2017年「これは良かったな~」と思ったものたち。


年の瀬なんで、2017年を振り返ってみる!

「これは良かったな~」と思ったものを一挙ご紹介。

たとえば、映画、音楽、アニメ、本、商品、アプリ……など、適当にあげていきます!

※紹介するのは、2017年に発売・発表されたものに限りません

ブログ経由でいただくメールについて


あまり更新されなくなった当ブログであるが。

だいたい一ヶ月に一通、メールをもらう。

どこのどなたかは分からない。

ブログを読んだ人から、感想のメールをいただく。

ここ1、2年は、ヒマなときにダラダラと書いている程度だが――3~4年前は、もうすこし熱量をこめて文章をつづっていた。

それはずいぶん昔のブログ記事なのだが、ネット上では今も健在であり、不特定多数に読まれる。そしてそれを読んだ方から、メールをもらう。

私はそのメールを丁寧に読み、勇気や元気をもらう。ありがたいな、と思う。

しかし、私も34歳のおっさんである。

今は20代の頃の文章とは違って、背中の丸まった、保身的な文章を書くようになった。

「生き方」「思想」「死生観」――30代になり、ふつうに会社で働いていると、そんなことは、なんだかとてつもなく面倒くさいことに思われて、とりあえず、酒を飲んで忘れて寝る。

若い頃に悩んでいたこと、いわゆる〝繊細な悩み〟は、鈍感な私の脳の片隅においやられている。

いまでもたまに、「死にたいな」と思うときはある。「このままじゃいけない」と思うときはある。しかし、その回数はめちゃくちゃ減った。

「生きる」ということが一体どういうものなのかは知らないが、今の私は、「日常に流される」という生き方で生きている。

人生に対する虚無感や焦燥感、そんなものは、せわしない「労働と生活とお金」によって、かき消された。

夢? なんだそれは。

悩んでいては生きられない社会で、死ぬ覚悟のない私は、毎日を淡々と平凡に過ごしている。時間だけが経過している。

生活。ああ、これが生活なのだ。


高校を卒業後、親元を離れ、一人暮らしを始めてもう15年が経った。

ネガティブな思考じゃ生き抜いていけない。
人見知りじゃどこも雇ってくれない。
お金を稼がないと、ご飯が食べられない。
死ぬ覚悟ないと死ぬことは出来ない。
考えるな、過ごせ。

――そうして30代を迎えた私に、どこにも思想などない。

「楽しいことは何ですか?」と聞かれたら、「小説を読んでいる時」と答える。

そこそこ映画が好きで、たまに音楽を聴く。がんばって働く、会社勤めを全うする。その給料で、友人と酒を呑みにいく、笑う。寝て、起きて、仕事に行く。

このサイクルが、今の私の生活である。

***

昔のブログ記事を読んだ人から、感想のメールをいただく。

私はそれを丁寧に読む。

どこのだれかも分からない人のメールであるが、読めば、どこか懐かしい気持ちにさせられる。

そのメールには、いつぞや私が抱いていた熱量が込められている。

それはあの頃、私がもっていた熱量であり、感情である。

などと思った思い出した。@ryotaism

「M-1グランプリ2017」をリアルタイムでテレビで観た。


「M-1グランプリ2017」をリアルタイムで、テレビで観た。

とろサーモンが優勝したけど、どのコンビもおもしろかった。笑った。

個人的にはジャルジャルのネタが好きだったなぁ。“同じ繰り返し~”、“もう一展開あれば~”、という審査員コメントがあったけど、一本調子を貫いてこそ成立するネタなんじゃないか。わかったうえで、本人たちはそうしていたのではないか。

***

M-1グランプリは、中川家が優勝した第一回からずっと観ている。

キングオブコントもTHE MANZAIもR-1ぐらんぷりも毎回みているけど、M-1はちょっと別格。みていて緊張感がある。

そんなふうに思えるテレビ番組って、今では貴重じゃないか。

AbemaやYoutube、Netflix、Amazonビデオ……などの普及により、「もう、テレビじゃなくてネット番組でいいんじゃない?」と思わないでもない。

また、僕自身、ドラマはTverで配信されているものしか観ない。どれだけ面白そうなドラマであっても、ネット配信されていないなら観ない。“観たいときに観ることが出来る”というのが必須条件となっている。

――そんな中、M-1グランプリは、リアルタイムで、テレビで観たいと思った。“あとからネットで観る”、ではいけない。M-1の醍醐味は、生放送の一発勝負であること、そしてその緊張感を味わうことにある。

また、その緊張感は私だけではなく、観ている多くの人が同じように感じている。皆で共有している。それがさらに緊張感をあおる、ワクワクを高める。注目度が高いからこそだ。

