「自慢」の仕方が巧妙になってきている件

「自慢」について
「自慢」という言葉があります。
「なんだか、自慢たらしいな」、
そんな、”自慢たらしい”相手の態度をみて、
過去に何度か不快に思われた方もいるのではないかと思います。
なぜ不快な思いをするかというと、
”自慢する、自慢される”という、その裏には、
「自慢する側」と「される側」の間に、優劣関係が存在しているように思うからです。
つまり、
その自慢を認めてしまうと、自らの劣勢を認めてしまうことになる、
ゆえに認めまいと、その自慢を拒絶する、
その反応が「不快な思い」となって現れているわけです。
しかし、もとから自分に自信がある者は、優劣の、”劣”を自らに感じないわけですから、いくら他者に自慢をされても動じません。
と、ここまではよくある、自慢に関する考察でした。
しかし、「自慢」は今や、この構造をふまえたうえで進化しております。
「自慢」の進化
以前、Twitterで私はつぶやきました。
責任発信元をはっきりさせず、直接的でなく、こっそり人を牽制するような言葉をもって、自分にも他人にも”なるべくバレない”ように優越を感じる。罪悪感も優越感もよくわかんないようにして、的をしぼらせないように自慢と自虐を使い分けて、ひとまずポジションを確保する。
— 福森亮太さん (@ryotaism) 2011年12月11日
関連性あるものとして、以下もつぶやきました。
「陰口はかっこわるい」ということで、陰口を陰口では無いようにすべく、陰口は、批判していることに気付かれないように批判する牽制モーションへと、より巧妙なものになった。気づかれないように気付かせるという手法、宛所のない批判の末路、「いじわる」である。
— 福森亮太さん (@ryotaism) 2011年12月26日
今日は、二つの自慢パターンをご紹介させて頂きます。
「自慢」を「自虐」とともに併用することで、
本来の「自慢」を、うまく雲隠れさせるという手法。
自慢のみでなく、自虐も取り入れることで、相手の注目を右左に振りわけ、”自慢のみに的を絞らせない”という自慢の仕方です。
そして、自慢をしている当人もこの手法に気づいていない、
無意識に行なっているケースが多々あるように思います。
「自虐」的な思いは、作為的でない、当人の本心です。
結果的に「自慢」になっているのですが、
「自虐」が本心であるがゆえに、「自慢となっていること」に気付かない。
少々、無理やりですが、ひとつの例文を上げてみます。
《自虐を交えた自慢表現:例》
「昨日は仕事が忙しくてテレビとか全然見てないよ。お前は暇そうで、テレビとか見れていいよなぁ。でも私は、毎日が忙しくてすごく充実しているよ。」
↓これに自虐を交えて変換すると↓
「毎日忙しくて、”自分はこのままでいいのかな”って、昨日考えたんだよ。
ろくにテレビも見れないような生活が、本当にいいのかって、お前と話してて、最近よく悩んでる」
文脈に自虐を織り交ぜることで、自慢を中和させています。
「私は人生に対して真剣である」という自慢になっています。
そしてもうひとつ、
「牽制」を用いた自慢手法があります。
「自慢」であることに気付かれないように、
あからさまな自慢ではなく、「牽制」という格好で、
こっそり、気付かれないように、気付かせるという手法。

「自慢」は相手に気付いてもらわなければ、自慢をする意味がありません。
気づいてもらい、
そして相手に”少しでも”劣勢を感じてもらうことで、優越感と安堵を感じることでき、
ようやくそこで、自慢は達成されることとなります。
しかし、「自慢」が、あからさまにそれが自慢であると相手に気づかれてしまうと、
冒頭で述べたように、不快な思いをされ、拒絶されるので、
「優越を感じる」という自慢の達成が難しくなります。
そこで、自慢であると気付かれずに、
”あわよくば気付いてもらえれば”という気持ちで、
相手に少しでもいいから劣勢を感じてもらえるような表現を行います。
一見すれば、その見た目や語呂、振る舞いからは、
王道の、従来の自慢っぽい表現ではない、
しかしそこには、相手の劣勢を「牽制」するようなモーションがみて取れます。
不快とまではいかないけれども、キモチがわるいような、
痛くはないけれども、少しチクチクするような、
つまり、牽制されているのです。
こちらは先程のものとは違い、意識的に行なっているように思います。
同様に、例文をあげてみます。
《牽制のある自慢表現:例》
「昨日は仕事が忙しくてテレビとか全然見てないよ。お前は暇そうで、テレビとか見れていいよなぁ。でも私は、毎日が忙しくてすごく充実しているよ。」
↓これを牽制へと変換すると↓
「テレビを見ようと思うんだけど、いつも急に仕事が入って忙しくなって、昨日は結局一睡もできずに、見れなかったんだよ。あー、なんで最近こんなにも忙しいんだろう。」
「あー、なんで最近こんなにも忙しいんだろう」という、独り言に近いつぶやきには、
「忙しさ≒充実」という主張、自慢があります。
しかし、それをダイレクトに自慢するのではなく、
あわよくば気付いてほしいという、牽制程度のものに留めています。
「槍で一突き」というものではなく、ちくちくと相手の劣性を突く、そういった自慢です。
※「愚痴」なども、こういったケースにあてはまることがあります。
***
昨今の自慢は、「それが自慢でない」ようなカムフラージュがほどこされています。
ボクは思うんです。
「もっと堂々と自慢すればいいのに」と。
「それ、臆病が露呈しているぞ」って。
自虐でカムフラージュして、ちくちくと相手の劣性を牽制するような自慢は、性格をねじ曲げていく一方ではないか。
以上、自慢サンプルでした。