ベトナムでバイク転倒したときの話。


先日、ベトナムのムイネーでバイク転倒してしまって。で、右腕を派手にやっちまった。「血」がですね、だらだらと滴り落ちるような、ちょっとした惨事でした。太陽照りつける、とても暑い日でした。

うずくまって痛みをこらえていたら、通りかかった現地住民に拾われて、そのまま病院に直行。無事、大事には至らず、助かりました。

そんときの話でもしたいなと思います。

久しぶりでした。こういう怪我をしたのは。

転がるんですね、バイクというのは。いや、地を滑る、といったほうがいいか。砂利道をザザザーっと滑っていくバイクを一瞬、僕は横目で見た。少しして、バイクはピタと静止した。同じ格好で僕も地面に横たわっていた。

派手にこけたものだから、砂ぼこりが舞っていた。それが口に入るのが妙に嫌で、早く起き上がりたかった。しかし、すぐにはできなかった。痛い、とにかく痛い。右腕がビリビリする。ヒリヒリではない、ビリビリと「痛」が刺さる感じ。

ちょっと、青空が目に入った。気温を感じた。風がなくて、乾いている。暑い。額に汗が滲んだ。多少痛みを我慢してでも立ち上がったほうがいい――そう思った。

漸う、中腰の姿勢になったとき、自分の右腕がだらんと垂れた。見ると、数ヶ所が赤かった。皮膚の削れたところから、どくどくと血が出ていた。


近くに砂丘のある、何もないへんぴな地である。炎天下、血の臭いに誘われた数匹のコバエが、傷口周りを旋回していた。生々しい。得たいの知れない怖さが襲った。だがゾクゾクする、変に興奮する。月並みではあるが、「これが生きている実感か」、なぞ思った。

『歓喜』。楽しくも嬉しくもない、悲しくて辛い。だが、実のところ、心の奥底は喜んでいる。痛みによって、意識は鮮明に、鋭利に、研ぎ澄まされていた。いつもより景色がはっきりと見える。鈍くない、ぼーっとしていない。夢遊でない現実感があった。細胞が『歓喜』していて、つられて私の心も踊る。

軽トラックの荷台に乗せられ、病院に向かう途中、傷口を洗おうとペットボトルの水を直接ぶっかけた。激痛のあと、下から上に向かって、全身から一斉に「笑い」が込み上げてきた。道を急ぐ軽トラック――。流れる青空を見上げ、私は久しぶりに心から笑った。

病院、治療、帰宅…そのあとは一気に時間が過ぎた。


レンタルバイクの修理代は、想像を越える金額であった。途端に意気消沈した。“ただお金を払うだけ”という不毛さに、元気を失う。ベッドに打っ伏し、「こういう痛みは本当に不快だ」と思った。

――が、実はこの種の「痛み」こそが、真に最も現実的、リアルな痛みなのではないか? ……先ほどの肉体的苦痛と歓喜は、実際は全然現実ではなくて、夢の中の出来事であったように思えてくる。幻をみていたのではないか、と。

僕は本当に痛い現実には目を背け、それを越える現実感はないかと夢見ていたのかもしれない。突然舞い降りた偶然のイベントに、ここぞとばかりに期待して、作り上げた幻想に浸る。ベトナムに来ても、まったくそのへんの幼稚さに抜かりはない。

8月末まで、旅は続く。頑張りたい。@ryotaism