2016年、おもしろかった本3冊。


年の瀬です。

湯船に浸かりながら、2016年を振り返っておりました。

「今年読んだ本の中で、特におもしろかったのは何だろうなぁ」

思い浮かんだのが三冊ありました。

『結婚できない男』という傑作ドラマを観た。


Amazonのプライムビデオ『結婚できない男』が観れる。観た。

おもしろかった。

観るのは三回目。ほんとうにおもしろいドラマだと思う。

阿部寛さん主演。2006年のドラマ。おすすめです。

Amazonレビュー↓ めちゃ評価高いです。
 


◆ ◆ ◆

かくいう私も三十歳をすぎ、独身であります。

20代の頃、よく言ってました。

『結婚とか興味ない』

そんなふうに言っていると、たぶん、本当に結婚しない。できない。

『結婚とか興味ない』、口ではそう言っているけど、心のなかでは、

「たぶん、いつかは結婚するだろうけど…」、と思っている。内心。

「いまは結婚には興味ないけど、30歳を越えたら、さすがに結婚するんじゃないか」、と思っている(思っていた)。

しかし、どうやら結婚はそんなに甘いもんじゃない、と思われる。

待ちの姿勢、つまり、【やってくるもの】だと解釈していると、結婚はむずかしい。さらに、『結婚とか興味ない』とか言っていると、ますますむずかしいのである。

結婚なんて、したい人がすればいいし、したくない人はしなくてよいのであるが、

【結婚しない勇気】もないのに、かっこつけて、強がって、「結婚なんて興味ない」と言っていると、それは現実となって、「本心はそうじゃなかったのに……」てことになりかねないので、【結婚しない勇気】がはたして自分に本当にあるのかどうか、問うてみる。@ryotaism


ASUS『E200HA』を買った。


特に書くこともないのですが、、、気分転換にブログを書いてみる。

寒くなったなぁ最近。

「Select like a Boss」という便利なものを見つけました。


前々から、リンク文字をドラッグコピーするとき、なんかやりにくいなぁ…と思ってたんですよ。

これをプレーンテキストと同じように選択(ドラッグ)できるようにしてくれるのが、「Select like a Boss」。

まさに“かゆいところに手が届く”ようなアドオン。最近できたやつかと思いきや、けっこう前からあるっぽくて、もっと早く導入しとけばよかった…。これはホントすばらしい。

生きる理由がないのに生き続けるって無理ゲー説


実に浅はかなタイトルですが一寸思ったので。

『“生きる理由がなくても生き続ける”。それって、はたしてできるんだろうか?』

「生きる理由なんて必要ない。“生きている”、ただそれだけで尊いことなんだよ」ーーとはよく聞くのですが。生きる理由がないのに生き続けるって、けっこう地獄じゃないかそれって。はたしてそんなこと可能なのか??

