私は不幸か、幸福か。


大学時代。

まだ18歳の頃だったと思う。

夕方の河川敷を歩いていた。

私は、当時付き合っていた彼女にこう言った。

「俺は多分、一生不幸だと思う」

突然、深刻な顔をしてそんなことを言ったものだから、

彼女は驚き、やがてうつむき、泣き始めた。

それはそうだろうと思う。

まだ付き合って間もない、一番楽しい時期であり、

本来、「とても幸せだ」と答えるべきところを、

「一生不幸だ」などと言ったのだから。しかも真顔で。


無論、幸せではあった。

彼女といるのも楽しかった。

これまでのどんな人よりも、いっしょにいて、楽しかった。

それだけに、私は、その幸せにふさわしくないように思った。

いや、少し違う。


続けて私は彼女にこう言った。はっきりと覚えている。

「俺はおそらく、幸せになれないような、一生そんな暗い人生なんだと思う」

私はそれまで、10代の頃、

幸福というものを感じたことがなかった。

諸般の家庭事情や、友達がいなかったこと、

何より、内向的で、無口で、笑わない、性格がとにかく暗かった。

周りとなじめない。

それに別段、友達がほしいとも思わなかった。

家庭事情に関しても、こういう運命だと思って受けいれていた。

そうして、

「きっと自分は、このまま暗い人生を送っていくんだろう」と、そう思っていた。自分の人生とはそういうものなのだと。

どこか常に影のある、暗さをもった人間として一生、暗く生きていく、

そういった思い込みこのような発言につながったのだと思う。


眼前にある幸福に対して、私は素直に思ったことを言った。

この私の吐露に、彼女は絶句していた。

というより、驚いて何も言えなかったのだろう。


あれから約10年が経った。

その彼女とは長く続かなかった。

さらに、親ともぎくしゃくし始めた。

埼玉に移り住み、就職したが、1年しかもたなかった。

以降、どんな仕事に就いても、長続きしなかった。

私は一心不乱に、芸術を勉強した。

学問、文学、哲学、それらに私はしがみつくようにして瞬間瞬間を過ごしてきた。

この10年、楽しいと思うことはいくらかあった。

親友と呼べる者もいる。

かけがえのない恋もした。

この10年に、私はまったく後悔はない。

生き抜いた。

しかし、あの19歳の頃に言った言葉、

「俺は多分、一生不幸だと思う」

その言葉に対して、「そんなことなかったよ」とは、まだまだ言えそうにない。

むしろ、「その言葉通りだよ」とすら思う。今も。

私は未だに、自らに劣等を感じ、心に影があり、

何かに罪悪感を感じて生きている。

誰かに「人生は楽しいかい?」と、そう問われたら、

私はうまく答えられない。あまり楽しくないと答えるかもしれない。

29歳になった。

就職、お金、将来保証など、若かった頃にはない枷も加わった。

さらに別段、人生において「やりたいこと」というのもさしてなく、

ぼんやりした希望という光が、浮かんだり沈んだりしている。

その光を私はだまって、体育座りしてながめている。

もう、その、ぼんやりした光が完全に消えたら、この人生も本当に潮時ではないかと思う。

繰り返しになるが、私はこれまでの人生になんの後悔もない。

寝る前に、「このまま目がさめなければいい」と思うことが増えた。

そうして 一日を終え、また目がさめる。朝が、一日が、やってくる。

未来はどこにあるだろう。未来とは、あるものなのだろうか。

希望のないことを、人は絶望と呼ぶのだろうか。


明るい話ではない。暗い話だと思う。

暗い話を今、文にして綴っている。

笑顔はない。しかし、涙もない。

古典と言われるような、文学を読む日々。

自殺文献や他人の遺書を読む日々。

「人間の一生とは何であるか」

毎日、考えている。

「人間の一生とは何であるか」

そればかり考えている。

私の一生は、いつ終わるかわからない。
いつまで続くのかも、わからない。

私には、人生は、わからないことばかりだ。

わからないことばかり。

友達は言った。

「今のキミは輝いている」と。

悩んでいる人間、

生きていることについて、苦しんでいる人間、

一人の人間が人生について悩み、苦しむこと、

それは、「人間が輝いていることだ」、と。


私の真実、それは光ではなかった。

私の真実、それは暗闇であった。

私が真実を見つめるとき、一迅の闇が私を襲う。

私は「生きること」がわからなくなる。

「生きること」、それはわからないことだ。

真実とはそう、”わからない”という絶望であり、暗闇である。


では、その真実から目をそらそうか。

いや、そのような人間ではない。

「人間の一生とは何か」、真実について、考える、

私は今日もまた、言うのだ、

「私は多分、一生不幸だと思う」と、

強く、その言葉を、かなしくとも強く。

人生に真実を求める、そんな生き方を、そんな暗い人生を、

私が肯定しなくて、誰が肯定しよう。


私の希望の光は今も、ぼんやりとしている。

暗闇を照らすには、それはあまりに弱い。

しかしその弱い光を頼りに、私の暗い人生は、真実を求めて生きていく。

死ぬ間際、人生にこう言ってやるのだ。

「ざまぁみろ」と。

「もう二度と生きてやるか」と。

「なんなら、死ぬことだってできたよ、

真実を求める者が苦しみ、生き抜くことはできないだろうと、

あなたもそう思っていたのでしょうが、

『図々しく生き続けてやったよ!』」と。