amazarashiの歌詞と現代性、そのシンクロ率:『ジュブナイル』発売前に一言
amazarashi
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2013.04.10 NEW ALBUM
「ねえママ あなたの言うとおり」
http://www.amazarashi.com/mama
アルバム収録曲の『ジュブナイル』がYoutubeにオフィシャルであがっていました。
amazarashiのファンとしては、早くアルバムを手にしたいキモチでいっぱいです。
YotubeのMVを見ていて、ふと色々思ったことがあったので、
ここに綴ろうと思います。
YoutubeでのMV・PV宣伝について
『ラブソング』のMVでは、
歌の音源に、動画の「効果音」がまぎれこむように作られています。
今回の『ジュブナイル』のMVでは、
少女がイヤフォンで歌を聴くまでに、しばし「音の空白」があります。
つまり、ユーチューブでは正確な音源が聴けない作りになっており、
「CDを購入してもらう導線」がしっかりとあります。
これは、ビジネスというよりも、
「Youtubeを聴くだけで満足する『新世代』」に対応している、
といったほうが適切でしょう。
アルバム『ラブソング』発売のときもそうでした。
- 東京公演のUstream生配信視聴コード
- 横スクロールのゲームで得点すると、壁紙がダウンロードできるフラッシュコンテンツの収録
このように、現代ならではの特性に丁寧すぎるほど対応しています。
こういったプロモーションの観点からも、
amazarashiの現代性を感じ取ることができます。
もちろん、「歌詞」こそが何よりの特徴であり、現代性を表しています。
それについても、思うところを少し書いてみます。
若者の現代性とは?

先ほどから述べている、“現代性”とは一体何か?
正確には、“若者の現代性”なのですが、
「心と体のバランスがとれていない」
というのが、現代の若者によくある現象ではないかと考えています。
ゲームやUstreamがそうであるように、
画面上には、リアルな身体性がありません。
そこに映るのは、擬似の身体です。
初音ミクもそうです。
生の人間の声ではなく、人間の声を真似ている、いわば人形です。
しかし、その人形に、精神や心だけが宿っているように感じます。
また、精神や心を“宿そう”という試みがそこにはあります。
そこに心はあります(正確には、あるようにみえるだけですが)。
しかし、リアルな肉体がありません。
実際、「人間と同じ心」はあるようにみえても、
「人間と同じ肉体」があるようには見えないでしょう。
心はあっても、そこにはリアルな身体性が抜け落ちているのです。
こういった観点は、現実世界とのズレを生じさせることがあります。
たとえば、頭のなかに「思い描く理想」があって、
しかし、その理想と、現実世界の「私の肉体」が釣り合っていない。
これはよく聞かれる、「理想と現実のギャップに苦しむ」というものであり、心と体にズレが生じています。
amazarashiの歌詞と現代性、そのシンクロ率

「理想と現実」、「肉体と心」が、うまく噛み合わない、そのストレスと苛立ち。
こういった絶望が、若者の現代性としてあげられると思います。
amazarashiの歌詞は、
このような心と体のバランスがとれていない現代性と見事にシンクロしています。
言い換えれば、そのシンクロ率がamazarashiの生命線だと思います。
ゆえに、現代との同期が少しでも遅れると大きな違和感が生じる、と考えられます。
今のところ、シンクロ率の高い詞をコンスタントに書き続けています。
時代性を売りにする歌詞は、時代の移り変わりともに変化を求められます。
若者の絶望を歌うにしたって、「普遍性」を抽出できているかが鍵となります。
現代若者の絶望と、次世代の絶望では、いくらか変容します。
百年前の若者の絶望と、百年後の若者の絶望、
両者に共通する、普遍的な絶望要素を詞にあらわせているか。
今の時代を“完璧に”歌っている詞は、
一発屋ならではの、時代との強い接触、インパクト、大きなムーブメントが起こりますが、
その時代が終わった後、その時代を通り抜けた後、
その歌は時代からどんどん離れていくことがあります。
***
amazarashiの歌詞は、現代という「一時代」を歌っているのか。
ボクにはわかりません。
しかし、「現代」を的確に歌っていることは間違いないと思います。
現代と等身大であるamazarashi、早くアルバムが聴きたいです。
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