死ぬまでにあと何回笑えるか。2015年秋。


なんか超絶暗いタイトルですいません。いやでも、今から書く内容は、私にとってはとても前向きなんことなんですよほんとうに。

死ぬまでにあと何回笑えるかってことを考えるんです。

僕はいつか必ず死んでしまいます。いつまでも生きられるわけじゃないんですね。生きているから今この文章を書いているけど、死んだらもう文章は書けなくなる。

笑える回数って決まってる。昨日笑いましたか? 笑った? じゃあそれ、死ぬまでに笑える回数の一回分を消費したってことです。明日は笑いますか? じゃあそれ、死ぬまでに笑える回数の、貴重な一回分ですから、覚悟して笑いましょう。

なんでも有限なんですね。楽しいことも、辛いことも。なんでも有限。いつまでも続くわけじゃない。だから一瞬一瞬を大切に生きよう、だなんて、ベタですがマジなんですよこれは。

どれだけ今が幸せでも、いつか死にます。どれだけ今が不幸でも、いつか死にます。死んでもずーーっと続く不幸なんてない。不幸って、死んだら終わるんですね。

死んでも不幸な人間なんていない。死って、やはり怖いことですが、一部の人にとっては、いつか必ず死ぬということが「救い」だったりするんですよね。それは自殺を選ぶということではなく、生き続けた先には「解放」という意味の、救いの死が自分を迎えてくれるということ。

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『どうせ死ぬんだ、やりたいことをやれ!』『どうせ死ぬんだ、悩んでも仕方ないぜ!』――なんてこと云わないですよ。そう思えば思うほど、本当は虚しくならなくちゃいけないんだから。もしこの類の言葉で奮起しているなら、「どうせ死ぬ」ということを正面から理解できていないんじゃないか。むしろ、その虚しい事実から全力で逃げようとする、事実にフタをしようとする言葉じゃないか。

哀しいに決まっとるんです。「死ぬまでにあと何回笑えるか」ということを考えたとき、その笑いには、いつまでも続かないんだという涙が同時に流れるべきだって。今日の笑い、明日の笑い、その笑顔、ともだちの笑顔、目の前にいる恋人の笑い声、それ、永遠じゃないんです。笑いながら、どっか泣けてくるんですよね。笑顔って。

アノ人の笑顔がとても魅力的にみえるのは、アノ人の笑顔が美しいからではなく、桜と同じで、その美しい笑顔が永遠ではないからだ。とても死なんて連想できないような、明るく眩しい笑顔である。しかし、そんな笑顔でさえもいつか必ず死んでしまうのだ――と、そう思ったとき、言いようのない哀しさと、愛おしさが込み上げてくる。

死ぬまでにあと何回笑えるか。私の笑顔もそうだし、アノ人の笑顔もそう。笑いながら、どっか泣けてくるんですよね。我々の笑顔はそれでいい。――という話。@ryotaism