つじつま合わせに生まれた僕等



amazarashi『つじつま合わせに生まれた僕等』を聴いていて、

最近ふと思い浮かんだ小説が、カミュの『異邦人』です。




小説の中で、アラブ人を殺害してしまったムルソーは検事に問われます。

「なぜ殺した」と。

ムルソーは、「太陽のせいだ」と答えます。

太陽がまぶしかったから。

「一体どういうこと?」と言いたくなるが、

「太陽」は、本小説のテーマでもある「不条理」の反対、対峙するものとして描かれています。

詳しいことは、以前にブログで書きました。よろしければご一読を。(→ 『カミュ : 異邦人』


誰もが転がる石なのに 皆が特別だと思うから
選ばれなかった少年は ナイフを握り締めて立ってた
匿名を決め込む駅前の 雑踏が真っ赤に染まったのは
夕焼け空が綺麗だから つじつま合わせに生まれた僕等



某事件を連想させる歌詞ですが、

“夕焼け空が綺麗だから”は、『異邦人』における、“太陽がまぶしかったから”に呼応しているように思えます。

「夕焼け」と「太陽」。


「辻」



「辻」は裁縫で縫い目が十字に合う部分をさし、「褄」は着物の裾の左右両端の部分を意味で、いずれも合うべき部分を意味する
そこから、道理などが合うことを「辻褄が合う」、ちぐはぐなことを「辻褄が合わない」と用いられるようになった。



道理が合わないこと、世の中の「不条理」に対する彼の「辻褄合わせ」

しかし、その辻褄が合わないこと、それが「辻斬り」という行為に繋がってしまったのではないか。


辻褄を合わせること、道理が合っていること、

『つじつま合わせ』に生まれた僕等」であるが、辻褄が合わない現実。

彼は何をみたか。或いは、何をもとめていたか。

“夕焼け空が綺麗だから”


先ほど少し述べましたが、これは『異邦人』における太陽と同じ働きをしており、夕焼け空とは「不条理」に対峙するもの(「真実」を追い求める姿勢)。

最後まで辻褄を合わせようしていたことが、“夕焼け空が綺麗だから”という言葉に表れているのではないか。

しかし、自分にとって辻褄の合わない現実があった。

叉は、自分を変えることができなかった。

結果、自らの手で「辻褄を斬る」こととなった。


『つじつま合わせに生まれた僕等』というタイトルにおいて、『辻』という一語が、ひとつのポイントになっているように思いました。


amazarashi『つじつま合わせに生まれた僕等』の歌が好きな方は、カミュの『異邦人』も読んでみてはいかがでしょうか。

正直、私のちっぽけな筆力では、『異邦人』をうまく説明することができません。

読まなければわからない名著であり、読んだ人の数だけ感想が産まれる名著だと思います。


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異邦人

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