『明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやれ』というベタな正論の“つまらなさ”について



昨今、流行っている正論のひとつに、

『明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやれ』


というのがあります。

いつの世にも、正論を押しつけてくる大人はいます。

『明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやれ』という正論。それは紛れもない“正論”であり、間違っていない。

一昔前は、このような考え方は少々異端で、変わり者が考えるような発想でしたが、今はまったくそんなことありません。巷にありふれています。

『明日死ぬかもしれないから、やりたいことをやれ』、これはいまや、凡庸で通俗的な、“ベタな正論”となりました。完全に。


つまり、特別な考え方、個性的でもなんでもない“フツーの発想”、ということです。

なので、こういった正論を声高に述べる人に対し、「ベタな正論を主張しているなぁ…」と思う人が昨今増えているんじゃないか、と僕は思います。

ありふれた発想なのに、さもこれが特別であるかのように語っている場に遭遇すると、「いや、それについてはけっこう周知されているよ」と、思わないでもないのです。

自殺のライセンス――寺山修司「青少年のための自殺学入門」を読んで


こんにちは。

寺山修司青少年のための自殺学入門を読みました。



“自殺のライセンス”という言葉がでてきます。

「そうだよなぁ」と同意しながら、読みました。

ぎりぎり追いつめられた中小企業の経営者の倒産による自殺は、自殺のように見えるが実は、“他殺”である。

膨張しすぎた資本主義社会の歪みから出てくる自殺は、自殺いかんを問わず、他殺であるから、私の<自殺学入門>のカテゴリーからはみ出す。


自殺と他殺をわけて考える。他殺は自殺ではない。

一見、自殺にみえても、紐解けば、実のところ“他殺”であるということがある。それは自殺ではない。


自殺のライセンス


自動車運転に免許証が要るように自殺にもライセンスが必要なのだ。

自殺の価値を守るために“事故死”や“他殺”“病死”と“自殺”との混同を避けたい。ノイローゼで首を吊った、というのは病死だし、生活苦と貧乏に追いつめられてガス管を加えて死んだのは政治的他殺である。

月9『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』、日向木穂子のメール全文書き起こし


ハマってます。おもしろいっす。

フジテレビで放送中のドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』。いわゆる月9です。


巷では略して“いつ恋”などと呼ばれております。

メインキャストは、高良健吾さんと有村架純さん。

現在、四話まで放送。(※ちなみに、最新話ならTVerで好きなときに無料で観れますよ)

最初観たときは、「高良健吾さんの役、そのまんま横道世之介じゃねぇか…」と思ったのですが、観ているうちにどんどんハマってしまいました。

とりわけ、高畑充希さん演じる“日向木穂子”が、突出してすばらしい。

観ていない人にはさっぱりわからないかもしれないですが……

第三話で、日向木穂子が曽田練宛てに送ったメール文がとてもよかった。(観てた人、ここ、ほんとよかったですよね? 僕だけじゃないはず…)

――で、暇だったので、そのメールを全文書き起こししてみました。

「お前どんだけ暇なんだよ」って言わないでください。よろしくお願いします。

ではどうぞ。

noteが流行っていますね。僕もやっています。


こんばんは。今回は宣伝です。

一日一話しゃべる、『365の話。』というラジオをやっています。

YouTubeまたはnoteで公開しています(内容はどちらも同じです)。




昨年の12月24日から始めて、今現在、約40本公開。残りまだ300本以上あって、先行き長いですが、楽しんでやっていこうと思います。


にしても、空前のnoteブームですね。一気に利用者が増えているようで。

今から二年ほど前、ブログに書きました。


「noteと歌い手は親和性が高い。ぜひ活用してみよう」という記事。

先行者優位、なんて言葉がありますが、noteを活用して有名になろうという人は、今から始めてももう遅いかもしれません。が、試してみてもいいんじゃないでしょうか。

面白いと思ったら“早めに実行する”。“なんでもやってみる”。

これって基本的なことですが、大事だと思います。

向上心とか、貪欲な気持ちって、吐き気をもよおします。でも、たまにはいいんじゃないでしょうか。たまにある意識高い系は、許されると思います。僕はそうあってほしいなと思います。

では寝ます。

mixiページで手記を綴っています↓よろしければ。以上@ryotaism