エレコム『M-HT1DRBK』を買ったのでレビュー:トラックボールマウス“HUGE”


エレコムのトラックボールマウス『M-HT1DRBK』を購入した。




私が購入したのはワイヤレスですが、有線タイプ(M-HT1URBK )もあるようです。

以前から、トラックボールマウスが欲しくて購入。

三十四歳になって今思うこと。


久々のブログ。

先々月、八月十四日――。

三十四歳の誕生日を迎えた。

気付けば、すでにおっさんであり、知らぬ間におっさんである。おっさんになるとはそういうことである。

正直なところ、気分はまだ二十代の頃のままで、自分が三十四歳だという感じがしない。

しかしその実、生きてきた年月は、まぎれもなく三十四年であり、そのぶん肉体は老化している。


三十四歳。

「若いね」と言われる年齢ではなくなった。

いや、それは数年前からそうなのだが、あらためて、「『老いる」というのは不可逆で、私はこの先、『若いね』と言われることは一生ないのだろうな」と思う。

「年をとりたくない……」
「この年齢になると、誕生日がうれしくない……」

そんなふうに思うときがあるのは確かだ。普段、時間をともにする周囲の仲間が、自分よりも若いとなれば尚のこと。羨望する。

けれど、そんなことを言っても、どうしようもない。どうすることもできない。

年をとることは、決して悲しいことなんかじゃない。

人間、だれしも年をとる。

いつかは皆、必ずおっさんになるし、おばさんになる。それは避けられないのだ。

ならば、その現実を早い段階で受け入れて、前向きに受け止めて、『良い感じに年を重ねていこう!』と考えるべきだ。

ステキな年のとり方を目指そう、そんな大人になろう。

三十代、四十代、五十代……。『年相応の魅力』というものがある。

年をとることは決して悲しいことではない。

むしろ、『深みのある人間になっていく』『熟成する』、ということである。

そう思わないだろうか?

私はそうは思わない。

「年をとるって、哀しいことだよなぁ」と思う。

「人の一生は儚い」と云う。「だから、美しいのだ」と云う。

「老いることは、儚くて、哀しいこと」――私はそう思うし、それでいいんじゃないかと思う。

そのほうが自然であり、ポジティブはどこか、不自然なことのように思える。

美しさとは何だったか。どういうものだったか。

「またひとつ、年をとったなぁ」――背をまるめ、酒を片手に、しみじみ“老い”を哀しむ。誕生日おめでとう。@ryotaism

iPadを買った。


二ヶ月ほど前に、iPadを買った。Air2の128GB。

今さら?、と言われるかもですが、いまいち必要性を感じなかったんです。

パソコンとスマホがあれば、それでいいんではないか、と。

でも、proや2017の発売もあり、air2の値段が安くなっていたので、試しに購入してみた。

映画『何者』が傑作だったから紹介したい。


いや、これ、本当によかった。おすすめです。

映画『何者』




原作は、『桐島、部活やめるってよ』などで有名な、朝井リョウさん。

公開日は昨年、2016年10月。

タイミング的に、『シン・ゴジラ』や『君の名は。』に隠れてしまって、そこまで話題にならなかった、けれど、佐藤健、有村架純、菅田将暉……といった、いわゆる大物俳優女優が出演しており、本来ならば、もっと話題になっていたはず。――そう思わずにはいられないほど、「こいつは傑作じゃないか」と思いました。

ひとまず更新


あまり更新しなくなったこのブログですが、どうしたものか。

“ブロガー”とかいう言葉が流行りだしたころ、それに便乗するかのように、こつこつとブログをつづっていた。いまから五年前の話である。

ブロガーとしては、「アクセスを稼ぐ」という、そのことがとても重要で、読まれない記事には意味がなかった。また、アドセンスやアフィリエイトによる収入が、書くことのモチベーションだった。

