大半は、音楽に人生かけられずに、半端に辞めるか半端に続ける。
    リスナーのせいにすんな、お前らが音楽をダメにしたんだよ。
    線路に落ちた『音楽』を助けずに見殺しにしたのは、 音楽よりも自分の命や生活を優先してしまった『作り手』だ。
    ボーカロイドや違法ダウンロードにリスナーが流れたのは、お前らの怠慢だよ」

    昨今の歌い手に対して、こんなふうに思うことない?

    「なにへらへら笑って音楽やってんだよ?
    俺たちはお前たちのへらへらした音楽活動につきあってられねぇんだよ。
    いつからお笑い芸人になったんだよ?音楽やれよ。
    客に媚びうってるような音楽なんて、俺の人生にはいらねぇっつうの。人生かけて、死ぬ気で音楽やれよ


    とまぁ、、、こういった意見が世間にはあるんだね。

    乱暴だねぇ…。言葉づかいも悪いし…。

    でも、ちょっと共感できたり…。


    仲条幸一は、クソまじめに人生かけて音楽をやろうとしている。

    これってできそうで、できないんだよね。

    保身に走っちゃうから。

    結婚したいもん。
    家族がうるさいもん。
    お金ないもん。

    だから、「音楽をいったん、後回しにする」

    命取りだよ、それ。いったん後ろに回すと、終わりだよ。

    キミの「命の恩人」である音楽を、一度でも「二番手」にするとか、ありえないよね?

    で、しょーもない音楽をだらだらと制作、

    まぁせいぜい、ときどきライブ活動をやる感じですか?

    うん。そしたら、リスナーは次々とあらわれる次のミュージシャンに、すぐに移るだろうね。

    「命や人生はかけない」というスタンスで音楽に取り組むとそうなる。

    多くの歌い手が途中で保身にはしり、音楽のために身投げできない。

    やめろやめろ、その程度の熱量ならさっさと音楽やめろ。

    リスナーはそんな趣味に付き合ってらんねぇんだよ。


    仲条幸一は音楽に半殺しにされている





    キミは線路に落ちた『音楽』を助けようとするかい?

    「助けたいけど…」と、躊躇した揚句、

    自分の命をやっぱり優先してしまって、線路に飛び込めない。

    『音楽』を見殺しにするような、半端な覚悟しかない。

    そうして見殺しにされた、轢き殺された音楽を見てきた。

    「自分の命>音楽の命」という態度で音楽を作れば、音楽の生命力が落ちて当然だ。


    仲条幸一は、インディーズの音楽業界にいて、そういった場面をなんども見てきたろう。

    彼はその軟弱な亜流の一派ではないと、ボクは思っているんだ。

    「殺されるんじゃない、音楽のために死んでやるんだ」

    というくらいのエナジーと気概が、『僕はピアノマン』というアルバムから伝わってくる。

    「やべぇー、こいつマジだ…」という印象がある。


    ところが、そうそう簡単に「音楽のためには死ねない」。

    「死にたくない」という現実がのしかかるんだよね。

    死ぬのはだれだって怖いよねぇ…。

    仲条幸一は、そこと闘っているんだろうね。

    「音楽のために俺は命をかけられるのか?」という、精神的にギリギリのラインで制作をしている。

    音楽に半殺しにされている。

    仲条幸一の売りはねぇ、

    このヒリヒリとした感じ、ギリギリの感じが楽曲から伝わってくるところだよね。


    苦悩に満ちた青年への鎮魂歌


    でもこれってさ、彼だけじゃないよね?

