カフカ『変身』 - 内容とあらすじ -








ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。

なぜ、こんな異常な事態になってしまった のか…。

謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常がすぎていく。

事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝 撃は、様ざまな解釈を呼び起こした。



フランツ・カフカ
(Franz Kafka, 1883年7月3日 - 1924年6月3日)
チェコ出身のドイツ語作家。

どこかユーモラスで浮ついたような孤独感と不安の横溢する、夢の世界を想起させるような独特の小説作品を残した。

その著作は数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成り、
純粋な創作はその少なからぬ点数が未完であることで知られている。

生前は『変身』など数冊の著書がごく限られた範囲で知られるのみだったが、
死後中絶された長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が友人マックス・ブロートによって発表されて再発見・再評価をうけ、
特に実存主義的見地から注目されたことによって世界的なブームとなった。


感想

海外文学傑作の一つといわれてる作品です。

フランツ・カフカ著、『変身』 (新潮文庫)


簡潔に述べると、
朝起きたら「虫」になっていたという話です。

それ以上何かを述べることも蛇足に思われる話なのですが、
思ったことを幾つか書こうと思います。

私はこの「虫」をムカデのようなイメージで読み進めました。

そこは厳密には述べられてはいないのですが、
ムカデのような“害虫”であり、又、外観が不快な甲虫のようなものであろうと思います。

「朝起きたら「虫」になっていた」

実に理不尽であり、そのあたりをつまんで、
「不条理文学」などと呼ばれるのでしょう。

物語では、虫になったザムザと家族の反応、また、自分が虫になっていく感覚などが描かれています。


読後、多くの方が拍子抜けするかもしれません。

というのも、「自分がなぜ虫になったのか」という原因と理由が物語の中では一切書かれていないからです。

“書かれていない”というよりも、“触れられてすらいない”といったほうが正確でしょう。

最後までわからない、わからないまま話が終わる。

ゆえに、人によって解釈が無数に存在する作品になっています。

「不条理であることに理由はない、ゆえに、だからこそ『不条理』なのだ」という解釈もそこには含まれています。


各所で言われているように、
これはいわゆる“シュルレアリスム”に属する作品です。

「これは現実なのか!?夢なのか!?」など、
そのような“判断”や展開はこの話には一切ありません。

夢と現実との境界、その線引きがなく、夢と現実が一体となっている世界がこの話の前提、舞台設定となっています。


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以下、私の個人的な思いになりますが、

私はこういった作品を読み、
『今の日本社会でいえば、これはひきこもりや不登校児のことだ』とか、

『多忙な仕事の毎日、その葛藤が現実世界に目に見えるものとして現れたんだー』とか、

そういう解釈や結論はあまり好きではありません。

「現実社会におきかえれば、○○だ」「現代にも活かせる話だ」といった論調のことです。

「この虫は何々の象徴である」っていう見方は避けたい、というのがまず私の中にあります。

なので、そういった比喩や置き換えによってこの作品の魅力を述べることはしません。


何より、この話の本質はそういうものではないと考えます。

これは、ある種、『夢』の話です。

正確にいえば、現実とリンクしている夢です。

それは夢であるし、同時に現実でもある。

寝てるときにみる「夢」、
その夢は目覚めているときの現実を反映していることがあります。

たとえば、現実で嫌なことがあって、その晩にうなされるような嫌な夢みる、などといったことがあると思います。

現実と夢はやはりどこが繋がっているのかもしません。

ドラマや漫画などで、
「これは現実なのか!?夢なのか!?」といったシチューエーションをよく見かけますが、
そのような“判断”すらこの話にはありません。そのような場面は描かれていません。

「夢と現実との境界」、その線引きがない世界です。それが舞台となっています。

お笑い芸人が行なっている「コント」というものがありますが、
見る人(観客)は、「こんな人、現実にはいない」ということを理解しながら、観て笑ったりするのですが、

コントの中の人、中にいる登場人物にとっては、
「その(コントの)世界の中では普通のこと」をただやっているだけなのです。それが彼らにとっては「日常」なのです。

『変身』の世界もそのことと似ており、
突然虫になったけれども、「あー、虫になっちゃったね」といった程度のリアクションくらいしか描かれず、
登場人物は驚きはするけれども、慌てず、至って普通の自然状態であり淡々としています。
そこでギャーギャーと騒ぐことはありません。

繰り返しになりますが、
それはこの物語の設定と舞台が、「夢」と「現実」が「一体」となっている世界だからです。



最後に、
こういった不条理をテーマにした作品に関して、私の思うところを少し述べておきます。(余計ではありますが)

『変身』において、
虫になった彼をどんどん周囲が非人扱いしていく場面や、
自分がどんどん人間じゃなくなっていく寂しさなど、
そういった箇所に触れ、次のようなことを思います。

「この世の中は確かに不条理かもしれない。
しかし、不条理の逆、それをたとえば『愛』と呼ぶならば、この不条理を目の当たりにして私は、
『愛』を想像している自分を確認する。
『愛』は想像物として、想像という形では確かに存在しているのではないか」


『変身』における一文を載せて、今回を締めくくろうと思います。

“彼はこの日ごろまったく他人のことを顧慮しなくなっていた。
そして自分でもそれをほとんどいぶからなかった。
だがすこしまえまでは他人への顧慮ということが彼の誇りであったのだ。” :カフカ『変身』 


興味もたれた方には是非ご一読願いたい一冊です。


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