自分探しの旅を小馬鹿にする風潮に思う、憎悪の価値。


『自分探しの一人旅に行ってくる』

なんてことを言うと、せせら笑う風潮があります。

「www」といった、小馬鹿にした笑いが起きます。

なぜ笑うのか?

自分探しなどしても、“自分”は見つからないし、まして、“一人旅で見つかる”なぞいう発想の安易さが滑稽にうつるためでしょう。

『バカなの?キミ、バカなの??んなことで見つかるわけないじゃん』


と、至極、真っ当であると思うのですが、このような嘲笑がボクは憎いです。

というのも、ボク自身、自分探しの一人旅に出てしまうようなイタいやつ、当の本人であり、一言申すならば、「ほっとけよ、ほっといてやれよ」、以上であります。

さて、『自分探しの旅は無駄じゃない!』と弁解したくなるところですが、一筋縄ではいきません。

勇気がでるような文は書けませんが、思うところを述べてみたいと思います。



馬鹿にされたら、「憎悪」と「復讐心」を抱こう



「『自分探しの旅』にでることで何かを得られるのか?」

と問われれば、

「んー、なんにも得られないんじゃん?そんなんで得られたら誰も苦労せんよ。つか、そもそも『自分』なんてあるの?」

と、ボクは応えます。

大事なのはこの後、

冒頭で述べた、「せせら笑い」です。

自分探しの旅に限らず、何かにチャレンジすると、バカにされたり、笑われたりします。

ここ、ポイントはここにあります。

「人に笑われた時」のリアクションは、ふた手に分かれます。

  • 人は人、自分は自分だ、自分のやるべきことをやればいいんだ

セオリーでいくと、この対応が正しい。断然、成功するに近い人物像です。

が、どうでしょう? このような対応、できるでしょうか?

「できる!」と言う人は、そのまま続行すべきです。正解です。

他方、こういった成功法を取ることができない人間がいます。

これは、ほんとうに、どうしようもないヤツ!です。

ボクはそちらの人間です。

ボクは、次のように思います。

  • お前ら見とけよ、一生、絶対に忘れないからな

「憎悪」、あるいは「復讐心」と呼ばれるものを抱きます。

“しゃべることはあるか?”でも述べましたが、ボクは「憎悪」を重んじています。

憎悪や怒りが「強いモチベーション」となって効果的に働くことがあるのだ、
と。

自分の夢を人に笑われたら、悔しいですよね?(ふつうは)

その悔しさを、一般レベルの悔しさで留めておくのではなく、「憎悪」にまで高まっているかが肝心です。

「クソ、悔しい。負けたくない」などという、生ぬるいものではいけません。

そんなもの、3日たったら忘れてしまいます。

「憎い、復讐したい」程の怒り、そのレベルにまで高まっていなければ、その“悔しさ”には何の価値もないのです。

とてつもない怒りを抱けるか。

“悔しさ”を強いモチベーションへとつなげるには、それが本気の怒りであるか、憎悪であるかがポイントとなります。

一生忘れないような“強い怒り”が必要です。

そうでもしなければ、変わりません。何も変わってこなかった虚しい生き方への、最終手段です。



あの瞬間が“定期的”に思い出される



モチベーションを継続させること、これは大変に難しいことです。

憎悪の特徴として、“ふいに思い出される”、というのがあります。

「あのとき、あんなふうにして、馬鹿にされた、笑われた」、その瞬間の光景が、突如思い出され、あのとき感じた悔しさが、生々しく鮮明に、強烈によみがえってくる。

憎悪には、このような、ある種のトラウマのように思い出されてしまう、『忘れさせない機能』があります。

“悔しさをバネにする”といった言葉からもうかがえるように、それは進み続けるエネルギー、エンジンとなります。

憎悪は定期的に、激薬となって、己の怠惰心を粉砕し、本人の心に異常なエネルギーを、激情を呼び起こしてくれます。



ときどき思い出される憎悪



「二分間憎悪」という言葉があります。

憎悪は、先ほど申したように、「ふいに思い出されるもの」です。

ですが、一度、これを意識的に行ってみてはどうでしょうか?

「あの時、あの頃、あの瞬間、すごく悔しかった」

だれしもそういった「暗くて嫌な過去」があるかと思いますが、一度、それを思いだしてみましょう。なるべく鮮明に、リアルに、あのときのことを。

思い浮かべてみて、どうでしょうか?

ふつふつと、怒りがこみ上げてきませんか?

エネルギーを感じませんか?

『コノママじゃ終われない』、そんなチカラが、暗い感情が、ふつふつと激しくわき上がってきませんか?

ボクはしょっちゅうあります。

もしもそういった感情がわいてきたならば、これ以上は何も言う必要はないでしょう。そのチカラの強さは、自ずと自覚できるはずです。

沸々とわいてきた感情、それは憎悪のエネルギーであり、“鮮明に思い出すことが出来る時点”で、その過去は憎悪となる素材なのです。(『忘れることができない』のが、憎悪の特徴です)


“二分間憎悪という日課”、そこまではいかなくとも、人間、忘れちゃいけない悔しさがあると思います。

『ときどき思い出される憎悪』をバネにしてみてはどうでしょうか。

冒頭の話からかなりズレましたが、結論。

「『自分探しの旅』とか『厨二的イタさ』とか、いいじゃないですか。笑われて馬鹿にされることがいいじゃないですか。空っぽの自分の中に、憎悪が生まれるんじゃないですか?」




最後に



一応、述べておきます。

こんなセリフがあります。

「世の中を恨んできたはずなのに、なぜだろう? 今、死ぬ間際、こんなにも世の中を愛している自分がいる」

彼は、ぽろぽろと涙をこぼします。

愛しい、世の中が愛しくて、愛しくて、涙がでるのです。

なぜ彼は、こんなことになったのでしょうか?

彼は最期の瞬間、本当に、心から、世の中を愛すことできた、愛している、そのようにボクの目にはうつります。

こういった気持ち、心理は、説明すれば長くなってしまうので、一方的に割愛しますが、ボクは彼を肯定しています。

それでは。@ryotaismでした。