    ボクらもそうだよね。

    みんな、同じように闘っているんだ。苦しんでいるんだ。自分の理想と、現実と。

    で、そこで共感みたいなものが発生するんだね。

    まぁ、一言でいっちゃうとね、

    仲条幸一って人は、

    『苦悶に満ちた青年への鎮魂歌』を歌っている。


    ボクらは、まるで「死んでいるような瞬間」がある。

    子供のころから夢もってたよ。

    かっこいい大人の世界に憧れたよ。

    でも実際はちがった。思ったようにうまくいかないんだ。

    そうして、あきらめてきた。

    子供ころのワタシは、死んだ。

    歩いてきた道に、いくつもの自分の死体、「あきらめてきた自分」が転がっている。

    泣いても、願っても、死んだ自分は帰ってこない。

    自分で自分を殺してきたくせにさ、

    ボクらは、自分の死体を、物悲しい眼差しで見つめ、泣いている。

    うまくいかない現実を前に、

    死んでしまった自分を、殺してしまった自分を、

    どうしても捨てることができず、

    いつまでも「自分という死骸」をひきずって歩いている。

    そんな「死んでしまった自分」へのなぐさめ、鎮魂を、仲条幸一は歌っている。

    苦悩をピアノの旋律にのせて歌うことで。

    彼は今日も、空に向かって歌っている。


    ***


    なんか、歪曲と偏見で語っちゃったけど、

    ボクはすごく彼の歌が好きだ。

    ちなみに、『アンカー』と『ケージ』っていう曲がおすすめだよ。

    じゃあまたね。





    amazarashiの歌詞と現代性、そのシンクロ率:『ジュブナイル』発売前に一言


    amazarashi


    amazarashi
    2013.04.10 NEW ALBUM
    「ねえママ あなたの言うとおり」
    http://www.amazarashi.com/mama





    アルバム収録曲の『ジュブナイル』がYoutubeにオフィシャルであがっていました。

    amazarashiのファンとしては、早くアルバムを手にしたいキモチでいっぱいです。

    YotubeのMVを見ていて、ふと色々思ったことがあったので、

    ここに綴ろうと思います。


    YoutubeでのMV・PV宣伝について





    『ラブソング』のMVでは、

    歌の音源に、動画の「効果音」がまぎれこむように作られています。

    今回の『ジュブナイル』のMVでは、

    少女がイヤフォンで歌を聴くまでに、しばし「音の空白」があります。

    つまり、ユーチューブでは正確な音源が聴けない作りになっており、

    「CDを購入してもらう導線」がしっかりとあります。

    これは、ビジネスというよりも、

    「Youtubeを聴くだけで満足する『新世代』」に対応している、

    といったほうが適切でしょう。


    アルバム『ラブソング』発売のときもそうでした。

    • 東京公演のUstream生配信視聴コード
    • 横スクロールのゲームで得点すると、壁紙がダウンロードできるフラッシュコンテンツの収録

    このように、現代ならではの特性に丁寧すぎるほど対応しています。

    こういったプロモーションの観点からも、

    amazarashiの現代性を感じ取ることができます。



    もちろん、「歌詞」こそが何よりの特徴であり、現代性を表しています。

    それについても、思うところを少し書いてみます。


    若者の現代性とは?




    先ほどから述べている、“現代性”とは一体何か?

