「やりたいこと」を「やりたいとき」に「やってみる」@バカ的打開案


さぁ、ブログ書くぞ。いいか、読むなよ。ゼッタイ読むなよ。何のタメにもならないことを今から書くからな。ただの自分語りをするからな。

さて、ちかごろ、考えるんだよ。

『私は一体、人生で何がしたいんだろう?本当にやりたいことは何だろう?』

もう、よくわからん。自分が何をしたいのかがよくわからんのです。

タスク管理や手帳活用、種々のライフハック術。習慣を変えてみたり、悩みごとを紙に書き出して整理してみたり。あらゆることを試す。

すると、自分の人生が“すっからかん”であることに気づかされるんだよ、これが。

嫌ってほど、自分には何もないことに気づかされる。

『私は一体、何がやりたいんだろう?わからない&見つからない。私の人生って、何もない』

中身がない。芯がない。退屈。つまらない。空虚。夢や目標もない。

「これでいいのだろうか?このままでいいのだろうか?」と云う感じになる。焦り、とりあえず、情けない。

かといって、その現状を「打開する術」が一向に見あたらない。悶々として、煮詰まって、停滞状態が続く。これが本当にキツイ。

そんなとき、ないですか?

最近、ボクはずっとそんな感じです。やってられませんわ!


『仕事をしているときの時間に身を任せる』状態



……で、こういったとき、人生に煮詰まっているとき、どうなるか?

『時間に流される』、という事態になります。

わかりやすいところが、「仕事」ですね。

だいたいの仕事は、忙しいです。

『仕事をしているときの時間に身を任せる』状態。

仕事をしているときの時間に身を任せ、とりあえず、いったん回避する。

ありますよね、こういうの。失恋したら、それを忘れるために妙に仕事に精がでるってやつ。

ところがね、根が真面目だと、仕事終わって家に帰ると、やっぱ考えちゃう。

いいのかわるいのか、ボクは「明日やることノート」や「4行日記」などを習慣にしていることもあって、考えちゃうんですよ。ボクの人生このままでいいのか、って。滑稽ですなマジで。中学生かよって感じですぜ。

「人があがいている姿」ってのは、間々、かっこよく言われますが、そんなもんじゃなくて、単に“精神的に幼いだけ”なんじゃなかろうかと思いますぜ。

これがね、結婚もしてて、子供もいれば、こんなことにはならんと思うんですよ。人生が空虚やら、どうのこうの、まったくチンケなお悩みごっこですよ。独身で一人暮らしなんざして、暇だから、悩むんでしょう。どうぞ笑ってください。


『やりたいこと』を『やりたいとき』に、やればいい



「幼いお悩み事」――とはいっても、当の本人からすれば、けっこうマジで悩んでいるわけだ。

なんとかせにゃならん。こじらせると、ヤバイことになりそうだよ。

『このままでいいのだろうかと、人生に悶々としている。そんな重苦しい、停滞状態が続いている』

こういうの、つらいよな。まさに今のボクがそういう状態っすわ。

で、思ったんですよ。

「あれ?俺って、そもそもこんな人間だったっけ?こんなんじゃなかったよな??」って。

子供のころ、10代のころ、20代前半、自分がうまくいってたときのことを思い浮かべてみる。

そのとき、どうだった?自分はどういう性格だった?どういう“動き”をしていた?


それを参考にしたらいいんじゃないか。

それって人によって違うと思うんですが、今回はボクの場合を書いてみるよ。

ボクがこれまでの人生でうまくいってたときって、思いついたことを、思いついたまま実行していたときだった。やりたいことをやりたいままやっていた、そういうとき、色々とうまくいってた気がする。

で、ボク、思ったんですよ。

「やりたいこと」を「やりたいとき」に「やる」。
これでいいんじゃないかって。

実に「バカな解答」ですよね。いかにもバカが考えそうな、典型的バカ的発言だなって、ボクもそう思いましたよ。「落ちたな、俺」って。

ちょっと、自分でも笑っちゃいました。

が、結局は、もう、こういうことなんじゃないか、と。

考えこんでも、自己分析しても、思考の整理しても、深みにハマり込んで、一向にぬけだせないんだし。

それだったらね、そんな状況なんだったら、

深く考えず、『やりたいこと』を『やりたいとき』にやってみる。即時的に、欲求のまま、“楽しそうだから”という理由だけでやってみる。

何か少しでも「おもしろそうだな」とか「ちょっとやってみたいな」とか、そういうのがあったら、『深い意味』とか『強いやりがい』とか考えずに、衝動にまかせて、やっちゃう。「なんか、楽しそう」、それだけでいいんだ。


