『遺書―5人の若者が残した最期の言葉』
 (幻冬舎文庫)

幻冬舎より出ている、『遺書―5人の若者が残した最期の言葉』という本を買った。そして読んだ。

実は以前、立ち読みしたことがあった。

興味はあったのだが、そのときは購入はしなかった。

今回、本屋でたまたま見かけ、購入した。


遺書―5人の若者が残した最期の言葉



彼らはなぜ死を選択したのか?
生と死の狭間で揺れる若者5人の葛藤を同世代の目線で描き、いじめや鬱による自殺の真実に迫る。
実物の遺書と遺族からの返信 の手紙を全文掲載し、命の価値、家族のあり方を問う。
つらい経験を自らの力に変え、前向きに生きようとする遺族への取材も新たに収録。
生きることの大切さ を伝える完全ノンフィクション。


読み終えて。

この本は平成16年初版であるから、約8年前の本である。

昨今のニュースで取り上げられるような自殺事情とは少々異なる部分もあるかもしれない。

たとえば無職者、低所得、介護疲れ等による自殺は本書では描かれていない。

「いじめ」による自殺などがこの本では描かれている。


この本のポイントは「遺書」が載っているというところにある。

普通の日常生活の中で、
他人の遺書を読むというのはそうそうあることではない。

それを掲載したことで、本書は貴重だといえる。

さらに、遺族による「遺書への返信文」も載っている。

遺族の赤裸々な気持ちが伝わってくる。

泣けてくる部分もある。


本書での自殺者たちは、

いわゆる、平凡な人にみえる。人生や思考含め。

生まれた時から自殺意志があるとか、
突拍子も無いことをする変わり者とか、
三島由紀夫や太宰治のようなある種の才能を持った人とか、
そんなんじゃない。

普通に物事を考え、普通に生きていただけ。

そのような人が、
世の中の不条理(望んでいないこと)に遭遇して、自殺に及ぶ。

それまでの“普通”が通じない。

自殺願望なんてなかった。
普通に生きてきただけ。


自殺者の数だけ「自殺」の意味は違う。

その人の「自殺」には、その人が生きてきた、他には変えられない一生がある。

自殺者を「自殺した者」と一括りにするのは、できないこと。

自殺した人にも人生はあった。

生きていた時間があった。

その生きていた時間が、遺族にとって、その人のすべて。
これは自殺だけに限らないと思う。


そもそも、「仕方のない自殺」などあるのか。

いじめによる自殺は、「仕方のない自殺」なのかと。

「『仕方のない自殺』ってなんだ?あるの?」

そんなことを考えました。