「辛い」を何と読むか。変われるのか。


「辛い」という字を見て、“ツライ”と読んだ人はちょっと疲れている人――だなんて、とんだ言い草がありますけども、じゃあ“カライ”と読んだ人は悩み事がないかというと、そんなはずがない。

しかしまぁあれです、わからんでもないというか、「ひょっとしたら」、と思うんですね。というのも、「楽しめる人」と「悩む人」、キレイに二手に分かれますから、一体これはなぜだろうと。その根本には、考え方というか、決定的な見え方の違いがあるんじゃないか。

「何でも楽しめる人」ってのが、いるんですよ。「楽しむチカラ」をもっている人。逆に、何でも悲観的に考え、悩んでしまう人もいる。フツーのことなのに、マイナス面ばかり見てしまう。「楽しめないチカラ」が働く人。

これはもう、はっきり異なる二種です。

楽しめる人、つまりは、悩まない人ってのは、いつどんなときも、「辛い」を“カライ”と読む人なんですよ。「ツライって何さ?」――なんでもプラスに考えるから。楽しめるチカラがあるから。ツライってそれ一体ナニさ?

「辛い」を“ツライ”と読むのは知っているけれど、そちらは選ばないんです。日々、選んでいないから。“ツライ”よりかは、“カライ”になるんです。

……私からしたら、こんな思考、驚愕でありますが、この天地の差、埋めたいんですよどうしても。『目の前のことを楽しむチカラ』が欲しいんですよ。ワタシ、そういう人になってみたい、って。

うらやましいわけじゃない。何でもかんでも楽しむ人って、なんだかバカっぽく見えますしねぇ。でもじゃあ、いつまでたっても楽しめない根暗な自分はもっとバカじゃないか。バカバカしい、ああ、バカバカしいったらありゃしないね。だって、いつまでも変わらないままなんだから。

成長するというのは、「なりたいものになること」ではなくて、「変化する」という、単に、ただそれだけのことである。“どのように”変化するかは問われない。

変われ。とりあえず変われ。それ即ち成長である。

変化が成長であるなら、まだ、成長するんですよ。驚くべきことに実はまだ成長するんです。かたや、型にはまって「ワタシはもはやこういう人間だから」って、それはもう諦めたんです。諦めちゃったんですね。

虚しい虚しいって言いながらいつまでも生きてる自己矛盾に業腹。情けなくて自分を壊したいって衝動に駆られるのに、気づいたら周囲が焼け野原なだけで、自分は傷ひとつない。結局自分が一番大事な坊っちゃんお嬢さんで、「またこれか」って、あとなんべん涙する。

楽しめるチカラがほしいな、そう思ったなら、変われるんじゃないか。「辛い」を“カライ”と読む人になれるんじゃないか。人間そうそう簡単には変われないのだから(大事なところは変わらないのだから)、安心して変わろうとすればいい。そう思った。@ryotaism