    正確には、“若者の現代性”なのですが、

    「心と体のバランスがとれていない」


    というのが、現代の若者によくある現象ではないかと考えています。

    ゲームやUstreamがそうであるように、

    画面上には、リアルな身体性がありません。

    そこに映るのは、擬似の身体です。

    初音ミクもそうです。

    生の人間の声ではなく、人間の声を真似ている、いわば人形です。

    しかし、その人形に、精神や心だけが宿っているように感じます。

    また、精神や心を“宿そう”という試みがそこにはあります。

    そこに心はあります(正確には、あるようにみえるだけですが)。

    しかし、リアルな肉体がありません。

    実際、「人間と同じ心」はあるようにみえても、

    「人間と同じ肉体」があるようには見えないでしょう。


    心はあっても、そこにはリアルな身体性が抜け落ちているのです。


    こういった観点は、現実世界とのズレを生じさせることがあります。

    たとえば、頭のなかに「思い描く理想」があって、

    しかし、その理想と、現実世界の「私の肉体」が釣り合っていない。

    これはよく聞かれる、「理想と現実のギャップに苦しむ」というものであり、心と体にズレが生じています。


    amazarashiの歌詞と現代性、そのシンクロ率




    「理想と現実」、「肉体と心」が、うまく噛み合わない、そのストレスと苛立ち。

    こういった絶望が、若者の現代性としてあげられると思います。

    amazarashiの歌詞は、

    このような心と体のバランスがとれていない現代性と見事にシンクロしています。

    言い換えれば、そのシンクロ率がamazarashiの生命線だと思います。

    ゆえに、現代との同期が少しでも遅れると大きな違和感が生じる、と考えられます。

    今のところ、シンクロ率の高い詞をコンスタントに書き続けています。

    時代性を売りにする歌詞は、時代の移り変わりともに変化を求められます。

    若者の絶望を歌うにしたって、「普遍性」を抽出できているかが鍵となります。

    現代若者の絶望と、次世代の絶望では、いくらか変容します。

    百年前の若者の絶望と、百年後の若者の絶望、

    両者に共通する、普遍的な絶望要素を詞にあらわせているか。

    今の時代を“完璧に”歌っている詞は、

    一発屋ならではの、時代との強い接触、インパクト、大きなムーブメントが起こりますが、

    その時代が終わった後、その時代を通り抜けた後、

    その歌は時代からどんどん離れていくことがあります。


    ***


    amazarashiの歌詞は、現代という「一時代」を歌っているのか。

    ボクにはわかりません。

    しかし、「現代」を的確に歌っていることは間違いないと思います。

    現代と等身大であるamazarashi、早くアルバムが聴きたいです。





    音楽関連の記事


    Twit Delay:バカ発見器とならないためのTwitter予約投稿



    Twitterの話です。

    ボクもやってます。


    即アンフォローしてもかまいませんので、「ちょっとフォローしてやるか」という人がいれば、フォローしてみてください。

    小説も書いてます。

    めちゃくちゃ自信作なのに、全然売れていません。

    よかったら読んでみてください。150円です。


    『夏の駄駄』詳細ページ


    さて、本題。

    Twitterは「バカ発見器」と言われたりします。

    それを防ぐツールを、ちょっと紹介。


    Twit Delay






    日にちと時間を指定して、ツイートの「予約投稿」ができます。

    予約には二種類あり、下記のどちらかを選びます。

    1. 指定した日時につぶやく
    2. 指定した時間が経過した後

    特徴


    • 「100ツイート」ぶん、予約できます。
    • 「分単位」で時間設定ができます。
    • 予約ツイートしたものは、後から編集できます。


    Twitterの予約投稿ツールは色々ありますが、

    Twit Delayが一番シンプルで、使い勝手がいいです。

    ボクのツイートの半分以上はTwit Delayからです。


    私のバカ発見を未然にふせぐ


    Twitterやってると、ついつい、イタい発言や失言をしてしまうものです。

    私はよくあります。

    それは、その場の勢いでツイートしているからですね。

    真夜中のラブレターと同じで、そのときは傑作だと思っていても、翌朝、読み返してみると赤面してしまう。

    Twitterにもそういった要素があって。

    なので、

    すぐにツイートせず、思いついたことはTwit Delayを使って予約投稿にし、時間をおいてからツイートするようにしておくと、馬鹿が露呈するのをいくらかは未然にふせげそうです。