それって、“うまそうな料理に飛びつく行為”みたいで、単細胞で、やっぱりバカっぽいのだけど、少しは何かが変わるんじゃないか。停滞している現状に、いくらか「ヒビ」をいれてくれるんじゃないか。

そもそも、ボクみたいなバカなヤツが、かっこつけて難しく賢く考えたって、うまくいかない。

なぁ?身の丈にあった、バカなりの“バカっぽい”発想でいいじゃないか?

『賢いやり方』なんて探そうとするな。『自分を高く見積もる』のはよせ。バカっぽくても、それでうまくいきそうなら、それをやればいいんだよ。

ボクはそう思った。


***

関連として、この前、『テストが近づくと部屋の掃除を始めてしまう』異常なパワーを活かそう!という記事を書いた。

内容を簡潔にいうと、「煮詰まってるなら、別のことやろうぜ」ってこと。

大事なことはある。その事を深く考えて、動けなくなってしまうことがある。

そういうときは、気分転換がてら、別のことでもやってみたらいいんじゃないかって、そう思う。

以上、恋人のできなさそうな、自分語りでした。今日も罵声をありがとう。@ryotaism


関連記事っぽいやつ



やる気を出す方法――テスト前なのに部屋の掃除をしてしまう?


どうも。どうでもいいブログです。

「こんなダメブログ、まだ続けてんのかよ?」って、そんなこと言うなよ。誰か助けてくれよ。

……さて、こんな経験はないだろうか?

“テストが近づくと、いつもはしたがらない部屋の掃除を、なぜだか急に始めてしまう”


よく聞くよね、こういうの。

これは一般的に、“現実逃避”だとか、テスト勉強を避けている罪悪感を紛らわす行動だとか、がんばっている感を得られる“すり替え行為”だとか、そんなふうに言われてます。心理学とかで。

「そんなこと知ってるわ。ちょっとでも賢いことを言ってイキりたいだけのクズ野郎だな、てめぇは。」

まぁちょっと、話を聞いてくれや。

“テストが近づくと、つい部屋の掃除をしてしまう”、そのときの、掃除にかける集中力って、すごくないですか?細かいところまで、めちゃめちゃキレイにするよね?一心不乱に。

その行為が現実逃避だろうがなんだろうが、今回はどうでもいいです。

普段は面倒臭いと思っている掃除を、なぜか完璧にこなせてしまう。

「それて、なかなか“価値”あるよね」、ということを今回は書きたいんだよ。たまにはボクの話も聞いてくださいよ、ねぇ先輩。



煮詰まったときは、すぐにやめる



煮詰まるとき、あるよね?

「やりたいこと」があるのだけど、「うまくいかない」とき。

実は最近、そんなことばかりで、途方にくれていたんだ。

「いったい、どうすりゃいいんだ?完全に煮詰まっているなぁ…」って。ため息ばかり。

そこで、さらに、いっそう、深く、長時間、考えこむ。

「ずっと考えていたら答えがでるんじゃないか?」って。

ところが、一向に事態は改善にむかわない。四六時中、考えても考えても、答えが出ない。

で、もう疲れたから、考えることを放棄した。

すると、一週間後、急に道が開けた。

「ああ、そうか、こうすりゃいいじゃないか」、と。

あれだけ考えても答えがでなかったのに、考えることをやめた途端、その答えが出た。

まぁ、これはよく言われることだ。

“煮詰まったら、休憩しろ。一回、忘れろ。いったん、課題から一歩下がれ。すると、答えがひらめくことがある。

他には、“別のことをしているときや、ふとしたきっかけで、ひらめいたりする”、セレンディピティと言われてるものとか。(このへんの詳しいことは『思考の整理学』に書かれているので参考に)