『底』からが人生だ。


底からが人生だと思う。

“人生のどん底”、なんてのは、そうそうめったにないけど、

“何をやってもうまくいかない”、ということは、けっこうある。

うまくいかないことが続くと、どうしたって精神的に落ち込んでしまう。

あがいても、もがいても、良い方向に進まないし、改善策も見当たらない。

「『うまくいかない』のは偶然ではなくて、私がダメなやつだから『うまくいかない』のかもしれない」

徐々に、自分に自信がなくなってくる。

自分に自信がなくなると、ともなって、自分の将来にも自信がなくなる。

将来に希望が見いだせない。自分の明日に、期待ができない。

僕にはそういったときがあって、挙句、人から嘲笑われているような錯覚さえも起こって、なにやら、“人生のどん底”といった様相を呈する。

『底からが人生だ』と言う。

しがみつくほどの人生なのか


「貧乏はイヤだ。ホームレスにはなりたくない」
「死ぬことが恐い。できれば健康で長生きしたい」

これが私の正直な気持ちである。

私は貧乏になることがイヤだ。そして、死ぬことを恐れている。

しかし、一方で、「そこまでしがみつくほどの人生だろうか?」、と思う。

かじりついてでも生きなければならないほど、私の人生は価値あるものなのか。

なぜに一体私は、そこまで自分の人生を大切に取り扱おうとしているのか。

なんだか無性にブログの書きたい気持ちになった。


なんだか無性にブログの書きたい気持ちになった。

20代のときは、何かあれば、思いの丈をブログにぶつけていた。

落ち込んでいるとき、自分で自分を励まそうと、ブログを書くことがよくあった。

でも30歳を越えてからは、「さすがに、もういい大人なんだから、そういうのはやめよう」と、距離をおくようになった。高校生じゃないんだから。もういい大人なんだから。

しかし、そもそも何で僕は、ブログなんぞ書いていたのだろう。夢中になって。

それはおそらく、「自分の話を聞いてくれる人」がほしかったのだと思う。

本当は、そんなことは、日常生活のなかで、友人や恋人にうちあければいいことだ。

悩みごとがあるなら、まわりに相談したり、愚痴ったりすればいい。

「誰かと感情を共有する」。そうして、前へと進める。後ろ向きの気持ちを、前へと向かせる。

しかし、どうしてなのか、僕の場合、そういった環境がなかった。そういう人がいなかった。いや、いたのかもしれないけど、ちゃちな自尊心が邪魔をして、本音を話すのが不得手になっていた。

ひとりが好きと言っているうちに、本当にひとりきりになってしまった。

結果、自分のなかのモヤモヤした気持ちや、落ち込んだ自分を、ブログに綴った。綴ることで解消するような者になったんじゃないか。

けれど、それを読んでくれる人が必ずいるわけではないし、読んでくれても何のリアクションもないことがあるから、つまり結局それって、「自分の話を聞いてくれる」というより、たんなる「独り言」に過ぎない。

でも、独り言であっても、その独り言をブログに書いたりすることで、自分で自分を慰め、それはそれなりに、「泣いてすっきりする」みたいなデトックス効果があった。

ふと、孤独を感じることがある。働くことが辛くて、ふさぎこむことがある。なんだか、もう生きていくことをやめてしまいたくなることがある。正直、今、僕にはそういう瞬間がある。精神的にまいってしまうことがある(そんなことは10代の頃からしばしばあったので、つまりは、自分は所詮そういったタイプの人間なんだろう。また、そんなことは、多くの人が同じ経験をしているのかもしれない)。

ちなみに僕は現在33歳で。「なんで自分は、こんなことで、こんなにも弱いのだろう」、比べて、まわりの人がとてもたくましく見えてくる。周囲が、とんでもなく器用な人、猛者に思えてくる。

かたや、僕はといえば、落ち込んだとき、ブログにその思いを書き込み、自らを慰めている。

そんな気持ちで綴っている。なんだか無性にブログの書きたい気持ちになる。

こんなこと、これは間違いなく、“恥ずかしながら”、ではある。“おいおい、子供じゃないんだから”、ではある。しかし、もうそれでいい。もうそうするしかない。芸術でなくてもよい、表現でなくてもよい。必死の生存戦略である。どうしようもない。がんばろう。@ryotaism

『逆ギレする人』は、むしろ『キレにくい人』


ちょっと思っただけで、なんの確証もないのですが。

「『逆ギレする人』って、怒りっぽい人のイメージがあるけど、実はその逆で、むしろ『キレにくい人』なんじゃないか」

お月さまは、なぜ落ちないのか。


お月さまは、どうして落っこちないのだ。
お星さまや、お天とうさまと仲よくお手てをつないでいるからだ。
だから人間も、みんな、仲よく手をつながなければいけない。

それはわかる。

だがどうして貧乏人だけ手をつなごうと言うのだ。
どうして、金もちだけ、のけ者にするのだ。
金もちだって、人間ではないか。

金もちには不正な者が多い。
しかし、貧乏人だって、みんな善人とは限らない。


こんなふうに考えるのは、おれが金もちになりたいと思っているからかな。



最近読んだ、山本有三『路傍の石』の一文。

「だから何?」ってハナシですが、いや、なんとなく、いい文だなぁと思って載せてみた。

月が落ちないのは、星と手をつないでいるから。人間も、そんなふうにして、みなで手をとりあって生きていこう。支え合って、働こう。

これってとてもキレイな言い方、キレイな言い分なんですけど、キレイすぎてちょっと、うさん臭い。

世の中は、だれかが損をして、だれかが得をするようにできている。

33歳になった――思い描いたことは実現する!


