仕事ができない人をネタにして笑っている人の笑いのセンス。

よく見かけるんだわ。
仕事ができない人をネタにして笑っている人。
キミだよ、キミのことね。
いっしょになって笑ってるだろ?注意もせずにさ。なぁ、傍観者であり当事者よ。
ちょっとドジでさ、仕事が遅いとかで、怒られてる人ってよくいるじゃないっすか。
で、「あの人には仕事まかせられないよねwww」とかさ。
人の失敗や、たとえば遅刻とかしてる人を見て、
「自分は一番下じゃない。よかった」って、誰にも言わないけどこっそり安心を得ている人とかさ。
笑いものに仕立て上げることで、自分は劣等生じゃないと認識することができて。
あとさ、仕事が遅いのを見ていると、勝手にイラッとする方々ね。
おいおい(笑)地球はキミのものじゃないぞ(笑)
どうなんよ、ほんと。
そんなことしかネタにならない日常ってどうなの?って、
「仕事のできないやつをネタにして盛り上がっている会話」って、どうなの?って。
受験生の日常会話が「テストの話」ばかりになるようにね、
『仕事ができる、できない』とか、それくらいしか会話がない。
もっといろいろしたほうがいいんじゃないか。
いや、無理か。仕事で忙しいもんな、キミは。
笑いのセンス
そもそも、「笑いのセンス」という問題があって。
滋賀の、いじめ自殺のニュースでさ、
蜂の死骸を食わせてギャハハって笑えるような「笑いのセンス」って、どうなのよ?って。
「それのどこがおもろいねん」って、ボクなんかは思うんだけど、まぁ笑いのツボは人それぞれなのかな。
同様にね、
「仕事ができない人の失敗」とかをネタにして笑えるって、
「そんなことで『笑えてしまう』のか?」って、思ったりするんですよね。
想像力のこと
あとさ、
「想像力なさすぎだから」って話になるんだけど、
人間の「短所」ばかり見て、「長所」を見ない、見ることができない、想像力の無さ。
「好き嫌い」だけで判断しちゃって、
嫌いだけど好きになる可能性、
好きだけど嫌いになる可能性、
そういう「別の可能性」を想像できないんだよ。想像力がなくて。
「好き嫌い」っていう表面だけで判断しちゃう。
一枚の絵を見てさ、
その表面しか見ない、その奥を見ない。
じっと見ようとしないんだよ、ぱっと見るだけなんだよ。
絵は、チラ見でわかるもんじゃなくて、見つめなきゃわかんないことが多い。複雑だから。人間と同じで。
「仕事ができないだけじゃなくて、私に直接の迷惑がかかってるんだよ!フクモリのような、現実を知らない人にはわかんないよ!(知らねーよ、そんなもん。どうぞ一生イラッとしててください。ごめん、言い過ぎた!)」
でも、それって、
「ぱっと見ているだけ」のこと多くないかって?
じっとその状況を見つめてみたらさ、
それを避ける事ができた可能性もあったんじゃないの?
自分にも原因あったんじゃないの?
その人には何か理由があったんじゃないの?
それを陰口のように言って改善するの?
そういうことを「想像したのか」って話だ。
想像しないんだよ、
表面で起きた結果だけが、その瞬間の、キミのすべてになっているんだよ。
想像力があれば、「それがすべてである」ってことは、ないんじゃないないかな、たぶん。
***
んー、
でも、仕方がないよね。
「じっと見つめる時間」がないんだよね?仕事が忙しくて。ぱっと見るしか、余裕がない。
でもさ、こういう、想像力のなさが引き起こす事態について、
いいの?それ。って思うんですよ。
それでこういうことを書いているんだけど・・・
・・・
・・・ん?どした?
「フクモリ、オマエが言うな! つか、オマエ、正社員経験1年以上もねぇだろ!」って!?
ぉお…それだけは言わないでおくれ…。
まったくキミはボクの弱点をつくのがうまいなぁ…。
ごめんよ、ボクが悪かった。
ちゃんと働いたこともないのに、働いている人の「想像」をしちゃって。
っていうことだから、
想像力も使い方次第ですよーって。
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