    私は、途中で気付いて予約キャンセルすることがよくあります。

    ツイートを一時間後予約にするだけでも、かなり変わると思います。

    現実の世界でもそうですが、思いつきですぐ言っちゃうというのは、こわいものです。

    よかったら試してみてはどうでしょう。



    Timer Tab:ブラウザでタイマー、アラーム、ストップウォッチが使える


    「ブラウザをひらくと、ついつい何時間もネットをやり続けてしまう…」

    そんな人に「Timer Tab」というツールをご紹介。





    Timer Tab


    http://www.timer-tab.com/



    画面を開けると、左から順に、

    • タイマー
    • アラーム
    • ストップウォッチ

    となっています。

    そのときの気分でどれかを選び、記入欄に数字をうちこんで、

    STARTをクリックすると始まります。

    時間がくると、タイマーが鳴る仕組みになっています。

    ちなみに、カウントしている数字をクリックすると、画面いっぱいに表示されます。


    Tabをみれば時間がわかる




    Timer Tabという名前にもあるように、

    ブラウザのタブに、時間が表示されます。

    なので、別のタブ画面を開いて作業をしている時でも、

    タブをみれば「経過時間」や「残り時間」がわかります。

    便利ですね。


    アラーム音や背景画像をカスタマイズできる




    これだけでもじゅうぶんなのですが、、、

    アラーム音をカスタマイズすることもできます。

    画面下の「歯車」にマウスをあてると、上のような画面が出ます。

    [Youtube Alarm]
    の箇所に、お好みのYoutube動画のアドレスをいれると、それがアラームになります。

    Timer Tabの「背景画像」を変更することもできます。

    アラームと同様に、[Background]にURLをいれると、それが背景画像になります。


    ホーム画面に設定しておく


    ブラウザ起動時の画面(ホームページ)にTimer Tabを設定しておくと、

    ブラウザをたちあげると同時に、自動でストップウォッチのカウントが始まるので、

    時間を意識しながらネット利用ができます。

    「ついついネットをやりすぎてしまうんだよなぁ…」という方は、一度試してみてはどうでしょう?


    Timer Tab
    http://www.timer-tab.com/

    社会に必要とされていないひきこもりの話。




    言うまでもない、

    私は立派な社会人ではない。

    私のほうからそれを拒んだ、

    にも関わらず、誰かに笑われている気がする、「後ろめたさ」。

    俺の、社会との繋がりの薄さ、
    俺の、社会への貢献の無さ、
    俺の、社会への後ろめたさ。

    同時に沸き起こる、

    俺の無力さと、情けなさと、馬鹿さと、幼稚さ。

    俺はなんてくだらない人間なんだ。

    同い年の連中は真っ当に働き、真っ当に結婚しているというのに、

    周りは普通にそれができているというのに、

    なぜ俺と君はそれができなかった?

    独身で、金もなくて、ろくに働かない。

    そうだ、きっと俺はダメな人間なんだ。


    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


    リクルートスーツの若者をホームで見かける今春、

    まるで自分だけが社会から取り残されているような気がして、

    花見を楽しむ人たちが、まるで別世界の人間たちのように見えた。

    俺たちは一人、またひとり、一人きりの部屋に帰宅する。

    湿った、薄暗い部屋の中で、こう思うのだ。


    「俺は社会には必要のない人間なのかもしれない」


    その通りである。

    俺や君は、社会に必要とされていない。

    理由は簡単だ。

    俺や君が、社会を必要としなかったからだ。


    では考えてみようじゃないか。

    なぜ俺たちは、社会にそんなにも興味がないのか、

    なぜ社会の流れそって生きていくことを拒んだのか?

    社会は俺たちを必要としていない。 俺たちも社会を必要としなかった。

    そんな関係性の中で生きていくとなれば、

    「生きにくい」ということが発生する。

    生きにくい、生きにいくいだろう、

    自分の方から社会を拒んだのだから。

    夕暮れ。

    ふいに俺たちは次のようなことすら考える。

    「もう死ぬしかないのかもしれないぁ」と。

    過剰だ、冗談だろう。ああ、冗談さ、でもふと思ってしまったんだよって。

    まぁちょっと待て、話を聞いてくれ。

    そこまでの過激な発想に至るまで、

    なぜそこまで、俺や君は社会を拒むのか?拒んだのか?

    君はそのことについて考えたことがあるか?

    俺は最近考えている。君はまだ気づいていないかもしれない。

    俺たちが社会を拒んだのには理由があって、

    それは社会の要求に答えられない、そんな“弱い”人間だからではない。

    自分にとってこの社会は何かが『おかしい』と思ったからだ。

    だから俺たちこの社会を受け入れることができなかった。

    そうだろう?そうじゃなかったか?

