ウォークマン中毒 - 音楽のない生活を


愛用していたイヤフォンが壊れてしまった。

コードが切れてしまった。

これを機に、「音楽のない生活」を始めようと思った。


ウォークマン中毒


いつ、なんどき、どこに行くときも、私はウォークマンを携帯していた。

移動中はもちろん、外出時は、常にイヤフォンを通して音楽を聴いていた。

イヤフォンなしで街を歩くことなど、ほとんど無かった。

常に音楽を聴いていた。

外出の際は、「財布と携帯とウォークマン」、この三点は欠かせなかった。


ある種の中毒、「ウォークマン中毒」であった。

そんな生活をずっと続けてきた。


仕事が終わると、鞄からウォークマンを取り出す習慣。

現実逃避か、自己陶酔か、ストレス発散か、

イヤフォンを耳にさし、歌を聴いては、“何かしら”に浸っていた。

周囲の雑音をシャットアウトして、駅のホームを闊歩していた私。

―――何か違うんじゃないか。

そんな生活を、やめよう、やめてしまいたいと思うようになった。


「周囲の音、自然の音に耳を傾けよう」とか、それよりも、

中毒化していることに懸念があった。

「ウォークマンを忘れるとソワソワする、不安になる」、

そんな自分はおかしいんじゃないか、健康であるとは言い難いだろう、と。

パチンコに通い詰めるように、私は音楽を聴いていたのだ。


テレビやインターネットのない生活



家に帰ったらテレビの電源をつけるのが癖、

休憩中はTwitterやFacebookをついつい見てしまう、

そこに、自我はない。意志はない。

“無意識にやってしまっている”、ということだ。

解せない。そんな自分でいいのか、と。

どんだけ弱いんだ、と。


そこで、「テレビのない生活」「インターネットのない生活」というのを始めてみる。

今まで見えていなかった景色や時間に、“気付かされる”ことがある。

テレビから離れてみる、インターネットから離れてみる、

原始的な生活に立ち返ってみると、

それまで重要だと思っていたものが、さほど意味のないものであったと気づく。

また、空いた時間を有効に使えたり、メリットはいろいろとある。


さて、テレビとインターネット、

そして「音楽」は、どのように違うのだろう。

中毒性でいえば、類似するところがあるんではないか。

なぜかしら、音楽だけが有益で高尚なものとして語られるが、大差ないだろうと。偉そうにするんじゃない。


テレビやインターネットから離れてみるように、

音楽から離れてみてはどうか。

思い切って『音楽のない生活』を始めてみるのだ。

音のない、「BGMのない日常」を送ってみるのだ。

音楽によって、現実を誤魔化したり、現実から逃避したり、

もう、うんざりだ。


パソコンの中におさめられた膨大な音楽データ、

ラックにぎっしり詰まったCD、

それら全てを一掃してしまうのだ。

原始的な生活というより、

子供のころのように、音楽がなくても、何不自由なかった生活を。

もともと、不必要だったんじゃないか。音楽は。

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