何かに挑戦して、そこで死ぬ、男にとってそれ以上幸せなことはない。


“何かに挑戦して、そこで死ぬ、男にとってそれ以上に幸せなことはない”

――と、いつか友人が言っていたのを思い出した。

はたして、それが本当にそうであるのかは知らんが、個人がそのような思想をもって生きることは別にいいんではないかと思う。

“挑戦して死ぬこと”について、成功は問われない。肝心なのは、挑戦することそれ自体である。

たとい、“失敗し、死んだ”としても、彼は幸せなのである。いやむしろ、挑戦して死ねるなんてこれ以上ない幸福、本懐であるのだ。

「夢を追いかけ続けたい、そんな一生がいい。闘いながら死んでいきたい、そんな死に方がいい。」

……と、熱っぽく語る友人。それは感情的かつ抽象的すぎて、僕にはいまいちよく伝わらなかったけど、そのときの僕は妙にシンパシーを感じた。

友人の言葉を僕なりに言い換えると、それはつまるところ、『難しいことに挑戦したい、挑戦し続けたい。簡単なことより、実現不可能なレベルの難しいことを、一生をかけて取り組みたい。そのほうがやりがいがある、そんなに人生に憧れている』という、きっとそのようなことであろう。

“何かに挑戦して、そこで死ぬ、男にとってそれ以上に幸せなことはない”

わかる。なんかそれ、わかる気がするぞ。難しいからこそ挑戦したくなるんだよな。そのためなら勉強も努力も厭わない。一生をかけたってかまわない。そうだよな。挑戦、という言葉がやっぱり好きなんだろうな。

僕は彼の意見に同調した。嬉しくなって、挙句、感謝の思いさえ芽生えた。

「やっぱりお前は最高だな!」なんてことを僕は、そのときの気分、勢いに任せて、ついうっかり言ってしまった。すると彼は、「調子にのるなよ」と言い、睨みつけるような目で制した。

気持ちの問題ではない、これは行動の問題であり、「目に見える形で体現できているか」、そうでなくては全く不毛、憧れではなく確固たる覚悟を問うている。それは容易なことではない。

――彼の瞳は黒いビー玉のように鈍く光っていた。その鋭く冷たい眼光に、「口だけじゃなくて、血でサインしろ」と言われた気がして、臆した僕は、躊躇したまま、保留し続け、現在(いま)に至るのだった。@ryotaism

今よりマシな人間になりたかった


ブログ――前回の投稿から、1ヶ月以上が経った。

『365の話。』を始めて、爾来、目に見えて更新頻度が低くなったなぁ。さすがに毎日更新となると、いろいろと時間をもっていかれる。

といっても、たわいもない話をしているだけだから、さして負担ではないのだけれども。