昨年、美術館に一切行かなかった私が最も芸術を感じたもの、それは「コピー・模倣」だった
年が明けてから述べるのも、なんですけど…、
昨年、一切、美術館に行かなかった私が、最も芸術を感じたものについて。
MMDトレース
昨年、私が最も芸術を感じたのは『MMDトレース』でした。
勿論、これは昨年どころかもっと前からあって、私が気付くのが少々遅かっただけです。
が、“なんじゃそりゃ?”という未見の方もいると思います。
それを説明するには見てもらうのが一番早いだろうと思います。
(※ちなみに私は「芸術」について全く勉強したこともない人間なので、優しい目で見て下さい…汗)
……と、こういうものです。
苦手な人は苦手でしょうけど。
「どの作品か」というわけではなくて、この表現方法、映像に、強い刺激を受けました。
勿論、個々の動画に技術差はあるのでしょうが、それは現在のところ重要ではありません。
というより、「MMDトレース」の芸術的本質はそこにはありません。
というのも、これは端的にいえば、「模倣・コピー」の技術であり、尚且つ、「プロという概念がまだ確立していない『アマチュアジャンル』」であって、表現の“技術差”ではなく、表現の“技術方法”について着目されるべきだと考えます。
MMDトレースと社会性
「模倣・コピー」と聞いて何を思い浮かべるか。
「大量生産」「商業主義」といった、作品の質低下を連想するネガティブなもの。
そういった傾向は激化し、世の中には「模倣・コピー」の品、或いは「模倣・コピー」ができてしまうような品が増えました。
これはご説明するまでもないと思います。
そんな中で行き着いた、或いは脱却したともいえるのが、「MMDトレース」ではないかと私は考えます。
“模倣すること”を、斯くも技術的に、高等な“芸として”確立させた。
「MMDトレース」という、「模倣・コピー」表現は、
誰もが簡単にできる「大量生産」ではなく、また、直接お金に結びくような「商業主義」でもない。
模倣・コピーの氾濫によって、オリジナル(本物)は脇に追いやられて、視界から隠れてしまったが、
「コピーされたものを更にコピーする」、そういったことを繰り返してきた結果、「コピーする技術」が異常に高まった。
そんな高いクオリティのコピーを求めていく現代性の中で、コピーそのものが「表現ジャンル」として遊離した。
そして、コピー・模倣表現は、「○○を模倣する」という受け身の姿勢から、「○○に模倣させる」という能動的な態度へと移っていく。
そういった社会性も、「MMDトレース」には反映されているのではないかと思うのです。
…が、これだけでは“芸術性”と言うには少々乏しいかもしれません。
そのへんは次で語ります。
「音」「舞踊」「ミラー」
以下、表現としてどのように面白いか、味わいがあるかを述べてみます。
「構造」「次元」「印象」などに、私は芸術的感触を受けたのですが、
見ての通り、「MMDトレース」の動画には、異なる次元が並列・共存しています。
「アニメのキャラ」と「ホンモノの人間」、この2つですね。
では、それら2つの層がどのようにして、このムービーの中で共存成立しているか。
次の三点を軸にして、順に述べていきます。
一. 「音」
二. 「舞踊」
三. 「ミラー構造」
一. 層の異なる二世界に共通軸となる「音」
「音」とは、時間性を伴う。
いや、時間そのものである。
「時間」は形而上に属するものとして、次元を超越する可能力がある。
(相対性理論とか、そういう特質が時間にはある)
まずこの「時間」を介して、両界の接触が発生する。つまり接点が形成される。
しかしこれだけではまだ不十分です。
二. 「音」の流れを具象化する「舞踊」
この場合、舞踊は「音」のパートナーであり、音を表現し、音と共存し、両者は調和して「ひとつ」となっている。
これにより第一の接点である「音」が具象化される。
接点はより強固なものとして補完され、違和感のない形で、異なる2つの次元の中和が行われる。
(また、これによって視覚性という土台が構築され、「ムービー」という形の作品として提出される。)
三. 「ミラー構造」による両次元共存
「音」とひとつになった「舞踊」が、さらに「ミラー構造」という(同じ動き)をすることで、両次元が絶妙なバランスをもって共存している。
「ミラー構造」仕立てにすることで、完璧な中和、一体化が実現される。
* * * *
と、以上のような理由から、これらの動画を絶賛するわけですが、
正直なところ、高次元な作品であるために、現在の私の乏しい語彙では言語化することが非常に難しいです。
こういった作品を前にすると、まだまだ勉強不足であることを感じずにはいられません。
「言語化が困難であるもの」を前にすれば、「言葉が出ない」というリアクションになり、私は「言葉で説明する」ということの難しさを痛感します。
が、そういったものに出会えたことはとても刺激的でしたし、
MMDトレースという表現が、今後、さらなる高評価を受けていくことを期待しております。