一体感とまではいわないが、そういうテレビ番組ってあんまりないよなぁと思った。貴重だと思う。

***

「Twitterのトレンドにあがるのは、なんだかんだテレビ番組のことが多い。だからまだまだテレビは死んでいない」――と、それはよく聞く話だけど、はたしてそれもいつまで続くのか。もし、M-1の舞台が地上波ではなく、たとえばAbemaになったら、どうなるだろう? テレビでやる必要がそもそもあるのか? どうなんだろうか。……というようなことを色々思いました。寝ます。@ryotaism

エレコム『M-HT1DRBK』を買ったのでレビュー:トラックボールマウス“HUGE”


エレコムのトラックボールマウス『M-HT1DRBK』を購入した。




私が購入したのはワイヤレスですが、有線タイプ(M-HT1URBK )もあるようです。

以前から、トラックボールマウスが欲しくて購入。

三十四歳になって今思うこと。


久々のブログ。

先々月、八月十四日――。

三十四歳の誕生日を迎えた。

気付けば、すでにおっさんであり、知らぬ間におっさんである。おっさんになるとはそういうことである。

正直なところ、気分はまだ二十代の頃のままで、自分が三十四歳だという感じがしない。

しかしその実、生きてきた年月は、まぎれもなく三十四年であり、そのぶん肉体は老化している。


三十四歳。

「若いね」と言われる年齢ではなくなった。

いや、それは数年前からそうなのだが、あらためて、「『老いる」というのは不可逆で、私はこの先、『若いね』と言われることは一生ないのだろうな」と思う。

「年をとりたくない……」
「この年齢になると、誕生日がうれしくない……」

そんなふうに思うときがあるのは確かだ。普段、時間をともにする周囲の仲間が、自分よりも若いとなれば尚のこと。羨望する。

けれど、そんなことを言っても、どうしようもない。どうすることもできない。

年をとることは、決して悲しいことなんかじゃない。

人間、だれしも年をとる。

いつかは皆、必ずおっさんになるし、おばさんになる。それは避けられないのだ。

ならば、その現実を早い段階で受け入れて、前向きに受け止めて、『良い感じに年を重ねていこう!』と考えるべきだ。

ステキな年のとり方を目指そう、そんな大人になろう。

三十代、四十代、五十代……。『年相応の魅力』というものがある。

年をとることは決して悲しいことではない。

むしろ、『深みのある人間になっていく』『熟成する』、ということである。

そう思わないだろうか?

私はそうは思わない。

「年をとるって、哀しいことだよなぁ」と思う。

「人の一生は儚い」と云う。「だから、美しいのだ」と云う。

「老いることは、儚くて、哀しいこと」――私はそう思うし、それでいいんじゃないかと思う。

そのほうが自然であり、ポジティブはどこか、不自然なことのように思える。

美しさとは何だったか。どういうものだったか。

「またひとつ、年をとったなぁ」――背をまるめ、酒を片手に、しみじみ“老い”を哀しむ。誕生日おめでとう。@ryotaism

iPadを買った。


二ヶ月ほど前に、iPadを買った。Air2の128GB。

今さら?、と言われるかもですが、いまいち必要性を感じなかったんです。

パソコンとスマホがあれば、それでいいんではないか、と。

でも、proや2017の発売もあり、air2の値段が安くなっていたので、試しに購入してみた。

映画『何者』が傑作だったから紹介したい。


いや、これ、本当によかった。おすすめです。

映画『何者』




原作は、『桐島、部活やめるってよ』などで有名な、朝井リョウさん。

公開日は昨年、2016年10月。

タイミング的に、『シン・ゴジラ』や『君の名は。』に隠れてしまって、そこまで話題にならなかった、けれど、佐藤健、有村架純、菅田将暉……といった、いわゆる大物俳優女優が出演しており、本来ならば、もっと話題になっていたはず。――そう思わずにはいられないほど、「こいつは傑作じゃないか」と思いました。

ひとまず更新


あまり更新しなくなったこのブログですが、どうしたものか。

“ブロガー”とかいう言葉が流行りだしたころ、それに便乗するかのように、こつこつとブログをつづっていた。いまから五年前の話である。

ブロガーとしては、「アクセスを稼ぐ」という、そのことがとても重要で、読まれない記事には意味がなかった。また、アドセンスやアフィリエイトによる収入が、書くことのモチベーションだった。