先日、8月14日、33歳になった。

おいマジか、俺もう33になるのか。

もういい加減若くない。完全にこれは若くない。

「もうあとは死んでいくだけだなぁ」

年をとると、そんなことを思う。

「もうあとは死んでいくだけ」

『たかだが33歳で何を言ってやがるんだ』と言うかもしれないが、そう思ってしまうのだから、僕も参っている。

この先の人生、金持ちになることも、有名になることも、結婚することもないだろう。――今現在、そのような状況であるから、きっとこの先もそうだろうと思う。

『自分の未来ってのは、自分が思い描いた通りになる。
マイナスなことを想像すると、それが本当に実現してまう』

どこかの女がそんなことを言ってたけど、本当にそうだなぁと思う。

この先の人生、金持ちになることも、有名になることも、結婚することもない。僕がそう思っているから、きっとそうなるだろうと思う。

思い描いたことは実現する。

***

「そこそこの収入で、そこそこの人間関係で、まずまず生きていければ、とても幸せだ」

下手すりゃ、仕事を失い、借金を背負い、孤独に陥るかもしれないんだから。僕の性格上、その可能性はじゅうぶんにある。

普通に生きていける保証なんてどこにもない。

当たり前に普通に生きていけたなら、それはとても幸運なことです。

そういうふうに思うようにしています。

「もうあとは死んでいくだけ」、そういうことを考えていると、飛躍して、「もういっそのこと死んでやろうか」とか思うんですよね。どうせこの先、生きてても、いいことなんて無いだろう。あったとしても、些細なことだろう。

そんなふうに思ったりしないために「当たり前に普通に生きていけたなら、それはとても幸運なことだ」と思うようにしているとするなら、それはちょっと違いますよね。

思い描いたことは実現します。@ryotaism

私の弱さと、家族。~関東に住んで~


千葉に移り住み、一年ばかりが経った。埼玉で約九年ほど過ごしたのと比べれば、それはまだまだ短い期間と云えるだろう。

にしても、まさかここまで長く関東圏に居座るとは、毛頭想像していなかった。


大学卒業後、なんとなし就職した会社から勤務移動を命ぜられ、なんとなし京都から埼玉へと移り住むこととなった。特に私はその指示を拒むことなく、そのまま受け入れた。できれば関西圏に留まりたい――といった執着は露程もなかった。地元愛なんぞ、私には少しも無い。

そもそも、生まれ故郷である三重県ではなく、京都への大学進学を希望したのは、実家、地元から少しでも離れたいという気持があってのことだった。

「寝て終わる休日」について。


夕方。睡魔に襲われる。うとうとと、布団に横になる。目を閉じた瞬間、ロウソクの灯がふっと消えるように、意識が消失する。

気づけば二十時。部屋の明かりはつけっぱなし。べっとりと窓の表面には黒が塗られている。燦々と陽の光が降り注いでいた外の景色はもうない。

「また寝てしまった」

身体が疲れているのか、近頃は休日のほとんどを寝て過ごしている。ちょっとこれではいけないな、と思い、昨夜早めに就寝し、たっぷりと睡眠をとった――にもかかわらず、またしても眠りに落ちてしまった。外出すればこのような事態を回避できるのかもしれないが、そう都合よく外に用があるわけではない。やむなく室内で過ごすと、注意を払っていても、いつの間にか布団の中で眠っている。

せっかくの休みだから、内容の濃い一日を過ごしたい、と思うのだが、寝て終わり。いや、なにもこれは休日に限った話ではない。私の人生がそのようにして経過している。淡々と年を重ね、三十二歳。来月には三十三歳になる。昨年の誕生日、日記をしたためた。あれから約一年が経つ。しかし、まるでその実感がない。

「時の流れを肉眼でとらえることはできないが、実はとんでもない猛スピードで、人生のラストへと突き進んでいるのではないか」

映画館に行って、帰ってきた話。


休日。たまには映画でも観ようと思い、京成線船橋方面行きの電車に乗った。車内は空いており、座ることもできたが、扉口付近で立ったまま、窓の外の景色を眺めていた。晴れた日中の昼下がり、ではない。すっかり日は暮れ、車窓の外は、家々の灯りが爛々と猫の目のように暗闇で光っていた。二十一時以降のレイトショーであれば、通常よりも幾分チケット値が安くなる。それを見計らって出発したのだった。