    そんな疑問と抵抗からすべては始まったんだ。

    けれど、その結果、俺たちの足場は少しずつ狭まった。

    いよいよ動くことすらままならなくなった。

    当然。社会こそが俺たち、「人間の足場」だからだ。

    足場もないうえ、進む道も見えない。

    ならばと、いっそのこと“足場も道も見えないところ”に自分から居座ろう、

    それが「部屋」だ、ひきこもりだ。

    いよいよ絶望してくるわけだ。金もないぞ、と。

    考えは堂々巡りだ。一日中暗い森の中で遭難しているようだ。

    俺や君は、悲観的にこう思っている。

    社会なんて嫌なことばかりだ。

    その通りだ、社会なんて嫌なことばかりだ。

    ちっとも友達なんてできやしない。

    年配の人とは話すのも今は億劫だ。

    干渉されたくない、一人で働きたい。

    ああ、だめだ。

    「甘ったれてんじゃねぇよ」と誰かに怒鳴られた気がして、

    「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝る。

    誰かに笑われている気がして、ブルブルと震えている。


    ***


    俺は君を見ていると、まるで「自分」のことのように辛くなる。

    自分を許せないのだろう。

    情けない自分をどうしても許せなくて、苦しんでいるのだろう。

    しかし、もういい、もういいのだ。

    自分を許してあげよう。

    休んでもいいのだ、休んでもいい。

    君の「死にたい」は、少し「休みたい」ということなのだ。

    きっと俺もそうに違いない。


    「どうせ死ぬんだ」という発想は時にポジティブにプラス思考として働く。

    俺たちはそれに甘えてきた。

    しかしどうやら、「いかにして死ぬか」という具体的なビジョンにまで及ばなければ真にプラスとはならないようだ。

    が、自らの死因を自ら選び取ることはできない。

    だからこそ、あまりに短い一生涯の中で「やらなければならないこと」を多少過激であっても実行せねばならない。

    そういった勇気のないまま、肉体だけが成長してきただろう。


    答えはない。

    ならばゆっくり、「思い出してゆけばよい」。

    “自分にとってこの社会は何かがおかしくて、自分と社会は何か合わない気がする”

    そう思ったあの日、

    そこには本当は二通りの道があった。

    「社会拒否」と「社会参加」という二つの道がそこにはあった。

    ゆっくりあの日へと戻り、少しずつ道を思い出してゆけばよい。

    “この社会は何かがおかしい
    ”と思ったこと、いちばん最初のキモチ、それは紛れもない社会的な才能であって、健全な形で花ひらくのはすぐそこにあるのかもしれない。

    拒否を打ち切り、参加を表明することで。

    芥川龍之介のちょっとだけマイナーなおすすめ作品(その2)


    前回に続き、芥川龍之介のちょっとだけマイナーな傑作をいくつかご紹介します。

    【前回】
    芥川龍之介のちょっとだけマイナーなおすすめ名著(青空文庫/Kindle編) | 福森亮太 official web


    『煙草と悪魔』



    初出:「新思潮」1916(大正5)年11月

    あらすじ


    芥川の小説におけるジャンル「切支丹物」のひとつ。煙草を日本に広めたのは悪魔であるという珍説を書くとともに、その悪魔が誘惑しようとした牛商人にやり込められる顛末を描く。芥川は作品の最後で、「煙草があまねく日本全土に普及したところを見れば、牛商人に負けたはずの悪魔は勝っていたのではないだろうか」「明治以降、再、渡来した彼の動静を知ることが出来ないのは、返す返すも残念である」と結んでいる。

    青空文庫


    http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card163.html


    『芸術その他』



    あらすじ


    芸術と芸術家のあるべき姿について書かれている。

    青空文庫


    http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card4273.html


    『猿蟹合戦』



    初出:「婦人公論」1923(大正12)年3月

    あらすじ


    蟹達が親の敵の猿を討った後、逮捕されて死刑に処せられるという短編小説。

    青空文庫


    http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card140.html


    『魔術』



    初出:「赤い鳥」1920(大正9)年1月

    あらすじ


    魔術を使うことのできるマテイラム・ミスラを訪れた「私」は、ミスラの見せた魔術に驚き、教えてもらえるように頼むところから話が始まる。芥川龍之介の作品に多くあるように、人間のエゴイズムが描かれた作品。

