自殺のライセンス――寺山修司「青少年のための自殺学入門」を読んで


こんにちは。

寺山修司青少年のための自殺学入門を読みました。



“自殺のライセンス”という言葉がでてきます。

「そうだよなぁ」と同意しながら、読みました。

ぎりぎり追いつめられた中小企業の経営者の倒産による自殺は、自殺のように見えるが実は、“他殺”である。

膨張しすぎた資本主義社会の歪みから出てくる自殺は、自殺いかんを問わず、他殺であるから、私の<自殺学入門>のカテゴリーからはみ出す。


自殺と他殺をわけて考える。他殺は自殺ではない。

一見、自殺にみえても、紐解けば、実のところ“他殺”であるということがある。それは自殺ではない。


自殺のライセンス


自動車運転に免許証が要るように自殺にもライセンスが必要なのだ。

自殺の価値を守るために“事故死”や“他殺”“病死”と“自殺”との混同を避けたい。ノイローゼで首を吊った、というのは病死だし、生活苦と貧乏に追いつめられてガス管を加えて死んだのは政治的他殺である。

何かが足りないために死ぬ――というのはすべて自殺のライセンスの対象にならない。なぜなら、その“足りない何か”を与えることによって、死の必然性がなくなってしまうからである。

何一つ不自由がないのに、突然死ぬ気になる――という、事物の充足や価値の代替では避けられない不条理な死、というのが自殺


寺山修司は云う――“自分が死に意味を与えることのできるような偶然的な自殺だけを扱ってゆき、もっとたのしみながら、自殺について語りたいと思うのだ”。

死んで透明人間になったら、現実社会のわずらわしさから免れる。
……
しかしこうした死後幻想のすべては、結局のところは現実逃避の思想であって自殺のたのしみを物語るものではない。「死に向かって自由になる」のではなく「生の苦しみから自由になる」というのでは敗北の自由であることに変わりがないのだ。


では、他殺でも病死でも事故死でもない“自殺”とは一体どういうものなのか。

本書では、もっとも見事な自殺の例として、三島由紀夫をあげています。(これでグッとイメージしやすくなったのではないでしょうか?)


また、“自殺とはどういうものか”について、太宰治の「葉」の一文が引用されています。

死のうと思っていた。
ことしの正月、よそから着物一反もらった。
お年玉としてである。着物の布地は麻であった。
鼠色のこまかい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きていようと思った。
太宰治の「葉」

寺山修司は云う。

一反の着物で予定を変えたりすることもできる。“自殺が美しいとすれば、それは虚構であり、偶然的だからである”、と。


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以上、特に印象に残ったところをまとめてみました。

寺山修司「青少年のための自殺学入門」、おもしろい本でした。興味ある人は一読してみてはいかがでしょう。ではまた。@ryotaism