私が生まれた時、母は嬉しかったのだろうか。
もしそうであるならば、私は生まれて良かった。

三十路手前にし、「親孝行とはなんぞや」と考える。

最大の親孝行、それはおそらくならば、孫の顔を見せてあげることだ。

はたしてそのハードルを私は越えられるだろうか。

どうにもすぐには無理だろうと思う。

今、私が切に感じることは、母に「夫」がいて良かったということだ。

先日、「母はもしかして孤独なのではないだろうか?」と思った。

授業参観や運動会に、母は滅多に顔を出さなかった。

理由は、一心不乱に働いていたからだった。

母は今だに申し訳なく思っているらしく、寂しい思いをさせたと、ときおり私に謝る。

働き詰めであった母には、社交の時間も少なかったのではないか。

もしや、今、母は孤独なのではないか。
友人など、誰かそばにいるのだろうか。

私に何かできることはないだろうかと考えるが、
残念ながら男は(ましてまだ若いうちの男は)、志を持った不良でなければならない。

男の存在は、それこそまさに精子のようなものであって、つまりは生産的な死に方を模索せねばならない。

「いかに死ぬべきか」を己に問い、課すことが男の本懐であるわけだが、時に親の存在は、その『実践』の妨げとなる。

しかしながら、子は母の「分裂」であって、
断ち切られたへその緒は幻肢のごとく残り続け、どこか、なにか、いつも、「繋がっている」。

そういった仕組みからか、
母の孤独を想像することは、自分の身を切られるように痛いものだ。

そんな歯痒さを解消してくれる存在が、母の夫、つまり、私の父だ。

母にとって、夫という存在。
その存在の占める割合に息子は胸を借りる。
どうか、母を幸せにしてあげてほしい。

それは私には成し得ぬことであり、
息子は父の胸を借りることで、いち男として志を持ち、来たるべく死に真っ向より挑むことができる。

“息子は父親の存在を越えることはできない”、
その真意は、息子にはどうやっても手の届かない「母の幸福」があって、
それを埋めるのは父以外に不可能であるということだろう。

「そんなことないよ」という母親は、素晴らしい息子をもったのであって、
本当のドラ息子というのものを知らないのだろう。

私が成し得た唯一の親孝行は私が生まれたことくらいであって、
どうかそれだけは母に喜んでもらいたいし、
もしそうであるならば、私は生まれて良かったと心から思う。