今年の2月、

仲条くんと『音楽好きと音楽嫌いによる音楽の話』というネットラジオを始めた。

なんとなく、そのときの気分で始めたラジオだ。

いつまで続けるかわからない、

あまり何も考えていないというのが本音。

始めた理由は、ボクと仲条くんとで違うだろうね。

仲条くんが何を考えているかはわからないが、

ボクが「ラジオをやってみよう」と思った理由は単純明快だ。

「思い出づくり」だ。

思い出をつくろう、と。

じゃあ、「『思い出』って一体なんなんすか?」ってことでね、

ちょっとそれを今日は書こう。うん。


『思い出』って一体なにさ?


『思い出をつくろう』だなんて、おいおい、君も年をとったねぇ」

そのとおり。ボクは年をとったんだ。

ボクは今、29歳でね、

この年齡、

本人が若いと思えば若いのだろうし、年をとったと思えばそうなのだろうね。

で、ボクはといえば、「年をとったなぁ」と思っているんだ。

もっといえば、「晩年だ」と思っている。

人生の「終局」にさしかかっていると思っている。

「もうあとは死んでいくだけだ」
「死にむかって突っ走っていくだけだ」とすら、思っている。

(この発言が「若い」っちゃ若いんだが。中二病みたいなことで、そういう、悪い意味での若さなんだよね。褒めたもんじゃないよ、ほんと)


で、そんな気持ちだと、

「ボクはもう、死んでいくだけだ」なんていう心境だとね、

何を考えるかって、

「何か思い出をつくらなきゃ!」って思うんです、はい。


どっか旅行に行くとするじゃないっすか。

たとえばハワイ行ってさ、

でも、行ってみたら雨でざざ降り。どこにも遊びに行けない。

「こりゃやべぇ(((;゚Д゚)))」って思う。

「私のハワイ旅行が、つまんねぇまま終わっちゃう!」って。

そこでボクらの口から出るのは、

「何か『思い出』をつくらないと!」

そんとき、人間なにを考えてるかっていうと、

「ハワイから帰った後のこと」を考えているんだよね。

「今現在」より、その後、「未来」のことを考えている。

「つまんないまま帰っちゃう『未来』」を想像して、

「それはヤだなー」って思って、

で、「何か思い出をつくって帰ることができた」っていう、そんな「未来」がほしくなる。

ハワイ旅行の後の「未来」について。


「思い出づくり」は未来をつくること


こんな感じでね、

「ボクはもう、死んでいくだけだ」なんて思っているやつはさ、

「いや、ちょい待て!思い出つくるぞ!」って考えるんすよ。


「思い出」って、つまりさ、

「過去を思い出す」ってことだよね。

で、それは、その「過去」からみて、「未来」の行為だよね。

「思い出づくり」っていうのは、つまりね、

「過去を思い出す『未来』をつくる」ってことなんだよね。


「死んでいくだけの俺の『未来』」にね、

「これ、マズくねェか?なんか、やることあんじゃねぇか?」って思って、

「ちょっと違う『未来』をつけくわえたい」っていう気持ちがさ、

「思い出づくり」っていう行為におよぶんですね。

それは、「過去にしがみつくこと」じゃあないんですよね。

むしろその逆、「未来をつくろう」という行為が、

『思い出づくり』ってやつだと、まぁそんなふうに思ったりしますね。

「思い出」=「未来」だからね。


どうやったら「思い出」がつくれるのさ?


ということで、

「ネットラジオ、なんか、そういう『思い出づくり』になんじゃねぇか」って、

そういうこと思ったわけだ。

で、だったらとことん楽しんでやるぜ!って。

楽しくなかったら思い出になんないって思ってさ。

楽しいから思い出す。
楽しくなかったら思い出さない。


つまり、思い出になるには、条件があって、

「何か思い出すきっかけ」
がなかったらダメなわけだ。

で、このラジオの場合だったら、

「楽しいことが、その条件、思い出すきっかけになるんじゃないか」って。

(悲しいことや大変な経験も、思い出になるけども、
まぁ、この場合は、楽しいパターンでいこうよって。楽しさをトリガーにすっぞって)


***


そんな感じだからさ、とりあえず。

「このラジオを聴く人にとっても、同じように『思い出』になったらいいなぁ」とか、

さすがにそれは思わないけども、つか、そんなクオリティじゃないし、「そりゃあ大それ過ぎ!バカ!消えちゃぇ!」って話だから、

そのへんは聴く人に任せるよ。ごめんな、偉そうな口調で。

じゃあ、そろそろ焼きそば作るし、またブログで会いましょう。じゃあまたね。



『音楽好きと音楽嫌いによる音楽の話』


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