ひとつのことを考え続けても、なかなか答えはでない。別のことをしているときや、忘れたときに、その解決策をひらめくことがある。煮詰まったときは、いったん、それを考えることをやめてみる、捨ててみる。そうすると、思考が整理され、道が開けることがある。



方向転換すると、思いの外はかどる



さて、話を冒頭にやつに戻す。

テストが近づくと、つい部屋の掃除を始めてしまう、その時の素晴らしき集中力について。

これにならって、今、悩んでいるなら、煮詰まっているなら、別のことをやってみる。

そうすると、火事場の馬鹿力的な、異常な力を発揮する。

今まで思い悩んでいたぶん、別のことをやり始めると、「瞬発力」がすごい。『進みたくても進めなかった焦燥感』が一気に解放されるから。

かりにそれが“現実逃避”であってもかまわない。“サクサク実行できる”、ということに意味がある。

ただし、その“別のこと”は、部屋の掃除のように、やらなければならないこと、やって価値あることでなければならない。そうでなければ、力を発揮しても意味がない。

部屋の掃除のように、重要で、やらなければならないのだけど、面倒なタスク。そういったものがあるならば、一度そちらに目を向け、思い切って方向転換してみる。

今、私が取り組んでいることは、ひとつだろうか?

もし複数あるならば、煮詰まっていることのみに縛られず、一旦そのことを完全に忘れ、別のことに取り組んでみる。遠回しにしていたことでもよい。

そうすると、思いの外、その行為がはかどる。テスト前の部屋の掃除がはかどるように。

これはスバラシイことだと思う。

遠回しにしていたことに急にやる気がでるのだ。「めんどくせぇなぁ」と思っていたことも、悩んでいたことと比べれば簡単であるし、現実逃避できる効果も手伝い、サクサクそれを進められる。


さらに、そういった別のことに取り組んでいるうち、先に思い悩んでいたことの答えが、ふいにひらめくことがある。これこそを、“ひらめき”と云う。

よし。まとめてみる。

どれだけ考えても答えが出ない、煮詰まっていることがあるならば、いったん忘れ、悩んでいることを捨て、思い切って別のことに取り組んでみる。思いの外、その作業ははかどる。さらにそうするうち、先の難問への“ひらめき”が生まれる。否、そうすることでしか“ひらめき”は生まれない。


***

という、そんな話でした。

ふと今日思いつきたことを、忘れないうちにブログに書きとめておきました。

はたして、これがどれだけ有用で効果的なのかはわからないけど、いろんな本にもそう書いてあったし!なんとなくそんな気がするよ!

以上、かつてない嘘臭いブログ、@ryotaismでした。



「音楽が好き」と言うより「音楽を聴くのが好き」と言ったほうが伝わりやすいよね。


あー、なんか疲れた。

さて、、、

「音楽が好き」と声高に言う人より、「音楽を聴くのが好き」と言う人がつくる歌のほうがいいと思ってしまう。

なんでか? そんな話をしたい。

例によって、ボクは音楽があまり好きではないので、それこそ「音楽が好き」な人は、読んでも不快になるだけなので、本当に御免なさい。「死ねよ」って、どうぞ気軽に言ってくださいね。


「音楽が好き」「音楽を聴くのが好き」、両者の発言の違い



さて、まず。

  1. 「音楽が好き」
  2. 「音楽を聴くのが好き」

まず、そのふたつの言葉が、“どう違うか?”を明らかにしてみる。

「音楽が好き」という言葉は範囲が広い。たとえば、そこには、「音楽を作る喜び」とかも含まれちゃう。

他方、それと比べ、「音楽を聴くのが好き」という言葉は、行為が限定されている。

「音楽が好き!」っていう言葉は、範囲が広く、漠然としていて、結局、なにがどう好きなのか。言葉の真意が、いまいちよくつかめないんですよね。

これによって、どういったことが引き起こされるか?

リスナーと作り手の間で、咬み合わない、ズレが生じてしまう。

もうちょっと具体的にいきましょうか。うん。

■作り手が「音楽が好き!」と言うとき。

その“音楽”の中には、「音楽を作る喜び」と「音楽を聴く喜び」、ふたつが内包されている。(ともすれば、「音楽を作る喜び」のみだったりするが)

■リスナーが「音楽が好き!」と言うとき。

その“音楽”の中には、「音楽を聴く喜び」が中心に語られている。
(作る喜びも同時に知っている人も中にはいるが、少数だと思うので今回はいったんおいとく)


――これ、つまりどういうことか。どうなってしまうか?

