夏目漱石『こころ』の内容と感想。
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金も愛も、「欲」という一点で繋がり、罪深い結果となった。 ーー“私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです” :夏目漱石『こころ』 twitter.com/ryotaism/statu…
— リョウタ.Fmoriさん (@ryotaism) 5月 30, 2012
“私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃きました。初めはそれが偶然外から襲って来るのです。しばらくしているうちに、私の心がその物凄い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来たのです” 『こころ』
— リョウタ.Fmoriさん (@ryotaism) 5月 30, 2012
夏目漱石『こころ』
学生の頃に一度読んだのだが、
先日、本屋をうろついておったら、新潮文庫から出ている限定カバーが目に入りつい衝動買いしてしまった。
今週に入って風邪をひいてしまい、
寝てばかりもおられないので、時間をかけてじっくり読み直すことにした。
やはり、名作である。
本を読んでいる際に、気になった文があれば「付箋」を貼るようにしているのだが、
付箋の枚数が名作っぷりを物語っている。
本に線を引いたり、折り目をつけたりするのが私はあまり好きではない。
単純に、本が汚れてしまうのが嫌なのだ。
付箋であれば、汚すことなく剥がすことができる。
人によっては、付箋の色ごとに意味をつけてカテゴライズするのかもしれないが、私はそういったことはしない。
できるだけ「一冊一色」でかためる。
理由は先に述べたことと同じで、少しでも見た目が汚くなるのを避けたい。
なぜ「付箋」をつけるのかというと、
読後に付箋を貼った箇所を読み直し、もう一度楽しむためだ。
小説が好きな人は、「過剰に余韻を楽しむ」。
時に、読書中よりも「読後」を重視する。
感想
漱石の『こころ』については、色々思うところがあって、だらだら書くのもいけないので一点だけ。
と、その前に。
先生は最後、「殉死」をするんですね。結末を言うと。
まぁ、自殺であるのだけど、「殉死」というのがポイントで。
明治の精神がなんたらかんたら、個人主義と寂寞どうのこうの、
このへんが重要なんだろうと思う。
まぁそれはそれで。今回は私がグッときたところを書こうと思う。
先生がお嬢さんに恋をするわけですけど、
それがなかなかうまく運ばなくて。
で、ときおり、お嬢さんが「馬鹿笑いする描写」があるんですね。
先生曰く、「私の例の嫌いな笑い方」というやつを。
それをちょいちょい話の中で挟むんですよ。
これがね、ここが、ほんとうまいなぁと。
ちょっと話ずれますが、
他人が、馬鹿笑いしてるのって見てて、なんか不快だったりしますよね。
あれはきっと、
「その人よりも笑っていない自分」を自覚したり、
「見てて、自分が笑われているような錯覚」をもったりとか、
そういう、色々な理由あると思うんですね。
「笑顔」っていうのはまさに感情をダイレクトに表現するもので、見るものは意図せず主張を感じてしまう。又、それを受け取ってしまう。
不快に思うばかりではなくて、
「人の笑顔をみてるだけで、こっちも笑顔になっちゃうよ」みたいな心理もありますが、
良くも悪くも、なんらかの主張性、
ビームみたいなもんを笑顔は発してるんでしょうね、おそらく。
その全方向的なエネルギーは、
笑顔が「仮面をかぶっていない表情」だからなんだと思うんです。たぶん。
言葉のように繕うことができないもので、感情があらわになった本性。
それをみて、人間の持つある種の「動物性」みたいなものを感じてしまう、
「人間は理性的な生き物だ」と思っている者ほど、
そういった、露骨に感情丸出しな笑顔を苦手とする。
漱石っていうのは、そういう、悪くいえばちょっと神経過敏な人で、良くいえば“人間的”な人だったんじゃないかなぁと、
読んでて少し思いました。
再読すると、こういう新しい部分が見えてくるからいいですね。