自著『夏の駄駄』を刊行します。


自費出版ですが、『夏の駄駄』という名の本を刊行いたします。

詳細は下記リンクを御覧ください。


風呂掃除が面倒、という話。


風呂掃除について。

たかが15分程度の作業なのに、なぜこんなにも億劫なのか。面倒なのか――。かれこれ10年以上、一人暮らしをしているのだが、こればかりは一向に慣れない。

コンビニコーヒーと、けずりこの話。


ちかごろのコンビニでは、“コンビニコーヒー”なるものが普及し、

それは缶コーヒーではなく、カウンターに置かれたコーヒーメーカーで、その場で抽出し、熱々のできたてを紙コップに注いで飲むことができるのです。

これが意外と低価格で、香りもよく、私はすっかり気に入ってしまいました。

本日もやはり、むしょうにそれが飲みたくなって、寒空のもと、徒歩でコンビニまでむかいました。

さっそくレジで、「ホットコーヒーのLサイズ」を頼み、紙コップを受け取り、

いそいそとコーヒーメーカーの前へと進むと、中年のおばさんが前かがみになってコーヒーを注いでいました。

少しうしろで順番を待っていたのですが、

そのおばさんの手元をみると、紙コップではなく、

家から持参してきたとみられる、“小型の水筒”にコーヒーを入れているではありませんか。

MY水筒にコーヒーを入れているのです。「おいおい、そんなのありかよ」と思いました。

(まぁ、購入したカップサイズの量のみ、一定量しか注ぐことができないわけだから、別にコンビニ側が損をするわけではない。だから、いいっちゃいいんでしょうが。)

はたして、その行いがコンビニ側から認められているのかどうかは知りませんが、虚をつかれた思いでした。

たしかに、保温性は水筒のほうが断然いいもんなぁ。。。

――なんてことを思いながら、いい感じに湯気がのぼるコーヒーを片手に、来た道を戻る。

途中、“かんこんかんこん”と、威勢のいい音が聞こえてきた。

「なんだろう」と辺りを見わたすと、大工さんが家を建てていた。木造一戸建ての、なかなか立派な家である。

その前を通りすぎるとき、子供をのせたママチャリとすれ違った。

母親と子供との会話が、私の耳にとどいた。

「ほら。◯◯ちゃん、匂いがするよ」

「うん。ママ、これ、なんの匂い?」

「これは、木の“けずりこ”の匂いだねぇ」

みたところ、その男の子はまだ4~5歳くらいだから、“けずりこ(削り粉)”というワードは、ちとむずかしすぎるんじゃないか? ぜったいに知らないぜ?

――と思っていると、案の定、その子は、「“けずりこ”ってナニ?」と母親に聞いていました。

「けずったときにでる粉だよ。これはそのときにでる匂い、木の香りだよ」

「ふーん」と、男の子は初めて聞くその言葉を、ママチャリの後ろに座って反芻していた。漂う木の香りを感じながら。

きっとこの男の子は、この経験によって、“けずりこ”という言葉を知り、そして、この匂いによって“けずりこ”という言葉を覚える。

おそらく私も、そうやって色々な言葉を身につけてきた。

たくさんの言葉と、それといっしょに付いている記憶がある。死ぬときは、それらをまとめていっぺんに失ってしまう。@ryotaism

努力するために努力しなければならない


“努力するために努力しなければならない――”

「◯◯について努力したい」 と思っているのですが、努力すること、それ自体がじつに面倒なのです。億劫で、苦痛だと感じてしまう。

努力をするために努力しないといけない状況です。

「いや、お前それ単に怠け者なだけだろが」と云われれば、まったくその通りで、単に怠け者なんでしょう。生来、生粋の。

――かつて、『楽しいことならば、努力を努力と思わないのだ。自分が楽しいと思えることをせよ』と考えていた時期が私にはありました。

楽しいことならば、苦を感じない。夢中の人は、努力を努力と思わないのだ。

『努力』とか言っている時点で、もう、その道には向いていない。

向いている人、才能がある人は、努力どうこう言う前に、すでに夢中になって取り組んでいる。圧倒的な熱量を注ぎ、膨大な時間をかけている。

“好きなことに夢中”――そこに努力などという野暮な言葉が入る余地はない。

「好きなことに夢中になって取り組んでいるヤツ」には勝てないのだ――「努力」は「好き」には勝てないのだ。

四六時中インターネット


気分転換に、ふと思い立ったとき、気まぐれで、ブログを書くようなスタイルでやってきました。

2017年も、おそらくそのように綴っていくと思います。なるべくノーストレスで。

それにしても、四六時中インターネットですね。

Instagram、Twitter、Facebook、blog……これら利用する人、すべてが、何かしら発信している。ある意味、みんな表現者ですね。

ネット上は、「これでもか」というくらい、言葉、画像、動画、情報…などが詰め込まれていて、それを日々、大量に消化する大量の受け手がいる。

四六時中インターネット。

「伝えたい」「知りたい」の気持ちを、手軽に満たしてくれる。とても便利で、かつ、無料だと云うのだから、“四六時中インターネット”、そんな状況は当然なのかもしれない。

このブログもまた、そんな状況の中、『便利』だから生まれたのだろうなぁ。