作り手の「音楽が好き!」と、リスナーの「音楽が好き!」は、全く同じ言葉であっても、その意味合いは違うということ。結句、作り手とリスナーとの間で、ややもすれば、すれ違いが生じるということ。コミュニケーションが成立していない、という状況が生まれやすい。

「……は? だから何? 何をえらそうに言ってるんだよクズが」

いやさ。まれにいるじゃないですか。

「音楽が好き!」「音楽が好きすぎるー!」みたいなことを言う歌い手さん。あるいは「ライブ早くやりたいー!」みたいなこと言ったり。

『違和感』があるんですよ、ボク。その言葉を聞くたび。

知ったこっちゃないんですよ。

リスナーは確かに、音楽が好きではあるけど、その音楽という言葉には、「音楽を作る喜び」は含まれていないからさ。


「音楽を作る喜び」(あるいは音楽を表現する喜び)、そんなもん知ったこっちゃないですよ、リスナーからしてみれば。わかんないからね。

厳しいこといえば、リスナー視点にたっていない、自己満足なフレーズに映ってしまう。

「音楽好き」アピールはもういいんだよ。というか、そのアピールはアピールとして成立しない。なぜなら、伝わらないから。

「音楽を作る喜び」を基準にした『音楽が好き!』という発言は、リスナーには伝わりにくい。


“言葉選び”ひとつで読み取られる可能性



で、結論にいくけども。冒頭に戻るのだけど。

“「音楽が好き」と声高に言う人より、「音楽を聴くのが好き」と言う人がつくる歌のほうがいいと思ってしまう。”

と、そのようになるんですね。

作り手が「音楽を聴くのが好き」と言うとき、それは聴き手に「寄り添う言葉」となる。


そういった発言のほうが、リスナー視点にたった、「親近感」をあたえる言葉だといえる。

闇雲に、「音楽が好き!」と言われても、「チョ、待って!俺、知らん!そんなキミの気持ち、知らん!」となるんですよ極論。

受け止めきれない、違和感がどうしても生じてしまうんですね。

(特に、「早くライブやりてー!」とか、ちょっとよくわからないです。リスナーのテンションを上げる効果はいくらかあるかもしれませんが。想いを外にだすのが表現だとするなら、「早くライブやりてー」は表現の仕方としては、もう少し別の角度があるんじゃないかと考えてしまいます)

とにかく。

「リスナー視点に立てているか」、あるいは、「リスナーとリンクできるか」、それって、こういった言葉選び一つにも現れるんじゃないか?とボクは思うんです。

ビジネス思考の、無粋なことを言いますが(死ねって感じでしょうけど)、作り手は「音楽が好き」と言うよりも「音楽を聴くのが好き」と言ったほうが、親近感をあたえて、人を集めやすいんじゃないかと思うんです。たぶん。

追伸:「早くライブやりてー」は、やっぱり、特に意味がわからないです。


◆ ◆ ◆

「お前の文章のほうがよっぽどコミュニケーションにズレがあるんだよカス。伝わりにくいよバカ」と、そういう意見もあるかと思います。すいません。透明になって消えてしまうのが相応しい、醜い姿ですねまったく。

以上、@ryotaismでした。

音楽関連の記事




『脳が冴える15の習慣』を読んでみた:読書感想

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4140882026/amazon142-22/

『脳が冴える15の習慣』
(築山節)を読みました。

読んでよかったですねぇ、これ。いや、ほんと。

既存のビジネス書や自己啓発書でみかけたことのある内容がほとんどですが、うまくまとまってて、調度よかったです。文章も平易で、1~2日で読め終えられるボリュームでした。




『脳が冴える15の習慣』:読書メモ


大雑把ですが、読んでて印象に残ったところを、自分なりに箇条でまとめました。以下。

  • 散歩する!音読する!足・手・口を動かす!(机の片付けや掃除)。目をよく動かし、脳を働かせる。上下斜めだけでなく、遠くを見たりする。
    →脳が働く、脳を働かせる
  • 「脳の基本回転数」をあげるために、「時間の制約」を設けて取り組もう!