無論、共に観に行く者はおらず、一人である。誰かと映画を観に行くというような交友関係は、今の私にはない。どこを探しても、そのような友達、いや、知人すらいない。それについて特に私が思うことはない。これまでそういう生き方をしてきたが故の自然な結果であるし、また、私自身、望んでその道を選んできたのだ。例えば、「さびしい」といったことを、今更そのようなことを思うのは、調子がよすぎる。が、そうはいっても、もし、それでもそのような感情がどうしても込み上げてくるというならば、忘れよう忘れようと努めるか、或いは、我慢し抑えつけるのが、適切な振舞だと思う。

「L字型テーブル」を買ったりする最近の生活について


机が届いた。L字型の机だ。組み立てるのに一時間ほど要したが、出来上がった姿を見て、思わず「おぉ」と感嘆の声が漏れた。L字型ということもあって、これはなかなか立派な見栄えである。

組み立てた机を部屋の一角に据え、一週間前に購入した回転式のオフィスチェアに腰掛けた。椅子には肘掛けが付いており、また、背中全体を受け止めてくれる背もたれのおかげで、随分とリラックスができる。今までの座椅子生活とは、見た目も快適さも大きくレベルアップした。

黒光りする真っ新の机の上に、ノートパソコンやタブレット、マウス、スピーカー、ハードディスク……などを並べた。タブレットなんざ、たいして興味のない代物であったが、先月の給料日、某大手通販サイトでタイムセールが行われており、安かったのでとりあえず購入した。おかげで近頃は、月額五百円の動画見放題サービスを利用し、映画などをタブレットで観ることが増えた。

自分よりも先に親のほうが早く死ぬ。親孝行について。


私よりも親のほうが先に死ぬ。その可能性は高い。

それは私に限らず、だいたい皆そうであろう。

『自分よりも先に、親のほうが早く死ぬのだ』

といったことを思うと、一寸、焦りを覚える。 

親が死ぬ前に、なにかしら親孝行をしたほうがいいんじゃないか。

あの頃、僕らはまだインターネットを知らなかったよね。


人生ではじめてインターネットをしたのは、たしか十九歳のとき。

だから、小中高、僕はインターネットをやったことがない。

今はどうだろう。

スマホやパソコンで、二六時中、インターネットをしている。TwitterやらブログやらネットニュースやらAmazonやら……。

今じゃそんな生活が当たり前になったけど、過去、小中高、僕はインターネットをやったことがない。

あの頃、僕はまだインターネットを知らなかった。

山々に囲まれた、田舎で育った。

僕は高校生にもなって、駄菓子屋でうまい棒を一本だけ買っているような、みるからに童貞でまさに童貞だった。卒業まで第一ボタンは外さなかった。

Amazon『Fireタブレット』を購入:“コスパ”が最大の特徴であり唯一の特徴


先日、Amazonで買いました。

Fireタブレット


通常価格8,980円ですが、母の日で-1,000円、さらにプライム会員だと-4,000円、

結果、3,980円で購入しました。

レビューしようそうしよう。

『365の話。』終了します




昨年の12月24日より続けてきたYouTubeチャンネル『365の話。』ですが、一旦終了することにしました。

聴いてくださった方、コメントしてくれた方、本当にありがとうございました。

“365日毎日更新”を目指してしゃべってきたのですが、途中で終了することとなり、見事に失敗してしまいました。

「できるかどうかわかんないけど、とりあえずやろう」と、勢いで始めた企画でした。「なんとかなるだろう」と思っていましたが、「なんとかする力」が自分にはなかった。

ドラマ『ゆとりですがなにか』がおもしろい――“世間とゆとり”とのやりとり


日本テレビでやっている『ゆとりですがなにか』 というドラマをTVerで毎週無料視聴しておるのですが、これおもしろいです。

そもそも、“ゆとり”とはなんぞや?

