優柔不断な性格が『清水の舞台から飛び降りる』ために覚えておきたいこと。


どちらかというと“優柔不断”な性格です。

悩むんですね。何をするにしたって。ボクはそういうタイプです。

悩む、悩む、とにかく悩む、三度のメシより悩む…。

で、結果、『優柔不断な性格で、即決ができない』という事態に陥る。

ワンテンポ遅いんですね、というか、“そのまま終わってしまった”なんてことも多々あります。ありませんか?

これが自分にとってなかなかの短所だな、というのは、気づいているんです。無理やり長所にするのもよくない。

じゃあ、どうするか――。

ボクは“意識的”に思い出すことがあって。『テンションと勢いを大事にしよう!』、 ということ。

たいへん愚かしい文ですが、これがとても重要だと。


清水の舞台から飛び降りる


『清水の舞台から飛び降りる』――という諺をご存知かと思います。

清水の舞台から飛び降りるとは、思い切って大きな決断をすることのたとえ。

実際に清水寺で、“清水の舞台”を見たことありますか?

けっこう高いんですよね。というか、あんなもん、ほとんど“崖”みたいなもんですよ。しかも、そこそこ絶壁なやつ。

頭で考えていたら、決して“崖”からは飛び降りられないんですね。思い切った決断ができない。

なんで、“崖”から飛び降りられないか??

『下』を見るからです。崖の『下』をみると、怖くなって、躊躇してしまう。

したがって、『下』を見ないで飛び降りる――でも、それってどういうことか?どういう状態なのか?

それこそがまさに、“テンションと勢い”です。何も考えず、『上』だけを見ている状態です。

『まぁ、なんとかなるやろ!』『大丈夫っしょ!』というもの。向こう見ずで、頭で深く考えず、“テンションと勢い”だけで実行する、

――そうすると、どうなるか?

崖から落ちて、大怪我します。複雑骨折くらいはすると思います。当たり前ですね。

ポイントなのは、『私、あまり怪我してこなかったよな?』ということです。

優柔不断な性格ですから、安全に生きてきましたから、たいした怪我をしたことがない。


人は『失敗』からしか学べない



“人は『失敗』からしか学べない”――と云います。

今の仕事、どうやって仕事ができるようになりましたか?その過程には『失敗』がつきものではなかったですか?そして、その『失敗』を経て、今の自分がいるんじゃないですか?

“清水の舞台から飛び降りる”ってのは、そういうことなんですよ。

大怪我して、立ち上がって、プロになれ、ってことなんです。

崖の『下』をみると怖気づいてしまいますから、“テンションと勢い”で、『下』を見ずに、思い切って飛び降りてしまうこと。

その先に待つのは、往々にして怪我と失敗。しかし、それによって、飛び降りる前の自分よりも、確実に私は成長することができる。――といった狙いをもって、飛び降りてみる。少々怖いものがありますが、目をつぶって、その時のテンションと勢いに身を任せてみる――。

たとえば、『成長したいのか、したくないのか、どっちだ?』というシンプルな問いかけに、どう答えるか。

「成長したいです!」というなら話は簡単なのですが、厄介なパターンは以下。

『……そもそも“成長”とは何なのか?』

実はこういう“思考派”、“自問自答派”の人ほど、“清水の舞台から飛び降りる”。というか、“飛び降りる”しか選択肢がない。

何度も頭で考える。思考する。でも一向に答えがでない。だったら、一つしかない。“いっそのこと何も考えず、テンションと勢いで、飛び降りてみる、やってみる”。どうやら、それしか方法はない。

◆ ◆ ◆

しかし、一点だけ気をつけて欲しいのが、清水の舞台から飛び降りたとき、怪我ではすまないことがある。稀に、取り返しがつかない事態に陥ることがある。つまりは、死んでしまうことがある。(だいたいは死なないものであるが。“案ずるより産むが易し”で)

ほとんどはそんなことはないが、仮にもしそうなったらどう思うか?

これに関しては、“テンションと勢い”では誤魔化せない、一つ上の話。覚悟があるか、自分の根底にある思想の問題。「それでもかまわんよ」と思えるか。思想の話。

結局のところ、『やる人はやる、やらない人はいつまでたってもやらない』ということかもしれません。

が、そんな本人の根深い性格こそ“清水の舞台から飛び降りる”ことでしか変わらない、と思うのです。

――と、たいそうえらそうなことを書いていますが、いうまでもなく、ボク自身が実行せねばなりませんね。すいません。

ではまた、@ryotaismでした。

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