    【具体的な流れ】
    まずは「足・手・口」を動かし、脳の準備運動をさせ、「脳の基本回転数」が上がりやすい状態をつくる。続いて、「時間の制約」を設けて取り組み、「脳の基本回転数」を上げる。
  • 一度回転数を上がれば、面倒な仕事を勢い良く片付ける
  • 時間の制約がないと、徐々に回転数がおちていく。
    休憩を挟んで、再びウォーミングアップし、時間の制約を設け、基本回転数が落ちるまで仕事…の繰り返し。
  • 試験を受けている状態を一日の中で何回作るか、という方向で考える。
  • 時間の制約をなくすと、「何がより重要か」が判断しにくくなる。

  • 前頭葉の体力こそが重要→身近な雑用を片付けることから始める。
  • 面倒なことを毎日少しずつ解決する、体力をつける。
  • 前頭葉が低下していると、片付けができなくなる。
  • 忙しいときほど、片付けを優先させよう、ex.机まわり

  • 「書きながら考える」「書いて確認する」、情報を整理して脳に刻み込む。
  • 思ったことや情報、アイデアを書き出しておくと、視覚化され、思考が整理される。
  • 情報やアイデアを組み合わせることもクリエイト。
  • その日にやるべきことを当日の朝か前日の夜に書き出しておく。
  • 夜は大雑把に考えて、書きとめておいて、早く寝る(睡眠の整理力に期待する)。 続けることで思考がまとまってくる。
  • 起きる時間はなるべく一定にする。
  • 自分の失敗を記録する(時間帯も含め)

  • 情報を後から誰かに伝えることを前提に情報摂取する。
    出力を意識して学習すると、要点が記憶に残る(報告書やブログ、人に話すなどする)
  • 「何の役に立つのか」ではなく「誰の役に立つのか」を思い浮かべることで、範囲が狭まり、 アイデアがまとまりやすくなる。
  • 人に評価してもらうためには、自分が人を評価すること。
  • 今すでに立ち止まっている状態にある人は、目標を探すのと同時に、生活のリズムを崩さないように気をつける。朝一定の時間に起きて、脳のウォーミングアップをし、時間の制約がある生活をする。その上で、家事や雑用、小さな仕事でも積極的にこなし、前頭葉を鍛えていれば、問題になるほど脳機能が低下してしまうことは防げる。


さらに端的にまとめてみる


さらに端的に、短文でまとめてみます。以下。

  1. 「時間の制約」を設けて取り組み、「脳の回転数」をあげよう!
  2. 日常の面倒な「雑用」(片付けなど)を行って、前頭葉の体力をつけよう!
  3. 「書くこと」で思考が整理されるので、メモなど、書こう!
  4. 夜は大雑把に考えて、早く寝て、睡眠の整理力を活かそう!
  5. 誰かに伝えることを前提にして情報を学習しよう!

以上が特に印象に残ったところです。ごっつ簡単にまとめてみました。


読後に思ったこと


文章が平易ですので、中高生でもあっさり読める内容かと思います。専門的な脳科学用語などは出てこず、やさしい一冊となっています。

また、一部、先日読んだ『思考の整理』とかぶっているところもあって、本書と伴わせて読むと“効果倍増”かと思います。

生活の行き詰まりの原因は、「意志力」や「努力」云々ではなく、実は、生活環境や習慣という身近な部分にあったりします。

たとえば、“朝型”の生活に変えるだけで、随分と毎日の過ごし方が変わります。“引っ越し”や“部屋の模様替え”をするだけで、気分やモチベーションが変わることもあります。

「がんばろう」と思っても「がんばれない」場合、まずは日々の過ごし方、習慣を変えてみる。ボクは第一にそう思います。というより、そうする以外に何をどうすればよいのかがボクにはわかりません。

もともとは“ひきこもり”であり、労働意欲も低い人間です。意志力なんて、まったく無い。なので、藁をも掴む思いで、こういう本を読み、リハビリのようにして“矯正”していくしかないんですね(なんとも悲しい話ですが)。

本書に書かれている内容は、一流の人からすれば、基礎的なことなのかもしれませんが、三流のボクにはどれもハードルの高い習慣です。まずは、必死で真似ていこうと思います。そうして、いずれそれが本当の習慣になったとき、少しだけボクはボク自身を好きになれているのかもしれません。

以上、@ryotaismでした。



Amazonの価格変動を一発表示!『Amazon Price Tracker』の使い方!


