明日死ぬかもしれない可能性はどれくらいか?

よくいうよね…。
「人間、明日死ぬかもしれない」
「いつ死ぬかわからない」
って。
じっさい、ボクたちはそういった場面をみてきた。みてきたはずだ。
とつぜん、一瞬にして、多くの人が亡くなる。
本当は、いつ死んでもおかしくない。
だからこそ、毎日を必死に生きようと思える。
でも、ついついそのことを忘れちゃうよね?ボクはそうだよ。
これって、仕方ないんだよね。
「明日死ぬかもしれない」って言われても、「今日まで生きてきた経験」があるからね。
今日まで普通に生きてこれたから、明日死ぬ可能性も低いだろうって、考えてしまう。
「明日死ぬかもしれない」って言われても、ピンとこないんだよね…。
でもね、ちょっとこのへんをしっかり考えたいんだ。
よかったら続き、読んでみてよ。
がんばって書くからさ。
確率のお話
コインを100回投げてさ、
100回ともコインの『表(オモテ)』がでたとするじゃん?
じゃあ、101回目はなにがでると思う?
「『表』でしょ! だって100回とも『表』だったんだから!」
うん、そうだよね。ふつう、そう思うよね。
でもね、確率の話でいったら、
101回目に『表』がでる確率と『裏』がでる確率は、同じなんだ。
どっちも同じ50%の確率。
それまで100回とも『表』がでてたのは、たまたまで。
101回目に『裏』がでる確率も、同じ50%なんだ。
「そんなことありえない!」って思うよね。
でもね、合理的に考えると、数学の世界では、そうなるんだ。
100回とも『表』がでても、101回目に『裏』がでる確率は同じ。
卵を壁にぶつけて、ニワトリがでてくる確率

なんとなーく、ここまで言ってること、わかってもらえたと思う。
じゃあ、ここからもっと、極端な例え話をいうよ。
卵を壁にむかって投げるじゃん?さぁ、どうなる?
「割れるに決まってんでしょ!割れて、どろ~ってなるよ!」
うん。
じゃ、聞くけど、なんでそう思う?
「いや、常識的に考えてそうだって!」
そうだね。
それは、これまでの『経験』からいって、そうだよね。
これはさっきのコインの例でいうと、
「100回とも『表』がでたから、101回目も『表』がでる」
という考え方なんだよね。
でも、ボクはこう言うんだよ。
「壁に向かって卵をなげて、ニワトリがでてくる可能性ってゼロじゃないよね?」って。
「そんなわけねーだろ!フクモリ、ついにお前は頭がおかしくなったのか!」
…ああ、ごめん!そだよね、ありえないよね。
でもさ、
そんな経験をしたことがないから、「そんなことはありえない」って思うんだね。
でもね、「ニワトリがでる可能性」は「ゼロ」ではないんだ。
かぎりなくゼロに近いけれど、「ぜったいにない」とは言い切れない。
ひょっとしたら、ニワトリがでてくるかもしれない。
「そんなわけない!」って、ぜったいに言い切れないんだね。
合理的に、数学で考えると。
明日死ぬ確率

ああ、でもごめん。
正直に言うよ。
「壁に卵を投げつけて、ニワトリがでてくる」って?
そんなわけねーだろ!って、ボクは思ってるよ。ぶっちゃけ。
だって、そんな確率、ほぼゼロだよ。ほぼ、ありえない。
科学的に考えても、ほぼ絶対にない。
たとえその可能性があるとしても、「確率、低すぎ!」って話。
ところでさ、
じゃあさ、ちょっと比べてみようか。
「壁に卵を投げつけて、ニワトリがでてくる確率」と「明日、死ぬ確率」、
どっちが高い?
「明日、死ぬ確率」のほうが高いよね。
「明日死ぬ確率」っていうのは、とても低いようにみえて、実は、『世の中にある色んな確率』と比較すると、けっこう高いほうなんだ。
いろんな確率、あるよね?
1億円の宝くじを当てる確率。
総理大臣になれる確率。
そういう、いろんな確率が世の中にはあるけど、
そのなかでも、「明日死ぬ確率」はけっこう高いほうなんだ。ランキングでいうとね。
ボクはそう思ってる。
他と比較すると、実は意外と、「明日死ぬ確率」って高いよね?って。
卵をなげてニワトリでる確率よりも、ぜったいに高いよね…。
このへん、ちょっと忘れちゃうんだよね。
「明日死ぬわけねーだろ!」って、
いや、でもそんなことないよなぁ…って。他の確率と比べると。
で、あとさ、
ここまで言ってきた「死ぬ確率」っていうのは、『自分』の話なんだけど、
『大切な人』が死ぬ確率も、これと同じってこと。
自分が死ぬ確率と、大切な人が死ぬ確率は、同じなんだ。
ありえないようにみえて、けっこうあるってこと。
同じなんだよ、ワタシが死ぬ確率と、大切な人が死ぬ確率は。数学で、厳密に考えると。
・・・これ以上は書かない。
ボクが書くと気持ち悪くなるからね(笑)
***
ということでね、
これまでの経験から、ついついこれからを安易に予想しちゃう、
それは仕方ないけど、たまには数学で考えて、行動してみるのもいいかなって。
あ、ここまで読んでくれてありがとうね。
ボクが書く最期の文章かもしれないし、キミが読む最期の文章になるかもしれないし、
また会えることを願ってるよ。じゃあまたね。