    青空文庫


    http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card95.html


    『小説作法十則』



    初出:「新潮 第二四年第九号」1927(昭和2)年9月1日

    内容


    小説家に必要な作法を提示しています。

    青空文庫


    http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card4313.html


    『運』



    初出:「文章世界」1917(大正6)年1月

    あらすじ


    芥川の第1創作集『羅生門』に収録された。 出典は『今昔物語』巻十六「貧女清水観音値盗人夫語第三十三」である。目先の変わった物語であるが、原作の筋をほぼそのまま踏襲している。芥川は、物質的な幸福だけを真の幸福と考える若侍と、精神の内部における幸福を最大視する翁と、この相対する二つの型の人間の会話を最後において、種類の異なった幸福感を示し、原作に多少の綾を付与した。

    青空文庫


    http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card176.html


    ***


    以上です。

    『芸術その他』
    に関しては、特に思い入れがあるので、

    別で記事も書いております。よろしければ。

    芸術その他:芥川龍之介 | 福森亮太 official web site

    これからもおすすめの本をどんどん紹介していきたいと思うので、

    今後ともどうぞよろしくお願いします。


    ↓ちなみに前回のはこちらです

    芥川龍之介のちょっとだけマイナーなおすすめ名著(青空文庫/Kindle編) | 福森亮太 official web

    彼と音楽との出会い(草稿1)


    ※ 本稿は『縦書き文庫』でも読むことができます。


    彼と音楽との出会い(草稿1)


    世界が自分を笑っているような…。

    そう思うたび、布団にくるまり、頭を抱え、悶絶する、

    そんな日々を彼(学生)は過ごした。

    “なんという劣等性か。なんという不完全な私であるか”

    それは彼の強い自意識と美意識が理由であった。(彼は後にそれを知る)

    ドクターはそれが正常であるという。

    “人は世界や自然の一部である。ゆえに、君がその繋がりを意識するのは「正常」である。世界をみる意識とともに、世界にみられているという意識は正常なことだ”

    “耕一くん、きみは音楽が好きでしょう?”

    ドクターによれば、外側から此方側へと届く、「音を聞く」という行為は、外界との接触、コミュニケートであり、不安定なる自己が動じぬ外界と連結することによる安定感は、本人に安心を与えるという。

    家に到着して、すぐに音楽をつけたり、テレビをつけるのはその為であるという。


    しかし、耕一の日常は、突如変貌した。

    部屋の壁を、無為に見つめていたときであった。

    急に、壁が、遠くへと進んでいくではないか。

    ”世界が離れていく、世界が、遠い、遠くへと離れてゆく”

    離人感の類であった。(それについても耕一は後に知る)

    人も木も、まるで世界全体が、プラスチックでできた模型のような、造り物にみえる。

    世界が無造作に、目の前に置かれている。

    それを無感情に観察している自分がいる。

    世界が自分を切り離したようで、自分が世界から切り離されたようで、いや、正確にのべると、私自身の意思によって私と世界を切り離したのではないかという疑惑に、まっすぐに立つことさえままならず、よろよろと壁にもたれた。

    これまで感じたことのない世界との距離感に恐ろしくなった彼は、あわてて枕元にある聖書を手に取り、その一文一文に目を通し、精神の安定をはかった。


    ―――目を覚まし、いつの間にか自分が眠りに落ちていたことに気付いた。

    寝ぼけ眼で天井を見つめた。

    昨晩とは異なる現象が彼の身に起こった。

    それは徐々にだった。

    天井が此方側に向かってくる、私の目の中へと入り込もうとしているのか、目に映る景色が重量をもって、ゆっくりと、彼の心身全体に向かってくる。

    耕一はドクターの言葉を思い出した。

    ”個の存在は本質的に、世界と「一体」であり、個は個であるとともに「全体」でもある”

