ブログ経由でいただくメールについて


あまり更新されなくなった当ブログであるが。

だいたい一ヶ月に一通、メールをもらう。

どこのどなたかは分からない。

ブログを読んだ人から、感想のメールをいただく。

ここ1、2年は、ヒマなときにダラダラと書いている程度だが――3~4年前は、もうすこし熱量をこめて文章をつづっていた。

それはずいぶん昔のブログ記事なのだが、ネット上では今も健在であり、不特定多数に読まれる。そしてそれを読んだ方から、メールをもらう。

私はそのメールを丁寧に読み、勇気や元気をもらう。ありがたいな、と思う。

しかし、私も34歳のおっさんである。

今は20代の頃の文章とは違って、背中の丸まった、保身的な文章を書くようになった。

「生き方」「思想」「死生観」――30代になり、ふつうに会社で働いていると、そんなことは、なんだかとてつもなく面倒くさいことに思われて、とりあえず、酒を飲んで忘れて寝る。

若い頃に悩んでいたこと、いわゆる〝繊細な悩み〟は、鈍感な私の脳の片隅においやられている。

いまでもたまに、「死にたいな」と思うときはある。「このままじゃいけない」と思うときはある。しかし、その回数はめちゃくちゃ減った。

「生きる」ということが一体どういうものなのかは知らないが、今の私は、「日常に流される」という生き方で生きている。

人生に対する虚無感や焦燥感、そんなものは、せわしない「労働と生活とお金」によって、かき消された。

夢? なんだそれは。

悩んでいては生きられない社会で、死ぬ覚悟のない私は、毎日を淡々と平凡に過ごしている。時間だけが経過している。

生活。ああ、これが生活なのだ。


高校を卒業後、親元を離れ、一人暮らしを始めてもう15年が経った。

ネガティブな思考じゃ生き抜いていけない。
人見知りじゃどこも雇ってくれない。
お金を稼がないと、ご飯が食べられない。
死ぬ覚悟ないと死ぬことは出来ない。
考えるな、過ごせ。

――そうして30代を迎えた私に、どこにも思想などない。

「楽しいことは何ですか?」と聞かれたら、「小説を読んでいる時」と答える。

そこそこ映画が好きで、たまに音楽を聴く。がんばって働く、会社勤めを全うする。その給料で、友人と酒を呑みにいく、笑う。寝て、起きて、仕事に行く。

このサイクルが、今の私の生活である。

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昔のブログ記事を読んだ人から、感想のメールをいただく。

私はそれを丁寧に読む。

どこのだれかも分からない人のメールであるが、読めば、どこか懐かしい気持ちにさせられる。

そのメールには、いつぞや私が抱いていた熱量が込められている。

それはあの頃、私がもっていた熱量であり、感情である。

などと思った思い出した。@ryotaism