夕方五時のチャイムが鳴るのを今日も聞いた。


野暮ったいブログでどうしようもないんですが、せっかくここまで続けてきたのだし、もうちょっと引き摺ってやろうと思って書いています。近頃は魂が抜けたような、腑抜けた毎日を送り、“本を読み、酒を飲み、本を読み、酒を飲み…”の繰り返しで、面白い文章なんてのは、書くもんじゃなくて読むものだと、つくづく思います。でも、料理を作らず食べるだけの美食家みたいになるのも、自分には不似合いだと思うわけで。

「きっとろくな死体にはならないだろうな」

何をするわけでもない。時計の針のリズムで毎日は経過していく。夕方五時のチャイムが鳴るのを今日も聞いた。街の向こうに今日も夕陽が落ちていった。「死んでも、ろくな死体にはならないだろうな」――などと思いながら、三十代無職が鬱々とスナック菓子を食っている様は、ちょっと救いようがない。(にしても、夕方五時のチャイムの物悲しさたるや、死にたくなっちゃうから辞めたほうがいい。あれを聞いて一体だれが元気がでるんだよ)

ところで、なんで僕はこんなことをブログに書いているのか。承認欲求といった“高次”なものではない、もっと幼い。どうやら僕は寂しいのかもしれない。独りであることに耐えられないのかもしれない。だからブログやTwitterといった、“どこぞで誰かがみている場”に、こっそり顔を出すのだ。一円にもならないのに、こんなことを書いているのは、貧乏よりも(あるいは貧乏と同程度に)、孤独を恐れているからだ。

恋人も友達も家族も、何もかもが信じられなくなるときがある。そんなときは、“人間以外のもの”に救われる。おいしい料理を食べたとき、うつくしい夕陽を見たとき、すばらしい本や絵と出会ったとき、とめどなく涙がこぼれてくる。“人間以外のもの”だから孤独な自分と共鳴する。張り詰めた琴線に、そっとやさしく触れることができる――。だから、孤独なときは、本を読め、映画をみろ、おいしいものを食べろ、美しい景色をみろ。“人間以外のもの”に感動することで、私は私の孤独を知り、解り、納得し、受け入れ、孤独のままでも生きていく一先ずの知恵や工夫を得る。

さりとて、孤独は孤独。“さよならだけが人生だ”、なんて言葉もありますが、恋人がいても友だちがいても、孤独は孤独。ずっと一人ぼっちだ。そして『今までもずっと一人ぼっちだった』ということを改めて知る。夕方五時のチャイムを聞きながら。@ryotaism