    世界が彼を見る時、世界は遠くに映り、
    彼が世界を見る時、世界は近くに映る。

    喉の奥から何かがこみ上げてくる。

    嘔吐感を察した彼は、すぐさまトイレに駆け込み、そのフラストレートを吐き出した。

    彼は知った。

    世界と離れては無くなる私と、世界に近づいてはのまれて無くなる私がいる。

    彼は知った。

    世界と彼との間には、干渉と牽制が混沌としており、どちらかが、どちらかを吸収しようとしている。

    抵抗せんとする私と、反面には身を委ねようとする私がいて、両者の不毛な相克が、世界と私との関係を不調和なものへと至らしめている。

    先ほどのフラストレートとは別に、ぞくぞくとこみあげてくる興奮があった。

    これまでに感じたことのない熱さが、全身を駆け巡った。

    耕一は机の引き出しよりノートを取り出し、思い切り書きなぐった。

    「もっと、世界と私を、もっと! 均衡と、調和を! 一体を!」

    「不調和な世界との関係を、メロディアスに、フリーに、穏やかに流れる小川のように、自然なものへと回帰することを!」

    「表現とはなんぞ? 芸術とはなんぞ? ああ…斯様に惨めな私たちの関係を、呪うこと無く、愛すことも無く、手を繋ぐことはできないものか。ああ…きっとそうに違いない、表現とは、芸術とは、そうに違いない」

    瞬間、耕一は表現を手にした。

    否、手にしなければならなかった。

    生前、母が言った言葉が思い出される。

    「耕一よ、誕生する以前は“完全”なのだよ。産まれるっちゅうことは、少なからず完全を崩すということだ。オマエの寝顔をじっと見つめておると、わたしはオマエを産んだことが本当に良きことであったのか、わからんようになってしまうときがある」

    しくしくと泣き始めた母のツラが、ノートに浮かび上がってくる。

    耕一はそのページをビリビリと破り取って、まっすぐ縦に破った。

    「また、僕が母さんを死なせたっていうのだろう? 誕生以前へと回帰する道標、それが母さんだった。一体、母さんの“均衡”はどこにあったのですか? やはり、“完全”とは、再構築するしか手立てはないものでしょうか?」

    ――これ以上を考えることはできそうになかった。

    膨大なる過去の記憶は、非常な重量をもって、数にすれば幾らともわからない。

    思考に体力があるならば、一歩も動けぬほどに疲労し、強い眠気が襲ってきていた。

    それでも、ノートを閉じる前に、一文だけを最後に綴った。

    「もつれた糸を一手一手解ぎほぐし、最後には糸が一本のものであったことを示すしかあるまい」


    ――彼が”音楽をやろう”と思い至ったのは、その後、間もないことであった。

    今となっては、自然な成り行きであったように思われる。


    (草稿1)

    仕事をやめなければ「やりたいこと」は見つからないと思うよ。



    ボクの友達でさ、自分のやりたいことを仕事にしている人がいるんだ。

    そいつは、よくまわりから言われるんだって。

    「やりたいことがあっていいなぁ、うらやましいなぁ」って。

    で、友人はそのたび、どう返答していいかわからない、って。

    あとさ、これもよく聞くんだけど。

    「仕事を辞めても、別にやりたことがあるわけじゃないし…。
    やりたいことが見つかったら仕事を辞める」

    とかね。

    そっか、忙しいから見つからない、見つけられないんだね。

    じゃあさ、何で忙しいの?「仕事だよ」って。

    うん、じゃあ、

    仕事をやめないと『やりたいこと』は見つからないかもねって。

    今日はそういう話だよ。


    働きながら「やりたいこと」って見つかるの?


    こういったことについてボクが思うことは、

    「働きながら『やりたいこと』って見つかるの?」って。

    いや、そんなに簡単に『やりたいこと』って見つかるものなの?