いや、すさまじいツールですよ、これは。

ご存知かと思いますが、Amazonにある商品って、価格がちょこちょこ変わる。値段が上がったり、下がったり。固定されていない。

これ、つまりどういうことかっていうと、

「値段が安い時に買ったほうがいい」、ということですね。

じゃあどうやって最安値を調べられるのか?

そのためには、これまでの価格変動・推移がわかればいい。そして、いちばん安かった時の価格がわかればいい。

その価格推移のグラフを、アマゾンの商品ページで表示してくれるのが、「Amazon Price Tracker」です。

これ、とんでもなく便利です。



Amazon Price Trackerの使い方



「Amazon Price Tracker」はchrome、firefoxの拡張機能です。

利用ブラウザに応じて、まずは追加してみましょう。無論、無料。



さて、試しに、最近人気のある「ASUS T100TA」を検索してみます。(タブレットでもノートPCとしても使える2in1モデル。今ならアマゾンで台数限定2,000円OFFのクーポンあり)



商品ページの中段あたりに、「価格推移のグラフ」が表示されているかと思います。


Price Trackerグラフ


横軸が「日付」、縦軸が「価格」です。

いわずもがな、グラフの最も下がっているところが、これまでの“最安値”ということです。

グラフにマウスポインタをあてると、その日付での価格が自動表示されます。

ちなみに、マーケットプレイスのグラフが邪魔で見づらいときは、非表示にできます。さらに、スパンを「三ヶ月」「一週間」「一日」「全期間」と、選ぶこともできます。


Price Trackerグラフ、カスタマイズ


他、「設定」項目から、グラフのデフォルト表示を変えることもできます。が、私は特にいじってません。



観測したい商品がある場合:「トラッキング機能」



で、続いて便利なのが、「この製品をトラッキング」です。

「ん~、まだ納得のいく価格じゃないなぁ。」という場合、

今後、価格を観測していきたい商品がある場合、たいへん便利です。

グラフ上にある「この製品をトラッキング」をクリックしてみましょう。


Price Trackerトラッキング機能


さて、“希望価格を設定し、達した時、「メール」「Twitter」「Facebook」のいずれかで通知してくれる”、という機能があるのですが、、、私はあまりこういう登録はしたくない

その場合でも大丈夫です。

メールやTwitter項目には未入力のまま、「トラッキング開始」ボタンを押してみましょう。

「keepa.com」のトラッキング概要ページで、観測したい商品を保存、閲覧、"まとめて"管理しておくことができます。

※ただし、継続して管理&保存する場合は、Keepa.comで「アカウント登録」が必要です。

メール通知などが苦手な方は、トラッキングページに定期的にアクセスするだけでも、価格の変動をチェックできます。

RSS通知機能もあるようなのですが、、、なぜかうまいこといきませんでした(´д⊂)

……ちなみに、「keepa.com」のページでは、アマゾンで作成している自身の「ほしいものリスト」をまとめてインポートして、トラッキングすることもできます。

※これまた、事前にアカウント登録し、ログインした状態で行ったほうが後々都合がいいです。


Keepa.comほしいものリストインポート
※自身の「Amazonほしいものリスト」を一度、公開設定にし、そしてURLをコピペ、貼り付けるという手順。非公開だとインポートされない。


また、「keepa.com」では、「毎日の値下げ」など、値下げ率の高い、お得商品を見つけることもできます。



具体的な話をしよう


ASUS T100TAグラフ

たとえば、今回のASUS T100TAですが、発売当初は44,800円、最安値は38,731円です。(2014/05/10現在)

その差、6,069円です。大きいですよね、これ。

が、冒頭で述べたように、価格は上がったり下がったりします。

最安値は4月前半の38,731円なのですが、4月後半から価格は再び上昇しています。

で、予測を立てます。

「今現在は4万円をオーバーしているけれど、過去に一度、価格が38,731円だったときがあるのだから、今後再び38,731円になるときが来るだろう」、「そのときが買い時じゃあないか」、と。

