「許す」ことができない場合の「憎悪」をどうするか?


以前からやっているask.fm(ryotaism)に、質問が届きました。


“ かつてひどい仕打ちをされて未だに怨んでいる相手がいます。その人の現在の職場を知ってしまいました。当時私は善人ぶり何も仕返しをしませんでした。そのせいか、憎しみが何年経っても消えません。すみません、私が望むのは世の中から憎しみという感情をなくすことではなく、私の全く個人的な憎しみの感情を、どうにかコントロールして、最終的には終わりを迎えたい、ということです。いろんな本を読んで自分なりに気持ちに落とし前をつけたつもりだったのに、些細な出来事で振出しに戻り、また愚かな復讐心に苛まれます。福森さんは許せないだれかを、どういう方法で許してきましたか。”

簡単ですが、自分なりに回答しました。何かの参考なれば幸いです。


「許す」ことができない場合の「憎悪」について


「あくまで私(福森)の場合はどうであるか」、について書かせていただきます。

“憎い相手をどうやって許してきたか”――。

人を「許す」ということがボクの場合、ほとんどなかったかもしれません。

たとえば、その憎い相手が、謝罪してきたというなら「許す」ということもありますが、そういったことは滅多にない。

なので、「許す」という場面は、ほとんどないです。

ちなみにボクは、何か嫌なことがあると、根に持つタイプで、ずっと覚えています。そのときの景色、匂い、声、表情、音…細かいところまで鮮明に記憶しています。たまに思い出しては、「悔しくて寝れない」ということもあります。

それを「許す」ことなんて、ボクにはなかなかできません。自分の過去に対する憎悪は、そうそう簡単に消えることはないと思っています。ひょっとしたら一生残り続けることだってありえる。

では、「許す」ことができない場合、憎む気持ちをどうすればよいか?

ボクは、2つに分けて、その思いを整理、昇華させています。

※以下、①と②に分けて書きます。


①「憎い」「悔しい」という強大なエネルギーを別の方向に活かす


自分で言うのもなんですが、ボクはこれがとても得意だと思っています。

「悔しくて寝れない」ということがなかったら、ボクは今の今までがんばってこれなかったとさえ思っています。

「うれしい」「たのしい」だけでは、ここまで来れなかった。しんどいときに、ふんばることができなかったと思います。

「あいつを絶対に見返してやる」という復讐心をモチベーションに、がむしゃらにがんばったこともあります。それは今だにあります。今だに「あいつだけは許せない」はあります。

はたして、それが良いのか悪いのかは、わかりませんけども、自分の中で沸き上がってくる強大なエネルギーを、「憎悪」としてただ溜め込むのではなく、別方向に放出させること――これは間違いなく、私が行動を起こす“ひとつの原動力”となっています。

なので、「憎悪」「復讐心」という感情をボクはとても大切にしています。イコール、それがボクの行動力となっているからです。

また、憎い人の顔が、ふいに思い出されてしまったとき、それは何かしらのサインである可能性が高い。近頃なさけない自分、あるいは、ありふれた怠惰な日常に対する警笛であると解釈して、憎いという感情を、とことん“活かしてやろう”、“利用してやろう”とボクは考えます。

――“悔しさをバネに”などというと、 それは安っぽく聞こえるかもしれませんが、極端なことを言って、“悔しさ以外にバネとなるものなんてあるのだろうか?”とさえ思います。

要は、それくらいに憎悪という感情は貴重で、こんなにも強いエネルギーは滅多になくて、それをできるだけ良い形で、何かに活かすべきだ、そういうふうにボクは考えております。


②そんなことを忘れてしまうほどの「楽しいこと」「幸せなこと」を求める


“あれほど嫌だったのに、いつの間にか忘れていた”、ということがあります。

これは、嫌な過去が決して消えてしまったわけではなく、そんなことを忘れてしまうほどの「楽しいこと」「幸せなこと」があったからだろうと思います。憎しみを覆い隠せるほど、「楽しいこと」「幸せなこと」があれば、過去の嫌なことを忘れることができます。

これは言い換えれば、「忘れる」という形で「許す」ということなのかもしれません。もし、「許す」ということを重視するのなら、これがそれに近いやり方ではないかと思います。「今が幸せであるなら、嫌だったことも許せる」、このようなことが、いくらかは実際にあるだろうと思います。

“憎しみを忘れ、相手を許すにはどうすればよいか?”――そんなことを忘れてしまうほどの「楽しいこと」「幸せなこと」を、積極的に追い求める、そちらを追求してみる。

また、他者を憎んでしまう心があっては、気分も悪く、「楽しいこと」「幸せなこと」が遠ざかっていってしまうので、忘れるその日まで、心の片隅にでもそっと静かに置いておくこと。

「楽しくって、いつの間に忘れていた」、こういうのも、なくはないですよ。

先の①と比べ、これは平和的で健全であろうと思います。

◆ ◆ ◆

以上です。これはあくまでもボクの場合です。

根強く残り続ける憎悪もあれば、徐々に薄れていく憎悪もある。

今回は①と②を書きましたが、いずれにせよ、憎悪という感情を軽蔑したものではありません。むしろ、その感情が生み出す、新たな可能性に目を向けています。決して無価値の感情ではないと思います

何かの参考なれば幸いです。ではまた。@ryotaismでした。


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