――いや、実のところ僕にもよくわからんのですが、本ドラマにおいて、或る“ゆとり社員”が、上司に向かって次のようなことを言います。

「その飲み会、強制っすか」

「先に言っておきますが、褒められて伸びるタイプなんで」

実際こんなヤツがいるのか? “ゆとり世代”と言われる者、皆が皆、こんなはずがあるまい。

というかそもそも、“ゆとり世代”だとかって一括りにするのはどう考えても無理があるよな、と思います。

でもって、“ゆとり世代”という言葉は、賛否、どちらかというと“否”の意味合いで使われることが多くて、言われる側の気持ちを忖度すると、これはたまったもんじゃないだろうなと思います。

が、とりあえずそういう話は一旦おいといて――。

おもしろいんですよね。

「その飲み会、強制っすか」

とか、もうね、一周まわっておもしろい。おもしろいと感じる。

何かに挑戦して、そこで死ぬ、男にとってそれ以上幸せなことはない。


“何かに挑戦して、そこで死ぬ、男にとってそれ以上に幸せなことはない”

――と、いつか友人が言っていたのを思い出した。

はたして、それが本当にそうであるのかは知らんが、個人がそのような思想をもって生きることは別にいいんではないかと思う。

“挑戦して死ぬこと”について、成功は問われない。肝心なのは、挑戦することそれ自体である。

たとい、“失敗し、死んだ”としても、彼は幸せなのである。いやむしろ、挑戦して死ねるなんてこれ以上ない幸福、本懐であるのだ。

「夢を追いかけ続けたい、そんな一生がいい。闘いながら死んでいきたい、そんな死に方がいい。」

……と、熱っぽく語る友人。それは感情的かつ抽象的すぎて、僕にはいまいちよく伝わらなかったけど、そのときの僕は妙にシンパシーを感じた。

友人の言葉を僕なりに言い換えると、それはつまるところ、『難しいことに挑戦したい、挑戦し続けたい。簡単なことより、実現不可能なレベルの難しいことを、一生をかけて取り組みたい。そのほうがやりがいがある、そんなに人生に憧れている』という、きっとそのようなことであろう。

“何かに挑戦して、そこで死ぬ、男にとってそれ以上に幸せなことはない”

わかる。なんかそれ、わかる気がするぞ。難しいからこそ挑戦したくなるんだよな。そのためなら勉強も努力も厭わない。一生をかけたってかまわない。そうだよな。挑戦、という言葉がやっぱり好きなんだろうな。

僕は彼の意見に同調した。嬉しくなって、挙句、感謝の思いさえ芽生えた。

「やっぱりお前は最高だな!」なんてことを僕は、そのときの気分、勢いに任せて、ついうっかり言ってしまった。すると彼は、「調子にのるなよ」と言い、睨みつけるような目で制した。

気持ちの問題ではない、これは行動の問題であり、「目に見える形で体現できているか」、そうでなくては全く不毛、憧れではなく確固たる覚悟を問うている。それは容易なことではない。

――彼の瞳は黒いビー玉のように鈍く光っていた。その鋭く冷たい眼光に、「口だけじゃなくて、血でサインしろ」と言われた気がして、臆した僕は、躊躇したまま、保留し続け、現在(いま)に至るのだった。@ryotaism

今よりマシな人間になりたかった


ブログ――前回の投稿から、1ヶ月以上が経った。

『365の話。』を始めて、爾来、目に見えて更新頻度が低くなったなぁ。さすがに毎日更新となると、いろいろと時間をもっていかれる。

といっても、たわいもない話をしているだけだから、さして負担ではないのだけれども。

Amazon『Audible』とは?――アカウント作成、解約、感想など。


Amazon『Audible』
利用して、2ヶ月前が経ちました。

Audibleは、“オーディブル”と読みます。

『なにそれ?はじめて聞いたんですけど』という人もいるかと思います。

Audibleは一言で言うと、「本を朗読してくれる」サービス。

オーディオブックとも呼ばれます。

本を読むのではなく、“本を聴く”、といえばわかりやすいかも。

本のジャンルは、小説、ビジネス書、語学、ライトノベル、落語、対談……など多様。

では、利用してみた感想などを、ちょっと書いてみます!

