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先日、

携帯やゲーム上での彼氏、

“妄想彼氏”)にハマる女史がテレビで特集されていました。

最初はなんとなく見ていたのですが、途中から面白くなって最後まで見ました。


私は登録したことすらないので詳しくはわかりませんが、

GREEやモバゲーなどにそういったものがあるのでしょう。


私の世代では、当時、「ときめきメモリアル」などが流行っていましたが、

いわゆる擬似恋愛のようなものです。




今ではさらに進化し、音声でしゃべってくれたりして、

生々しい声で“好きだよ”などと言ってくれるわけです。





ポイントは「携帯電話」というところにあって、

TVゲームやパソコンとは違って、

寝る前や仕事の休憩中など、

いつでも気軽に遊べるという「携帯性」が、

“ハマる”中毒性に繋がっているのではないかと思います。



妄想彼氏というより、「携帯彼氏」といったほうがしっくりくるかもしれません。

兎に角、面倒でない。便利。都合が良い。ストレスもない。

ゲームとして、ハマる理由は少しわかるような気がします。





当人たちの多くは、

それが2次元の世界である、“現実ではない”ということを自覚しているように思います。

現実の世界とこれは違うと、しっかり割り切っている。

しかし、その割り切りをできることが、ハマる結果へと繋っているのではないかと思います。


インターネットもそうですが、だいたいは、

「これ以上ハマってしまうと、現実と非現実の世界の区別がつかなくなってしまうんじゃないか」という不安が自分の中にはあって、

これ以上のめりこむことに危機を感じ、

ハマる途中で、自身にストップをかけます。

が、“ゲームはゲーム、現実は現実”という割り切りが本人の中できっちりとできているために、ブレーキをかけない。

「私はこれがゲームであると理解しているから大丈夫」という安心感をもって、その世界へと没入します。

“ハマる”ことの真意は、そのようなことではないかと思います。

先ほどの述べたように、

人間は何かに“ハマる”ことに、

“ハマっている自分”に少し不安を感じます。

現実に戻ってこれなくなるんじゃないかと。

なので、「現実と非現実の割り切り」ができる賢い人ほど、ハマりやすい。

2次元を3次元に還元できる想像力も、本人の賢さゆえです。


“現実の男性に魅力がない”とか“彼氏ができない“など、

そのような現実を補うために、本人の持つ賢い想像力がその免疫として機能しています。

消極的や逃避というよりも、

“よりよいものを求める”、充実している現実をさらに充実させたいといった貪欲な姿勢であるとも思います。





コメンテーターたちは、

“妄想彼氏”にハマっているその光景を否定的な眼差しで見つめていました。

それは一般的な世間体であり、生産的な慣習であると思います。

が、

「“妄想彼氏”にハマることがなぜいけないのか」を言葉にして述べることができない。

「現実の男性のほうがいいですよ」といった、言葉しかでてこない。

妄想彼氏にハマるその想像力と賢さに対して、そのような弁論はどうしても見劣りしてしまいます。


自らの個人的な経験をもとに、“絶対こちらのほうがよい”と述べることは、自己愛が前面にでています。

世間体は自己愛であってはなりません。

社会や歴史において生産的である価値観や慣習が「世間体」なのであり、

その限りにおいて、世間体は個人の自由を監視することができるのではないかと思います。