あるいは、「35,000円に値下がりするまで待ちたいなぁ」というスタンスでもいいかと思います。

いずれにせよ、価格が高いときに買うより、安いときに買いたいものです。


***

Price Tracker、めちゃめちゃ便利です。利用しない理由が見当たらない。

今までアマゾンを頻繁に利用していながら今まで知らなかった俺を、誰か強く罵ってくれ。

それでは。@ryotaismでした。



「生きててよかった」と思うような瞬間の少なさについて


このタイトルの幼稚さたるやないだろう!

「君はまるで子供みたいだね。いつになったら大人になれるんだい?」、そんな言葉が頭のなかでガンガン鳴り響いているなぁ。

「堂々と胸を張って生きればいいさ」と言うけれども、いやだいやだ、悶々とした独りの生活というのは。左様な些事も、それが文学となるならば、いくらか救いがあったのに。一向に昇華しないのは、主観ばかりが先走って、結句、やはり、「もっと大人にならなきゃ」と思うばかりだなぁほんと。

自分でもなんでかわからないけど、気づいたら、“こんな大人になってしまっていた”。

ボクはそうなんだけど、キミはどうだ?

大人っていうのは結局はな、“気づいたら、こんな大人になってしまっていた”、ということでしかないんだ。


ソレ以上でもソレ以下でもないんだろうな、うん。

じゃあ、支離滅裂もこのへんにして、そろそろ本題いこう。

『生きててよかった。私はこの瞬間のために生きていたのかもしれない』、などと思うことが、この先あるんだろうか。

そんなことを近頃思う。

たとえば、ものすごく好きな人と付き合えたときとか、結婚式とかで、言うじゃないですか。思ったりするじゃないですか?

『本当に、生きててよかった。この瞬間のために、今まで生きていたのかもしれない』って。

きっとあると思うんですよ。そういう時って。

他には例えば、とっても大切な人から『あなたがいてくれてよかった』って言われるときとか。

いや、あります?『あなたがいてくれてよかった』とか、言われたことあります?

そりゃあ、うれしいだろう。感涙だよ、そんなこと言われたら。

「生きててよかった。そして、私はこの先も生き続けてもいいのかもしれない」って、今にも涙が出そうな、解放的喜び。この世界で自分の存在を認めてくれて、そしてそれを肯定してくれること。「この世界にいてもいいんだ」って思えること。

でもね、きっとそういう瞬間は、たくさんあるもんじゃない。

生きてて、“数回しかない”出来事なんだよ。そんなに何度もあるもんじゃない。

というのも、一人で獲得できるもんじゃないからだ。

そばに誰かがいることで、その影響でもって、私は「生きててよかった」と思う。

「そばに誰かがいなくちゃいけない」という“条件”がある。

ゆえに、独りの日々では、「生きててよかった」と思えることは、なかなか起こりえない。発生しにくい。

さらには、自分の周りに人がいたって、彼らを大切だと思っていないならば、それは無機質な人形のようなものであって、なんの感情も私にあたえてはくれない。

「生きててよかった」、そう思える瞬間は、簡単にはおとずれない。偶然性の高い、奇跡的な“出会い”みたいなものである。

だから、その回数を願うことは、息苦しさを一方的に増やすだけだ。「もっともっとそういう瞬間がほしい!」と欲したとて、なかなか満たされず、不満が募っていく。




まずは考えてみる。

『そばに人がいて、なおかつ、それは自分が心から大切だと思える人である』、まずは、その条件下にはたして自分がいるだろうか。

「生きててよかった」と久しく思っていないのは、『そばに人がおらず、また、大切だと思える人がいないから』、ではないか。

そんなふうであるから、求めてやまない「生きる喜び」は、待てど暮らせどおとずれない。

そして少しずつ、次第に積もってゆく虚しさは、心のふか~いところで、『寂しさ』でもって自分にダメージをあたえる。

『あれ?なんだか、さびしいな』と、ふいに思うこと、何気ない日常の中にスッとすべりこむ一瞬。美しい夕焼けをみるときような、なんともいえない物悲しさ。そんな寂しさをたびたび感じてしまう時、「いよいよ危ういな」、と思う。