『明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやれ』というベタな正論の“つまらなさ”について



昨今、流行っている正論のひとつに、

『明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやれ』


というのがあります。

いつの世にも、正論を押しつけてくる大人はいます。

『明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやれ』という正論。それは紛れもない“正論”であり、間違っていない。

一昔前は、このような考え方は少々異端で、変わり者が考えるような発想でしたが、今はまったくそんなことありません。巷にありふれています。

『明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやれ』、これはいまや、凡庸で通俗的な、“ベタな正論”となりました。完全に。


つまり、特別な考え方、個性的でもなんでもない“フツーの発想”、ということです。

なので、こういった正論を声高に述べる人に対し、「ベタな正論を主張しているなぁ…」と思う人が昨今増えているんじゃないか、と僕は思います。

ありふれた発想なのに、さもこれが特別であるかのように語っている場に遭遇すると、「いや、それについてはけっこう周知されているよ」と、思わないでもないのです。

自殺のライセンス――寺山修司「青少年のための自殺学入門」を読んで


こんにちは。

寺山修司青少年のための自殺学入門を読みました。



“自殺のライセンス”という言葉がでてきます。

「そうだよなぁ」と同意しながら、読みました。

ぎりぎり追いつめられた中小企業の経営者の倒産による自殺は、自殺のように見えるが実は、“他殺”である。

膨張しすぎた資本主義社会の歪みから出てくる自殺は、自殺いかんを問わず、他殺であるから、私の<自殺学入門>のカテゴリーからはみ出す。


自殺と他殺をわけて考える。他殺は自殺ではない。

一見、自殺にみえても、紐解けば、実のところ“他殺”であるということがある。それは自殺ではない。


自殺のライセンス


自動車運転に免許証が要るように自殺にもライセンスが必要なのだ。

自殺の価値を守るために“事故死”や“他殺”“病死”と“自殺”との混同を避けたい。ノイローゼで首を吊った、というのは病死だし、生活苦と貧乏に追いつめられてガス管を加えて死んだのは政治的他殺である。

月9『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』、日向木穂子のメール全文書き起こし


ハマってます。おもしろいっす。

フジテレビで放送中のドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』。いわゆる月9です。


巷では略して“いつ恋”などと呼ばれております。

メインキャストは、高良健吾さんと有村架純さん。

現在、四話まで放送。(※ちなみに、最新話ならTVerで好きなときに無料で観れますよ)

最初観たときは、「高良健吾さんの役、そのまんま横道世之介じゃねぇか…」と思ったのですが、観ているうちにどんどんハマってしまいました。

とりわけ、高畑充希さん演じる“日向木穂子”が、突出してすばらしい。

観ていない人にはさっぱりわからないかもしれないですが……

第三話で、日向木穂子が曽田練宛てに送ったメール文がとてもよかった。(観てた人、ここ、ほんとよかったですよね? 僕だけじゃないはず…)

――で、暇だったので、そのメールを全文書き起こししてみました。

「お前どんだけ暇なんだよ」って言わないでください。よろしくお願いします。

ではどうぞ。

noteが流行っていますね。僕もやっています。


こんばんは。今回は宣伝です。

一日一話しゃべる、『365の話。』というラジオをやっています。

YouTubeまたはnoteで公開しています(内容はどちらも同じです)。




昨年の12月24日から始めて、今現在、約40本公開。残りまだ300本以上あって、先行き長いですが、楽しんでやっていこうと思います。


にしても、空前のnoteブームですね。一気に利用者が増えているようで。

今から二年ほど前、ブログに書きました。


「noteと歌い手は親和性が高い。ぜひ活用してみよう」という記事。

先行者優位、なんて言葉がありますが、noteを活用して有名になろうという人は、今から始めてももう遅いかもしれません。が、試してみてもいいんじゃないでしょうか。

面白いと思ったら“早めに実行する”。“なんでもやってみる”。

これって基本的なことですが、大事だと思います。

向上心とか、貪欲な気持ちって、吐き気をもよおします。でも、たまにはいいんじゃないでしょうか。たまにある意識高い系は、許されると思います。僕はそうあってほしいなと思います。

では寝ます。

mixiページで手記を綴っています↓よろしければ。以上@ryotaism

mixiのアカウントを追加登録する方法――2つを使い分けよう


知ってました?

