好きなことを仕事にする「売れる才」「売れ線」


先日、赤羽でシンガーソングライターの仲条幸一くんとご飯に行ってきたよお。



ボクは彼のファンであり、彼の才能に恋をしている。

とりあえず、これをみてほしい↓


すげぇよな。

ちなみに、このNAVERまとめは、【注目まとめ】にも選ばれた。

Facebookイイねは400オーバー、お気に入り数は300、閲覧数37000、ヒット記事となった。

ページの最後には、彼のCD音源をのせており、ぼちぼち売れている。

このNAVERまとめ記事はボクが作成した。

「暦の上ではディセンバーをピアノカバーして、Youtubeにアップしたらいい」と、ボクは言った。

2日後、わずか2日で、ろくに聴いたこともない曲をコピーし、Youtubeにアップした。

想像以上のもので驚いた。すごい才だな、と。

他、潮騒のメモリーやオープニングなどをカバーアレンジした。

即座にボクはNAVERでまとめた。

仲条くんの承諾を得ずに、すべてボクが勝手にやった。


プライドもクソもない。

売れていないのだから、売れている歌をカバーしたほうが近道だ。

仲条くんはオリジナルにこだわる、アーティストにありがちな自意識をもっている。

ところで、

売れていないアーティストは、売れているアーティストの事例をあげる、あげたがる。


「彼らは音楽の才能で食っている」、と。

尊敬するアーティストがいて、彼らの“売れ方の事例”が自分にもあてはまるものだ、と思っている。

それはほんの一部だ。一部でしかない。

「宝くじが当たった友人がいて、じゃあ自分も当たるはずだ」って、そんなはずがないだろう。

「自分にもあてはまる」、だなんて、あいつと自分は違うんだよな。

自分で思っているよりも自分は凡人。

「売れる」と信じているけど、「このまま一生売れない可能性」のほうが高い。そんな当たり前の確率を見ようとしない。



売れる才



さて、仲条くんといろいろ話した。

「音楽以外のことをやってみたら?」
「楽曲を提供する側にまわったてみたら?」
「ライブという自慰行為は時間の無駄じゃない?」
「抽象的熱量ではなく数字で管理してみては?」

アーティスト志望にありがちな「オレはやればできるんだ」という自意識を逆撫でするようなことを言った。

「仲条くんには華がないから一生売れないよ」

仲条ファンから殺されるであろう言葉も吐いてしまった。(ゴメン、酔ってたヨ…)


お金がないことよりも辛いこと、それは自分に才能がないとわかってしまうこと。

ここで話している才というのは、音楽の才ではない、売れる才についてだ。

音楽の才はある、でも売れる才がないということ。

この、「売れる才」の有り無しについて、どこまで痛感できているか?『痛み』であると感じられるか?


音楽の才能の有る無しなんて、どうだっていい。

音楽がうまいやつなんてゴマンといるのだから。


とはいっても、複雑な音楽を作れる賢さがあるのだから、「どうすれば売れるのか?」というシンプルなことは、本当は知っている、本当は知っているはずなんだ

でもそれを実行しない、あるいはできない。

プライドというか、誇りというか、

怠慢というか、傲慢というか、

なんというか、「こうすれば売れる」ってのを知っているのに、ボクにはない音楽の才があるのに、それを実践しないことが、「頭が固いなぁ」と思わざるを得ない。

つま先から頭のてっぺんまで、最初から最後の最後まで、“売れることだけを考えて”楽曲制作をしてみる。

そういう『経験』を見てみたいんだよ。

それでも売れなかった『悔しさ』を見てみたいんだよ。

カタルシスや物語が生まれる現場を目撃してみたいんだよ。

そのために、言わなきゃならない「黄金の言葉」、約束がある。



「売れたい」という一言



終盤、少々飲み過ぎたか。

泥酔気味の仲条くんが言った。

「オレ、売れたいです。本当は売れたいんです」

こみ上げてくるものがあった。


赤羽駅。懐かしかった。

ボクは、昔、赤羽駅で何度か路上活動をしていた。

書道の作品を並べていた。


売れなかった。だれも見向きしなかった。

自分の才能を強く信じて、闇雲に走り続けていた。

貧乏で、水道をとめられ、難儀していた当時。

「いいものを作れば売れるんだ」、そう信じていた。

でも違うんだよ。

いいものなんて、そこら中にあるんだよ。

個性的?だいたいみんな、個性的だよ。

あきらめた。簡単に。

「いいものを作れば売れるんだ」と、信じ続けるだけの精神力が自分にはなかった。

おめおめと生き延び、三十才になった。

一体、そんなボクが、なにを仲条くんに云えるというのか。

商店街を吹きさす寒風は、あの頃と何も変わっていなかった。

売れようが、売れまいが、生きている。生き延びている。

あの頃の残像が酷い後悔となって襲いかかる。

「もっとがんばっときゃよかった」って。

「もっと他にやり方はあったんじゃないか?」って。

『一度でも筆を置いた者は去らなければならない』、それが書道である、侍道である。

一度でも逃げた人間は、死ぬまで逃げ続ける。

仲条くんが、ボクに云った。


「居酒屋で晩飯を注文するなんて、福森さん、変わりましたね」


ギョッとした。

組織の傘下に収まり、気付けばボクには余裕が生まれていた。

負けるか勝つか、売れるか売れないか、二択しかなかった世界。

今では、処々方々に逃げ道がある。

「売れるか売れないか」で闘っている仲条くんからすれば、さぞ憐れな男に映ったことだろう。


帰宅後、底知れぬ自己嫌悪に苛む。

「だれかが、いまも、オレを笑っているんじゃないか?」

死にきれぬ我が身を憂う。

あのとき、もっとがんばっていれば、

いや、がんばっていなかったら、死ねなかったんだ。

「売れたい、売れなきゃ意味がない」

ボクはもっと、そう叫ぶべきだった。

まわりに届くくらい声に出して、共有できる数字であらわして、

アーティストがついついもってしまうスマートなプライドを捨てて、

「売れたい、売れなきゃ意味がない」と、

売れ線、『売れる線路に飛び降りる』べきだった。

飛び降り方は知っていたはずなのに、線路の前で躊躇していたから、電車は通り過ぎていった。

「次の電車はいつ来るのだろう?」と、ホームで待つ日々が暮れていく。