Youtube広告の『好きなことで、生きていく』という言葉が好きじゃない。

Youtube

毎朝ね、新宿駅で降りて、通勤するんです。

そしたらね、いたるところにポスター広告が貼ってあるんです。

ひょっとしたら、Youtubeとかで見たことあるかもしれない。

『好きなことで、生きていく』っていう言葉。

YoutubeおよびYoutuberの広告ですね、コレ。

ボクね、なんかね、『違和感』あるんですよ。この言葉を見ると。

この言葉ってね、“挑発的な言葉”だと思いませんか?

これ、「『好きなことで生きていない人』に向けて、好きなことで生きてませんよね?」と言っているように聞こえませんか?やや極端かもしれませんが。

もしも、みんなが「好きなことで生きている」なら、この言葉はなんの意味もない。みんながそうなんだから、言ってもなんの効果もない。「好きなことで生きていない人」がいるからこそ、この言葉は成立している。

つまり、“わかって言っている”。「好きなことで生きていない人」がいることをわかって、こういう言葉を言っている。

なんかね、ボクはこういう言葉、あんまり好きじゃないんです。

「好きなことで生きていくことが善い」というような感じがあって、ちょっとそれってどうなんだろ?って。

好きなことで生きていかなくてもいいでしょ。って、ボクはそう思っている。

なんかさ、「好きなことで生きていくのが素晴らしい」みたいな感じで言われると、じゃあ「好きなことで生きていない人」は?その目線、「好きなことで生きていない目線」が、この言葉には全然感じられないな、って思うんです。最初に述べた『違和感』というのは、このへんにある。

好きなことで生きていかなくても、ふつうに生きているだけでも全然いいですよ。

「好きなことで、生きていく」という視点は、ひとりの人間の視点でしか無い。が、あたかも複数視点であるかのような、「皆、本当はそうしたいと思ってるでしょ?」という感じがあって、「ん?そうなのかな?…もし、かりにそうであったとしても、それがどうしたよ?わざわざ言うことか??」と思ってしまうんですね。

「好きなことで生きていけたらいいなぁ」って、そういう願望はね、ボクにもある、すごくある。でも、そのことが素晴らしいことだとは思わないし、公言・主張しようとも思わない。個人的な望みでしかない。

「好きなことで、生きていく」ことは、いいことかもしれない。でも、たいしたことでもない。

そんなことより大事なことがあるんじゃないか?、と思うんです。

「好きなことじゃなくても、生きていく」、そのほうがよっぽど大事だろう、と。

言うなら、もし主張するならば、ボクはそちらのほうを言う者でありたい。かりにボクが、“動画で何かをやる”としても、そういったことを言いたいし、決して、「好きなことで、生きていく」なんてことは言わない。「好きなことじゃなくても、生きていく」と言う表現者でありたいと思う。

好きなことをやっていない人生なんて、つまらないだけかもしれないが、じゃあそれがダメなことかといえば、別にダメなわけではない。んなもんは、人それぞれである。

が、「好きなことで、生きていく」というフレーズには、なにか、そんな人生を“否定”するかのような、イヤな挑発を感じる。一般人をけん制する、やや上から目線の物言いとなってしまってて、どうも好きになれない、「もっと他に言い方はなかったか?」と思うのである。

(「好きなことで生きていくこと」も、きっちり認める。それでこそ、本当の意味で、自由や多様性を認めることだろうと思う)


ボクはYoutuberが好きだ。Youtubeで自己表現をしている人たちが好きだ。そういう“働き方”があることを全面的に賛成、肯定している。

だからこそ、「好きなことで、生きていく」とか聞くと、「ん?そんな安っぽい理由なの?」と思ってしまって、残念に思ってしまう。(※無論、皆が皆そうではないし、これはボクの好みの話です)

なんか、違うんだよ。自分がYoutuberに対して思っていたことと、チョット違うんですよ。

Youtubeでご飯を食べていくという働き方は、「好きなことで、生きていく」というスマートな発想ではなく、「好きなことじゃなくても、生きていく」という泥臭い発想から生まれたもんだとボクは思っていた。

Youtuberにせよブロガーにせよ、「好きなことで生きていきたい!」とか、そんな“楽しげで面白そう”な理由ではなくて、生き延びるための手段、苦肉の策、“泥水を飲んでも生きる”ような、ブサイクな理由から始まったものだと思っていた。生きることに必死にしがみついた結果、見出されたものなんじゃないかって。

「好きなことで、生きていく」とか、ちょっと、かっこよすぎるんですよ。

ボクだけじゃないかもしれないけど、生きていくって、もっとブサイクで、つまんなくて、「それでも生きるか」と重い腰を上げて、しぶしぶ生きていくことであって、「楽しいことなんて、そもそもあまり期待していませんよ」と思っているんです。

それを「諦め」だと言うなら、そうかもしれない。

批判するつもりは全然なくて。「好きなことで、生きていく」、これは閉塞的な日本を切り開いていく、自由で前衛的な発言なのかもしれない。

が、「ボクはそういった立場じゃないなぁ」ということを書きたかった。ボクは「好きなことじゃなくても、生きていく」スタンスで、「好きなことで、生きていく」とか、あんまり好きな言葉じゃない。もっと他に言い方はあるし、他に言うべきこともあるんじゃないかなぁと思った。

眠いんでそろそろ寝ます。先輩も早く寝てくださいよ。

では、@ryotaismでした。