『寂しさ』というのは、少しのダメージでしかない。


「寂しくて寂しくて、死にたくなるほど辛い」、なんてことはそうそうない。『寂しさ』は、辛さに直結するものではなくて、わずかな痛みだ。少しのダメージだ。

生き死にに関係ない、たかが、ちょっとした痛みが、『寂しさ』の特徴だ。したがって、『寂しさ』は、ごまかそうと思えば、ごまかすことができる。


ややもすれば、なかったことにさえできてしまう。「寂しくない」と言い張れば、本当に『寂しくない』ことにできてしまう。

が、それは一時しのぎの処方にすぎず、ひいてはおしよせるさざ波のように、再び、寂しさがチクチクと心を刺してくる。根本的な改善がなされていないから。

あんまり、それを繰り返すと、慢性的な痛みとなって、ボクのように線路をじっと見つめるようになってしまう。「いよいよ危ういな」って。

「生きててよかった」と思える瞬間は、生きてて数回しかないだろう。しかし、生きていくために絶対に必要な瞬間である(とボクは思う)。




ところで、『表現』って、なんだと思う?

『表現』というのは、芸術をやってるだけのもんだけじゃない。万人のものだ。

『表現』というのは、いわずもがな、他者との関わりであり、接触である。自分の感情や、はたまた恥部なんかもさらけ出したりして、吐露して、告白して、自分を見せて、他者にぶつかっていくことだろう。時には計算もするだろうが、いずれにしたって、“求める行為”に違いない。

ひょっとしてボクやキミは、「生きててよかった」と思う瞬間を求め、模索し、自分をぶつけてゆく『表現者』なんじゃないか。その瞬間は、表現をしていく中で出会うことができる瞬間なのではないか。

表現とは、独りでは成立しない。言い換えれば、独りではないことを成立させる。

泣き出しそうに、ふりしぼった表現が、外へと突き抜け、飛び出し、どこぞのなにかに届いた時、“そばに誰かがいて”、そしてそれが“大切な者”であったとき、抱く感情はひとつ、“生きててよかった”、ではないか。そうではないか。

「そいつぁ、あんまりにも強欲な表現だね」ってキミはいうけれど、『表現』なんてのは、そういう、凡人の凡人による、醜いほどの必死さなんだよ、たぶん。

平凡たる日常の中で、“生きててよかったなぁー”なんて思える時を、浅ましくも求めてしまう。そんなものは回数としては少ないにもかかわらず、その事実にあがらうようにして『表現』を行う。そういう生き方をする。

――が、それを行えているだろうか?はたして、自分をさらけ出し、表現ができているだろうか?この日常の中で。

「生きててよかった」と思うような瞬間の少なさを思う。


***

さて、例によって、青臭い文面となった。

こういう文を書いた後は決まって、異様に自分が情けなく思えてしまう。誰か助けてください。

それでは。@ryotaism



ブログアクセス数(4月)


4月のブログアクセス数。


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4月の記事数は、17本。

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 6月   20,405  13,854  10,421  500   16
 7月   33,958  22,216  16,964  800   19
 8月   35,895  21,879  16,660  800   13
 9月   44,426  27,603  20,288  900   16
 10月   29,218  17,652  15,543  550   19
 11月   32,277  20,414  19,189  650   14
 12月   51,532  32,772  30,438  1,050   14
 2014 


  
 1月   65,987  41,512  38,098  1,300   17
 2月   40,890  25,902  23,573  900   20
 3月   48,521  31,223  28,191  1,000   14
 4月   50,082  32,431  30,686  1,080   17

※解析はGoogle Analytics

一日の訪問者数でみると、おおよそ1,080


4月の記事


先月、主な記事8本。



4月、ふりかえってみて


特段、思うことはないのですが、一点、先月に変更したことがあって、広告数を減らしたことです。

広告が多いと、やはり読み込み速度が遅くなるんですね。

そのへんのユーザビリティの改善は、今後も大事な課題であると思っています。

訪れてくれて、このような駄文でも読んでくれる人がいるのだから、“読みやすい環境”を整えていきたいと思います。

それでは、5月もがんばります。


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