『底』からが人生だ。


底からが人生だと思う。

“人生のどん底”、なんてのは、そうそうめったにないけど、

“何をやってもうまくいかない”、ということは、けっこうある。

うまくいかないことが続くと、どうしたって精神的に落ち込んでしまう。

あがいても、もがいても、良い方向に進まないし、改善策も見当たらない。

「『うまくいかない』のは偶然ではなくて、私がダメなやつだから『うまくいかない』のかもしれない」

徐々に、自分に自信がなくなってくる。

自分に自信がなくなると、ともなって、自分の将来にも自信がなくなる。

将来に希望が見いだせない。自分の明日に、期待ができない。

僕にはそういったときがあって、挙句、人から嘲笑われているような錯覚さえも起こって、なにやら、“人生のどん底”といった様相を呈する。

『底からが人生だ』と言う。

しがみつくほどの人生なのか


「貧乏はイヤだ。ホームレスにはなりたくない」
「死ぬことが恐い。できれば健康で長生きしたい」

これが私の正直な気持ちである。

私は貧乏になることがイヤだ。そして、死ぬことを恐れている。

しかし、一方で、「そこまでしがみつくほどの人生だろうか?」、と思う。

かじりついてでも生きなければならないほど、私の人生は価値あるものなのか。

なぜに一体私は、そこまで自分の人生を大切に取り扱おうとしているのか。

なんだか無性にブログの書きたい気持ちになった。


なんだか無性にブログの書きたい気持ちになった。

20代のときは、何かあれば、思いの丈をブログにぶつけていた。

落ち込んでいるとき、自分で自分を励まそうと、ブログを書くことがよくあった。

でも30歳を越えてからは、「さすがに、もういい大人なんだから、そういうのはやめよう」と、距離をおくようになった。高校生じゃないんだから。もういい大人なんだから。

しかし、そもそも何で僕は、ブログなんぞ書いていたのだろう。夢中になって。

それはおそらく、「自分の話を聞いてくれる人」がほしかったのだと思う。

本当は、そんなことは、日常生活のなかで、友人や恋人にうちあければいいことだ。

悩みごとがあるなら、まわりに相談したり、愚痴ったりすればいい。

「誰かと感情を共有する」。そうして、前へと進める。後ろ向きの気持ちを、前へと向かせる。

しかし、どうしてなのか、僕の場合、そういった環境がなかった。そういう人がいなかった。いや、いたのかもしれないけど、ちゃちな自尊心が邪魔をして、本音を話すのが不得手になっていた。

ひとりが好きと言っているうちに、本当にひとりきりになってしまった。

結果、自分のなかのモヤモヤした気持ちや、落ち込んだ自分を、ブログに綴った。綴ることで解消するような者になったんじゃないか。

けれど、それを読んでくれる人が必ずいるわけではないし、読んでくれても何のリアクションもないことがあるから、つまり結局それって、「自分の話を聞いてくれる」というより、たんなる「独り言」に過ぎない。

でも、独り言であっても、その独り言をブログに書いたりすることで、自分で自分を慰め、それはそれなりに、「泣いてすっきりする」みたいなデトックス効果があった。

ふと、孤独を感じることがある。働くことが辛くて、ふさぎこむことがある。なんだか、もう生きていくことをやめてしまいたくなることがある。正直、今、僕にはそういう瞬間がある。精神的にまいってしまうことがある(そんなことは10代の頃からしばしばあったので、つまりは、自分は所詮そういったタイプの人間なんだろう。また、そんなことは、多くの人が同じ経験をしているのかもしれない)。

ちなみに僕は現在33歳で。「なんで自分は、こんなことで、こんなにも弱いのだろう」、比べて、まわりの人がとてもたくましく見えてくる。周囲が、とんでもなく器用な人、猛者に思えてくる。

かたや、僕はといえば、落ち込んだとき、ブログにその思いを書き込み、自らを慰めている。

そんな気持ちで綴っている。なんだか無性にブログの書きたい気持ちになる。

こんなこと、これは間違いなく、“恥ずかしながら”、ではある。“おいおい、子供じゃないんだから”、ではある。しかし、もうそれでいい。もうそうするしかない。芸術でなくてもよい、表現でなくてもよい。必死の生存戦略である。どうしようもない。がんばろう。@ryotaism