とあるミュージシャンがCDを発売し、告知されていたのだが、
それに関して、ネット上で『ちょーだい』とリプライしている人がいた。


作品に値段をつけているのは、理由があるからだ。

その理由を無視した自分本位の発言なのだが(本来、受け手はそれを想像によって補うのだが)、
ならば値段をつけている理由をアーティスト側から説明してはどうだろうか

「こういう理由で値段をつけているんだよ」って。

値段をつけている(或いは値段をつけなければならない)、その理由を知らないのだから。


仮に懇意にしている友人であっても、
タダであげてしまうと、ろくな批評はついてこない。

「購入者」の視点に立てないからだ。

価格と作品の価値を照らし合わせることができない。

20円で買ったもやしを腐らせてしまうことはあるが、
2000円で買ったもやしは、是が非でも調理してやろうと思う。

「買う」ことで、人は真摯にその作品と向き合おうとする。

無料で(叉は安く)手にしたものは、「まぁ後でもいいか。無料だったし(安かったし)」となるのが常。

他者に自分の作品が渡ったのに、何も生まれないということ。


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衝撃であった「ちょーだい」発言に関して、他にも思うことがある。

そもそも、そのようなファンのいる(そのような発言が出てしまう)アーティスト側に根本の原因があるんじゃないか。


違法ダウンロードされているランキングの上位は、謂わば安物のJ-POPが多い。


「買う程でもないんだよな。でもみんな知っているし、流行っているみたいだし、今度カラオケで歌ってみたいし。とりあえず無料でダウンロードして、聴いてみるか。
てか、ダウンロードするまでもないか、面倒だしyoutubeで済ませておこ」


そのような気持で、安物J-POPが無料で違法ダウンロードされている。(youtubeで済まされている)

いや、安物どころか、購入する価値の無い、無料の代物だと思われている。

その程度の音楽だとみなされている。

「ちょーだい」なんて言われるのは、その程度の音源だとみなされているってことじゃないだろうか?

違法ダウンロードされているような音源、その程度の音源を作っているのだろうか?

いや、「実際その程度の音源なんじゃないか??」と、勘ぐってしまった。

もし、仮にそうであるならば、「音楽に命をかけていない」のではないかと思われる。

命をかけて作った音源であるならば、買う買わないは別として、
周囲は「ちょーだい」なんて冗談でも普通は言えない。


「命や人生はかけない」というスタンスで、音楽に取り組んでいるのだろうか。

音楽のために、自分の人生と生活を捨てられないのだろうか。


「線路に落ちた『音楽』を助けようとするか」

「助けたいけど…」と、躊躇した揚句、自分の命をやっぱり優先してしまって、線路に飛び込めず、『音楽』を見殺しにするような、半端な覚悟しかないんじゃなかろうか。

そうして見殺しにされた、轢き殺された音楽を見てきた。
死んでいるような音楽を、死んでしまった音楽を作ったのは誰だ?聴き手のせいのなのか?音楽を作っている側の人間じゃないか。

「自分の命>音楽の命」という態度で音楽を作れば、音楽の生命力が落ちて当然だ。


音楽のために死ねるか。
音楽のためなら死ねるか。

「音楽のためなら命をかけられる」というアーティストの音源を、多くの人は『購入』する。

そうして、死ぬ気で作った音楽を、人は気持ちを入れて鑑賞する。

タダほど、安くみられている作品はない。

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