    働きながら、片手間で。

    たとえば、規模でいうとね、

    「命を賭してまで、挑戦したいこと」
    「命を賭してまで、大事だと思えること」

    もう、それくらいのデカイものだったら、なかなか見つけらんないよね。

    でも、そういうものに憧れることって、あるよね?(ボクはよくあるんだ)

    …あれ?人生、短かかったけ?長かったっけ?どうだったかな。

    一瞬でたくさんの人間がなくなっちゃう現実をみても、人間はなかなかわかんないよね。ムズカシイねえ…。


    ボクはほんとボンクラでさ、

    仕事をやめて、じっくり自分を見つめなおす時間がないと、

    自分が大事だと思うことを見つけられない、つか、考えられない人間でさ。

    だからちょくちょく辞めちゃうよ(笑)まかそれでなにがどうなったわけでもないんだけど。


    あ、ああ、でもそうだな。

    たとえば、学生のとき、つまり、暇なときに、そういった大事なことを見つけられる人がいる(もしくは幼少のころから学んできたことがあるとか)。

    で、その後、社会人になってからも、それを「やりたいこと」として、継続するパターンがある。これは幸運だね。

    その人は、「暇なとき」に、自分のやりたいことを見つけておくことができたんだね。

    でも、そのまま何も見つけられずに、多忙な社会にでる場合ってあるよね?

    うん、別にボクはそれでもいいと思うよ。

    たださ、「自分が心からやりたいと思えることが無い」、

    もしそれにキミが嘆いてる、残念だと思っているならね、

    「一回リセットしなきゃ」、だね。


    仕事を辞めたら生活できない




    「オマエの言ってることはわかるよ。でも生活が最優先だろうが」


    うん、そうだ、

    「仕事を辞めて、一度リセットして、時間をもうけないと『やりたいこと』はみつからない」って、

    まったく、無責任な発言だよ。

    実際、仕事を辞めて本当に見つかるのか?って。そんな保証はないよ。

    それに、仕事を辞めたら生活できなくなるかも。

    下手すりゃホームレス、もしかしたらお金なくて自殺しちゃうかもしれない。

    想像するだけで怖いね…。

    んー…、でもどうだろ?

    生活は大事だと思う。死ぬのは怖い。

    でも、じゃあ、一生そんな感じで嘆いてるのはいいのかな?

    どう思う?

    ボクは、ちょっとねぇ、そういうのムリなんだよな…。できないっていうか。


    ボクだって死ぬの怖いよ。当たり前だけど。

    そこで、どう思っているかっていうと、

    死ぬのは怖い。

    死ぬのが怖い、だから「これで死んでもかまわない」と思えることを見つけるべきだって。



    つまり、仕事辞めたら、いろんなリスクを背負う。

    極端なこといえば、死ぬかもしれないね。貧乏で。

    でも、

    「命を賭してまで、挑戦したいこと」

    「命を賭してまで、大事だと思えること」

    それを見つけられたならば、「ボクはもう、死ぬの怖くないよ」って。


    これを裏返してみるよ。

    つまり、心から「やりたいと思えること」や「大事にしたいこと」が自分にはない場合。

    あれ?人生ってなんだったかなー。「深いもの」だったよなー。

    とんでもなく深くて、苦しむもので、貴重で、かけがえのないものだったよなー。

    「もっとちゃんと生きなきゃな。もっと深く人生について考えなきゃな」、って。


    でもさ、そういうの、忘れちゃうよね。

    ボクはよく忘れてさ、すぐに「生活」に流されちゃうんだ。ダメだなぁ。

    深い人生を、なーんにも「深く生きていない」。

    もっとちゃんと生きなきゃな。もっと深く考えないとな。

    よし、ボクは仕事を辞めるよ。

    じっくり人生を見つめなおす時間を、何が何でもつくりだす。


    ・・・ま、

    結果、貧乏だよ(笑)フリーターで月収12万だよ(笑)

    実際、こんなえらそうなこと書いててても、ボクは、それに耐えられんないよ~。はは。

    だからやめといたほうがいいね、うん。

    まったく後悔はないけど。


    ***


    なんか、すごーく無責任なことを今日は書いたね。

    無視したい人、無視できる人は、無視してくださいね☆

    じゃあまたね☆