しあわせになりたいと思いますか


ask.fmをやっております。


ask.fmというのは、質問サイトですね。“何か質問あったらください”、というものです。

で、先日、こういう質問がきました。

“しあわせになりたいと思いますか”

短い質問ですが、重いなぁ、と。

“しあわせになるにはどうすればいいですか”という形式が一般的かと思います。だいたいの人がしあわせになりたいですし。

ところが、“しあわせになりたいと思いますか”という質問には、“なりたくない”、あるいは、“ならなくてもかまわない”という意味合いが込められているようで、しばらく考えました。

で、自分なりに返答しました。以下。


しあわせになりたいと思いますか


“しあわせ”のかたちは人それぞれだと思うのですが、

例えば、「好きな人と結婚して、家庭を築いて、子育てをして、金銭的余裕もあって、夢中になれるもの があり、華々しい社会的成功と地位を得、豊かな老後生活をおくる」というのが、多くの人が思い描く一般的な“しあわせ像”(わかりやすい“しあわせ”のか たち)なのではないかと思います。

でも、そのような状況にあっても、例えば、 お金があっても、“しあわせ”だと思えない人もいる。逆に貧乏でも“しあわせ”だと感じる人もいる。相田みつをではありませんが、結局は、“しあわせはじぶんのこころがきめる”のかもしれないなぁと思います。

つまり、“しあわせ”は、生活環境などによって「与えられるもの」ではなく、自らが「感じ取るも の」であり、その感性をもちあわせているかどうかか肝心になってくる。

“しあわせになりたいと思いますか”、と問われれば、ボクはなりたいです。幸福を感じたい、というのが正確な言い方になります。が、そのためには、その「幸福 を感じられる『感性』」が必要となる。その感性を持ちあわせていなければ、どんな状況であっても、“しあわせ”にはなれない、と思うのです。

その感性を養うにはどうすればいいか――「不幸を感じられる『感性』」が求められるだろうと思います。「貧乏を経験してはじめてお金の大切さを学ぶように」「健康な人は健康のありがたみを知ることができない、病気になったとき、当たり前の健康が当たり前ではないことに気づくように」、逆側を知ることで気づけること、感じ取れるものがあります。その逆側の視点、感性をもっているかどうか。「不幸を感じられる『感性』」がいくらかなくては、目の前の幸福を「幸福である」と感じることは難しいのではないかと思います。

お腹がいっぱいだと、 どれだけ美味しい食べ物であっても、美味しく思えない。少々、腹の空いた状態のほうが、美味しく食事をいただくことができる。これと同様で。一切が幸福で 満たされると、それはそれで退屈でつまらないのかもしれません。ですが、少しの不幸、「不幸を感じられる『感性』」があれば、その幸福は重みを増し、大切に想うことができる。

あえて厳しい道を選ぶ人、または、不幸なほうを選んでしまう人というのは、“しあわせ”について考えているがゆえ、“ふしあわせ”について知りたいという欲求があるんじゃないか。「幸福を感じられる『感性』」 を追い求めている、だからこそ、不幸を感じられるほうに近づいていってしまうのではないか。――と、そのように思うことがあります。

ボクは“しあわせ”にはなりたいです。が、そのためには、“しあわせ”の逆、“ふしあわせ”は、決して欠いてはいけない視点だろうと思います。なので、“しあわせ”になりたいと同時に、“ふしあわせ”も心の中では求めています。

理屈っぽい文になってしまいましたが、何かの参考になれば。

◆ ◆ ◆

、、、という感じです。

なんだか、教科書的な、先生の言葉みたいで、気持ちの悪い返答になってしまいましたが、お許し下さい。

不幸になりたいとは思わないですが、なぜかそこに惹かれてしまう瞬間がある、おかしな動物ですね、人間。

それにしても、私の理屈っぽい文章、なんとかなりませんかね…。ブルーハーツの歌詞みたいにストレートな物言いがしたいですよこの頃。

ではまた。@ryotaismでした。


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