記憶に残る読書法
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森鴎外『雁』 |
今日、少し本の整理をした。
吉本ばなな『キッチン』、森鴎外『雁』『高瀬舟』などが押入れから出てきた。
かなり昔になるが、確かにそれらを読んだ。
が、内容をぼんやりとしか思い出せない。
いや、「ほぼ覚えていない」に等しい。
なぜ本の内容を忘れてしまうか?
「本の内容を忘れてしまうのは、その本に魅力がなかったからだ、つまらなかったからだ」、
そんなふうに考えていた時期が私にはあった。
しかし、今ではこう思う。
「本の内容を忘れてしまうのは、私の『本の読み方』が悪いからだ」
読後、本の内容と感想をEvernoteなりパソコンにつっこむようにしているが、ついその作業を怠ってしまう時がある。(※冒頭で述べた本はこの作業をしていなかった)
余程の面白い本でなければ、5年後にはだいたい忘れている。
感想や内容を読後にまとめた本は、5年後もだいたい覚えている。
「覚えているかいないか」は、私の読み方で決まるといってよい。「感想文」とは、将来それを読み返すためではなく、主に「記憶として残す」ためにある。
他にも、「本の内容を忘れてしまう読み方」として、
アルバイターが仕事の終了時間を気にしながら働いているように、
残りのページ数を気にしながら、早く読み終えようとする読書姿勢。
こうして読まれた本は、内容がさっぱり頭に残らない。
駆け足で読んでいるのだから当然といえば当然である。
「残りページ数」を少しでも気にし始めたなら、読むのを中断したほうがいい。
「残りページ数が気になる」と「続きが気になる」は、同じ「早く読みたい」でも全く異なる。
「続きが気になる」「続きが読みたい」、そのような気持ちで読み進めるべきである。そもそも急ぎで読む必要など無い。
一冊の本を一年かけて読んでもいいのだ。それが本当に良い本であるならば。
もっといえば、
その時に「読み終えられなかった本」があってもよい。
たとえ、その時は読み終えられなくても、
積読となったその本を、数年経ってから「自然に」読み始めることはよくある。
(これは意外と頻繁にある)
残りページ数を気にしながら無理して読むくらいなら、読まないほうが賢明であろう。
それなら興味のある本を片っ端からバシバシ読みまくって、
年間200冊以上読んだほうがいいように思う。
シンプルな「記憶に残る読書法」
私が実践しているシンプルな「記憶に残る読書法」。
1.「気になったページに付箋を貼る」
2.「読後、付箋ページを読み返す」
3.「内容と感想をEvernoteやノートに書き残す」
4.「余裕があれば感想と引用をそれぞれ140字内でツイートする」
※無理して読んでいると感じたならスパッと読むのを諦め、すぐさま別の本に切り替える
※諦めた本を再び読む機会は数年後おとずれる
・・・・・
と、ここまで述べてなんだが、
「読書“法”」など、本来は不純である。
「速読法」やら「目標年間○冊」やら、
「本って、そんなに頑張って読むものだったっけ?」と思う。
読書とは、「文と構造を味わう『鑑賞』」である。
さらに青臭く言うならば、ロマンである。冒険と探求である。
そんなロマンさえあれば、読書法など要らないように思う。
(ここまで書いてなんですが…)