いま、mixiってアカウントを「2つ」もてるんですよ。

ひとりで2つのアカウントをもつことができます。

ログイン・ログアウトをすることなく、2つのアカウントを自由に切り替えることができます。

本垢/サブ垢みたいに使い分けてもいいし、

アカウントAは「プラベート用」、アカウントBは匿名で「情報収集用」、というふうに使い分けてもいい。

では早速、アカウントを追加する方法をのせておきます。

“口は災いの元”は大正解――「本音」とは即ち人に嫌われること


“口は災いの元”、なんてことを言いますが――。

口は災いの元とは、不用意な発言は自分自身に災いを招く結果になるから、言葉は十分に慎むべきだという戒め。
うかつに言葉を発するべきではないという戒め。

本当にその通りであると思う。

余計なことまでしゃべってしまい、自分で自分の首を絞めたり、はたまた、他者を傷つけてしまったり。「あー、失敗したな」と、後悔することがある。

本当に、口は災いの元だ。

「余計なことしゃべらなきゃよかったな…」と、しょっちゅう思う。

“なにもしゃべらない”のが一番安全だと実に思う。余計なことをしゃべって、これ以上、嫌われたくない。そして、これ以上、人を傷つけたくもない。『なるべく余計なことはしゃべらないようにしよう』。口は災いの元だ。

――しかし。言葉にしてしゃべることで、良いことだってある。

自分の意見を主張することで、事態が好転することがある。生き抜いていくために主張をしなければならないときもある。思いを伝えることで、わだかまりが解消することもある。

“なにもしゃべらない”のが一番安全にみえて、実は一番危険、ということがある。“なにもしゃべらなかった”結果、とりかえしつのつかないことになって、あとあと後悔することもある。


本音 ≒ 人に嫌われる


僕は最近、「僕の本音の大半は、人に嫌われるものだ」と気づいた。

「メメントモリ」という流行語について思うこと


3~4年ほど前から、かなぁ。

“メメントモリ”という言葉を、色々なところで見かけるようになった。

“メメント・モリ”とは――。

ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。

直訳すれば「死を想え」。

簡単に言えば、「(自身にいつか必ず訪れる)死を忘れるな」といった意味。

この言葉を使ってる人をよく見かけるのですが、なんか違和感がある。それについて書いてみるわ。


“メメントモリ”という流行語


何がきっかけかわからないけど、ネット上でこの言葉はどんどん広まっていった。

たとえばTwitterとか、自身のプロフィールとかに、“メメント・モリ”という言葉を載せる。座右の銘と、公言している人もいらっしゃる。

“メメント・モリ”という言葉は、すっかり流行語と化した。流行語のように使われている。

手記「落ちていたものを拾う」を連載します@mixiページ


先日、『夏の駄駄』『不労不詩』販売停止についてお知らせしましたが。

昨年の7月頃から、こつこつと書き綴っているものがあります。

手記であり、また、“私小説的なもの”です。

これを連載形式で、mixiに掲載していこうと思います。

表題は、手記「落ちていたものを拾う」。



読むのはすべて無料です。

また、mixiページなので、アカウントをもっていなくても読めます。

『夏の駄駄』『不労不詩』販売停止と、Youtubeチャンネル『365の話』開始。


ちょっとした報告を。

Amazon Kindleストアで、『夏の駄駄』『不労不詩』という二冊を出版していたのですが、本日、これらの販売を停止しました。

購入し、読んでくれた人には感謝しています。ありがとうございました。

理由は色々とあるのですが、たいした理由ではないので、控えます。いつか話せる日が、たぶん来ると思います。

*****

もうひとつ、報告。

以前からYoutubeにちょこちょこ動画をあげていたのですが、

「365の話。」
という新たなチャンネルを開設しました。

365日毎日更新を目指して、一日一話、一年間やってみようと思います。




内容は、思ったことや、考えたことをしゃべるだけの、個人の個人による個人的なラジオです。昨年の12月24日から開始しました。

失敗するかもしれませんが、なにもやらないとなにも変わらないので、やってみようと思いました。

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ブログもyoutubeも、更新状況などはすべて、Twitter(@ryotaism)に書き込んでいきます。恥をかくのは嫌だなぁと思いつつ、がんばろうと思います。


2015年、マジで買ってよかったもの。


こんばんは。

2015年、マジで買ってよかったものをのせておきます。本気ですよ。


AROMAKIFI:シャンプー



まずはコチラ。シャンプー。

AROMAKIFIのノンシリコンシャンプー。

いままで、薬局で安いシャンプーを買っていたのですが、「30代はこういうところにお金を使うべきだよな」と思い、Amazonで評判のいいAROMAKIFIを購入。

香りがめちゃめちゃいいです。感動しました。今後も使い続ける予定。