自著『夏の駄駄』を刊行します。


自費出版ですが、『夏の駄駄』という名の本を刊行いたします。

詳細は下記リンクを御覧ください。


風呂掃除が面倒、という話。


風呂掃除について。

たかが15分程度の作業なのに、なぜこんなにも億劫なのか。面倒なのか――。かれこれ10年以上、一人暮らしをしているのだが、こればかりは一向に慣れない。

コンビニコーヒーと、けずりこの話。


ちかごろのコンビニでは、“コンビニコーヒー”なるものが普及し、

それは缶コーヒーではなく、カウンターに置かれたコーヒーメーカーで、その場で抽出し、熱々のできたてを紙コップに注いで飲むことができるのです。

これが意外と低価格で、香りもよく、私はすっかり気に入ってしまいました。

本日もやはり、むしょうにそれが飲みたくなって、寒空のもと、徒歩でコンビニまでむかいました。

さっそくレジで、「ホットコーヒーのLサイズ」を頼み、紙コップを受け取り、

いそいそとコーヒーメーカーの前へと進むと、中年のおばさんが前かがみになってコーヒーを注いでいました。

少しうしろで順番を待っていたのですが、

そのおばさんの手元をみると、紙コップではなく、

家から持参してきたとみられる、“小型の水筒”にコーヒーを入れているではありませんか。

MY水筒にコーヒーを入れているのです。「おいおい、そんなのありかよ」と思いました。

(まぁ、購入したカップサイズの量のみ、一定量しか注ぐことができないわけだから、別にコンビニ側が損をするわけではない。だから、いいっちゃいいんでしょうが。)

はたして、その行いがコンビニ側から認められているのかどうかは知りませんが、虚をつかれた思いでした。

たしかに、保温性は水筒のほうが断然いいもんなぁ。。。

――なんてことを思いながら、いい感じに湯気がのぼるコーヒーを片手に、来た道を戻る。

途中、“かんこんかんこん”と、威勢のいい音が聞こえてきた。

「なんだろう」と辺りを見わたすと、大工さんが家を建てていた。木造一戸建ての、なかなか立派な家である。

その前を通りすぎるとき、子供をのせたママチャリとすれ違った。

母親と子供との会話が、私の耳にとどいた。

「ほら。◯◯ちゃん、匂いがするよ」

「うん。ママ、これ、なんの匂い?」

「これは、木の“けずりこ”の匂いだねぇ」

みたところ、その男の子はまだ4~5歳くらいだから、“けずりこ(削り粉)”というワードは、ちとむずかしすぎるんじゃないか? ぜったいに知らないぜ?

――と思っていると、案の定、その子は、「“けずりこ”ってナニ?」と母親に聞いていました。

「けずったときにでる粉だよ。これはそのときにでる匂い、木の香りだよ」

「ふーん」と、男の子は初めて聞くその言葉を、ママチャリの後ろに座って反芻していた。漂う木の香りを感じながら。

きっとこの男の子は、この経験によって、“けずりこ”という言葉を知り、そして、この匂いによって“けずりこ”という言葉を覚える。

おそらく私も、そうやって色々な言葉を身につけてきた。

たくさんの言葉と、それといっしょに付いている記憶がある。死ぬときは、それらをまとめていっぺんに失ってしまう。@ryotaism

努力するために努力しなければならない


“努力するために努力しなければならない――”

「◯◯について努力したい」 と思っているのですが、努力すること、それ自体がじつに面倒なのです。億劫で、苦痛だと感じてしまう。

努力をするために努力しないといけない状況です。

「いや、お前それ単に怠け者なだけだろが」と云われれば、まったくその通りで、単に怠け者なんでしょう。生来、生粋の。

――かつて、『楽しいことならば、努力を努力と思わないのだ。自分が楽しいと思えることをせよ』と考えていた時期が私にはありました。

楽しいことならば、苦を感じない。夢中の人は、努力を努力と思わないのだ。

『努力』とか言っている時点で、もう、その道には向いていない。

向いている人、才能がある人は、努力どうこう言う前に、すでに夢中になって取り組んでいる。圧倒的な熱量を注ぎ、膨大な時間をかけている。

“好きなことに夢中”――そこに努力などという野暮な言葉が入る余地はない。

「好きなことに夢中になって取り組んでいるヤツ」には勝てないのだ――「努力」は「好き」には勝てないのだ。

四六時中インターネット


気分転換に、ふと思い立ったとき、気まぐれで、ブログを書くようなスタイルでやってきました。

2017年も、おそらくそのように綴っていくと思います。なるべくノーストレスで。

それにしても、四六時中インターネットですね。

Instagram、Twitter、Facebook、blog……これら利用する人、すべてが、何かしら発信している。ある意味、みんな表現者ですね。

ネット上は、「これでもか」というくらい、言葉、画像、動画、情報…などが詰め込まれていて、それを日々、大量に消化する大量の受け手がいる。

四六時中インターネット。

「伝えたい」「知りたい」の気持ちを、手軽に満たしてくれる。とても便利で、かつ、無料だと云うのだから、“四六時中インターネット”、そんな状況は当然なのかもしれない。

このブログもまた、そんな状況の中、『便利』だから生まれたのだろうなぁ。