コンビニコーヒーと、けずりこの話。
2017年2月22日 投稿:フクモリ
ちかごろのコンビニでは、“コンビニコーヒー”なるものが普及し、
それは缶コーヒーではなく、カウンターに置かれたコーヒーメーカーで、その場で抽出し、熱々のできたてを紙コップに注いで飲むことができるのです。
これが意外と低価格で、香りもよく、私はすっかり気に入ってしまいました。
本日もやはり、むしょうにそれが飲みたくなって、寒空のもと、徒歩でコンビニまでむかいました。
さっそくレジで、「ホットコーヒーのLサイズ」を頼み、紙コップを受け取り、
いそいそとコーヒーメーカーの前へと進むと、中年のおばさんが前かがみになってコーヒーを注いでいました。
少しうしろで順番を待っていたのですが、
そのおばさんの手元をみると、紙コップではなく、
家から持参してきたとみられる、“小型の水筒”にコーヒーを入れているではありませんか。
MY水筒にコーヒーを入れているのです。「おいおい、そんなのありかよ」と思いました。
(まぁ、購入したカップサイズの量のみ、一定量しか注ぐことができないわけだから、別にコンビニ側が損をするわけではない。だから、いいっちゃいいんでしょうが。)
はたして、その行いがコンビニ側から認められているのかどうかは知りませんが、虚をつかれた思いでした。
たしかに、保温性は水筒のほうが断然いいもんなぁ。。。
――なんてことを思いながら、いい感じに湯気がのぼるコーヒーを片手に、来た道を戻る。
途中、“かんこんかんこん”と、威勢のいい音が聞こえてきた。
「なんだろう」と辺りを見わたすと、大工さんが家を建てていた。木造一戸建ての、なかなか立派な家である。
その前を通りすぎるとき、子供をのせたママチャリとすれ違った。
母親と子供との会話が、私の耳にとどいた。
「ほら。◯◯ちゃん、匂いがするよ」
「うん。ママ、これ、なんの匂い?」
「これは、木の“けずりこ”の匂いだねぇ」
みたところ、その男の子はまだ4~5歳くらいだから、“けずりこ(削り粉)”というワードは、ちとむずかしすぎるんじゃないか? ぜったいに知らないぜ?
――と思っていると、案の定、その子は、「“けずりこ”ってナニ?」と母親に聞いていました。
「けずったときにでる粉だよ。これはそのときにでる匂い、木の香りだよ」
「ふーん」と、男の子は初めて聞くその言葉を、ママチャリの後ろに座って反芻していた。漂う木の香りを感じながら。
きっとこの男の子は、この経験によって、“けずりこ”という言葉を知り、そして、この匂いによって“けずりこ”という言葉を覚える。
おそらく私も、そうやって色々な言葉を身につけてきた。
たくさんの言葉と、それといっしょに付いている記憶がある。死ぬときは、それらをまとめていっぺんに失ってしまう。@ryotaism
努力するために努力しなければならない
2017年2月10日 投稿:フクモリ
“努力するために努力しなければならない――”
「◯◯について努力したい」 と思っているのですが、努力すること、それ自体がじつに面倒なのです。億劫で、苦痛だと感じてしまう。
努力をするために努力しないといけない状況です。
「いや、お前それ単に怠け者なだけだろが」と云われれば、まったくその通りで、単に怠け者なんでしょう。生来、生粋の。
――かつて、『楽しいことならば、努力を努力と思わないのだ。自分が楽しいと思えることをせよ』と考えていた時期が私にはありました。
楽しいことならば、苦を感じない。夢中の人は、努力を努力と思わないのだ。
『努力』とか言っている時点で、もう、その道には向いていない。
向いている人、才能がある人は、努力どうこう言う前に、すでに夢中になって取り組んでいる。圧倒的な熱量を注ぎ、膨大な時間をかけている。
“好きなことに夢中”――そこに努力などという野暮な言葉が入る余地はない。
「好きなことに夢中になって取り組んでいるヤツ」には勝てないのだ――「努力」は「好き」には勝てないのだ。