向上心がないのは満たされているからか?

向上心

「贅沢な悩み」に違いない。

ちかごろ、“満たされている”ような気がする。

充足感――「日々に不満がない、どちらかというと満足している」

今のボクは、そんな状態かもしれない。生活にたいした不満がない、まずまず満足している。

しかし、その結果、ちょっと極端な言い方ですが、『何にもやる気が起きなくなった』。たとえば、「行動を起こす」とか、「何かを変えてやろう」とか、そういった気持ちが萎えてきている。

以前は、もっと、いろんなことに焦っていた気がする。「やらなきゃ」「急がなきゃ」「変えなきゃ」「動かなきゃ」「このままじゃダメだ」といった焦燥感や向上心の類に囚われていた。

ところが、精神的に満たされてくると、そんな思いが薄らいでくる。“焦り”がなくなる。切迫感が減って、“のんびり”と過ごすようになった。

『……なにか、これでいいのだろうか?』と、思った。今日、思った。

「贅沢な悩み」であることに違いはないし、こんなところにわざわざ書くことでもないと思う。まったくバカだと思う。

――が、どうにも簡単に見過ごしてはいけないような違和感があって、丁寧に取り扱おうと思ったのである。

今から書くのはボクの幼稚な“自分語り”だ。そういうのを読むのが好きな変わり者だけが読んでほしい。


80点の毎日――“満たされている”とは?



そもそも、“満たされている”感じとは、一体なんなんだろうか?考えてみた。

あくまでボクの場合、ボクの場合ですよ。次の3点なんだ。

【人間関係】【収入】【仕事】――この3点に満足がいっている毎日は、ある程度『幸福』なのだ。不満のない、満たされた毎日であるということ。

今のボクは、バランスよく、この3点を満たしている。点数をつけるならば、『80点の毎日』である。まったく不満がないわけではないが、おおむね、満足がいっているのだ。

【人間関係】――いっしょに飲み行く友達がいる、そこでおもしろい話や、目標を語り合って、ボクは非常に満足している。また、職場においても、笑い合ったり助け合う同僚がいる。一体なんの不満があろうか。

【収入】――決して多いとはいえない。かといって、アルバイトのように少ないわけでもない。貯金すれば、多少の贅沢もできる。キャベツ太郎を主食としてた過去の自分と比べれば、じゅうぶんすぎるほどである。

【仕事】――しんどい時、辛い時はある。が、楽しい時もある。やりがいを感じる時だってある。世の中には、自分には向いていなくて、1から10までしんどい・辛い仕事がある。それと比べれば、今の仕事と巡り会えたことは、実に幸せなことだと思う。

無論、これらはボクの感じ方であって、他者からすれば、「え?これのどこが80点?2点だよ、2点!」というかもしれない。

が、ボクは過去の自分と比べてみて、「満たされているじゃないか」と思うのである。

このような日々が今後も続くとは限らない。が、ひとまず、このような日常に身を任せて過ごしているのは事実である。

ボクは、今のボクの生活に、不満がない。


「幸福感」と「飢餓感」の関係


飢餓感

話を主題に戻す。

このように満たされていると、いまいち向上心がわかない。満たされているのだから、別段、何かを求める必要がないからだ。

毎日の幸福感や満足感は、向上心や飢餓感といったもの忘れさせる。


逆に、今の毎日が不満であればあるほど、何かを得たくて、行動をする。「やんなきゃ」「がんばんなきゃ」と思う。

以前と比べて、どこかボクの向上心が萎えてしまったのは、そこそこ今の生活に満足し、飢餓感が減ってしまったからだと思う。

それはそれでいいのかもしれない。

しかし、忘れてはいけないのが、今のボクの生活はあくまで『80点の毎日』であって、『100点』ではないということだ。

いつなんどき戦争や災害が起こるかわからないご時世で、「80点」、あるいは「退屈だ」と感じる日々というのは、本当は幸せなことである。平和であるということ。したがって、やはり『贅沢な悩み』であることに違いはない。

が、はたして、だからといって、このまま、『現状維持』でよいのだろうか?なにか、それはそれで違うような気がするのである。

ボクは考えた。この違和感はどこからくるのだろうか。そして気づく。

「満たされている毎日に目を奪われて、『満足であること』に満足してしまって、『足りていない部分』に目を向けていないんじゃないか」、と。

おおむね、満足している。が、『足りていない部分』もまた存在する。しかし、満足の毎日に隠れているがため、また、「満足してしまっている」が自分がいるため、そのことを忘れているのだ。

その『足りていない部分』こそが、残りの『20点』ぶんなのであり、違和感の源流となっている。

幸福感はあっても、違和感がある。妙な言い方だ。幸福なのだから、違和感など、本来無いはずなのに。

つまり、幸福感だけではいけないのだろう。それだけでは『100点』にはならないのである。

「幸福感+◯◯=100点」――幸福感だけでは100点にはならない。◯◯という決定的なピースが足りないのである。

では、ボクにとって、◯◯とは一体何が当てはまるのだろうか?


やっぱり、これは、「向上心」なのだろうと思う(ボクの場合)。「今よりももっと」、という気持ちであり、「現状に満足するな!」という行動である。汗である。汗を流したいのだ。

――しかし。

毎日の幸福感や満足感は、向上心を遠のかせる。


どうすべきだろうか。


「幸福感」から遠のいてみる



「向上心」獲得のために「飢餓感」が必要である。

今の生活にボクは満足している。そんな調子では、とても飢餓感など芽生えないだろう。

よって、日々の幸福感や毎日に対する満足感から、遠のく必要がある。

幸福感や満足感から、いったん離れてみるのである。そうすれば、満たされている毎日の陰に隠れていた「足りない部分」も見えくてる。

芸人の中には、わざと家賃の高い部屋に住む者もいる。これと同じ手法である。

わざと自分を過酷な環境におくことで、自らの「向上心」をあおるのである。不満のない今の環境を変えてみる、安心から離れてみるのだ。

たとえば、仕事を辞めてみる。あるいは、貯金を使いきってみる。これは“いきすぎ”かもしれないが、わかりやすくいえばそういうことである。仲の良い人間関係からちょっと離れてみる、といったことでもいい。

そうすることで、それまで80点あった幸福感が40点に下がるかもしれない。しかし、それによって得られるものが60点であれば、トータル100点になる。

――という仕組、手法だ。

ボクはそんなことを今日思った。そうしたほうがいいと思った。

幸福であっても違和感がある――変じゃないですかやっぱりこれは。力の限り「変えなきゃ」と思うんです。言い過ぎかもしれないけど、死んだっていいというくらいの気持ちで。


★★★

さて、とんだ“自分語り”であっただろう。幼すぎて、ちょっとひいたかもしれない。

でもね、先輩。ボクは謝りませんよ。恥ずかしいだなんて思いませんよ。駄文であっても一生懸命書いたなら、先輩は笑ってくれると信じているんですよ。

以上、@ryotaismでした。