ときおりね、絶望感みたいなものにおそわれて、

ぜんぶがイヤになっちゃうことってあるもんです。

んで、

考えなければならない問題、避けて通れない問題があるのに、

ほんとうはそれと向かい合んなきゃならないのに、現実逃避しちゃんですよね。

時間だけが、ただただ、過ぎ去っていく。

月~金までが、高速に終わっていく。

こりゃ「現実逃避」ですよ。

現実逃避しているから、時間の流れが早く、かつ、虚しく感じる

まあ、それはいいとして、

こうね、人生の価値みたいなものを見失ってしまって、

日常がつまんなくなるときはあるもんです。

そんなときに、思い出さなきゃならないのが、

てか、思い出せることが大事なんですけど、

「私は何をしている時が一番楽しいか」

それを、きっちりわかっているかどうかだな、と。


楽しいこと、幸せだと思う瞬間



最近さ、もう、ヤだよって、人生、もう終わってしまっていいよって、

なんか、イライラして、悔しくなって、情けなくて、

ああ、オレはいい年して何やってんだろう、って。

まぁね、自分の弱さなんですけども、情緒不安定MAXで。

で、ふとね、枕元の小説が目に入って。

手にとって、パラパラとめくってみたら、おもしろくってさ。

ほんとうに、楽しいんだよね、小説を読むってことは。

で、「ああ、ボクは小説を読んでいるときが一番シアワセだ」と思った。

落ちてたんですよね。シアワセがそこに。たった一冊の小説ですけど。

バカみたいな話ですけど、なんだか泣けてくるんですね。苦しかったからか、幸せだからか。


現実逃避は「楽しくない」


「でも、あれ? これも現実逃避じゃねぇか?」って、

そんとき思ったんですけど、どうやら違うんですよ。

ボクはスマートフォンやパソコンを使って、夢中でネットサーフィンをしたりするんだけど、

でも実は、ぜんぜんおもんないんですよ、楽しくない、

いろんなことを忘れることはできるけど、まったく楽しくない。

つまり、ボクにとってネットやテレビは単なる現実逃避や暇つぶしでしかない。

一方で、小説を読むのは、楽しくって仕方ない。

ネットやテレビと違って、心の底から楽しいんですよ。幸福感さえある。

ここなんですね、

「それが現実逃避であるかどうか」は、「それが楽しいかどうか」。


ほんまに、心の底から、わくわくして、楽しくて、うれしくて、シアワセで、

そう思えるものなら、そりゃあもう、現実逃避なんかじゃない。


楽しいこと、迷ったときの道しるべ



心から楽しいと思える瞬間があること、

それは、生きていくうえでの、ひとつの「道しるべ」となる。

「道しるべ」ってのは、迷ったとき、非常に大事なんだね。

楽しくない瞬間が続くと、それがこの先も続くんじゃないかと思ってしまう。

そんなときにね、楽しい瞬間を思い出せるかどうか。

自分は何をしている時が一番楽しいか、夢中になれるもの、

それを把握しておかなきゃ、ボクらは「楽しくない瞬間の連続」にのみこまれてしまう。

うっかりしてると、その渦の中にのまれていってしまうんだよ。

つまらないだらけの森林に迷い込んでしまって、なかなか抜け出せない。暗闇の、どん底。

そんなとき、迷ったとき、問うてみる。命がけで問うてみる。

「自分は何をしている時が一番楽しいか」

もしもそれがあるならば、そこに戻ってみようじゃないか。その道しるべに。

というか、『そこ』なら戻れるんだよな。


イタイやつでも、ちょっと精神的に病んでても、

「楽しいこと」なら、『そこ』に戻れる。

「夢中になって楽しいと思えること」、それは迷っても戻ることができる「道しるべ」であると同時に、入り口、スタート地点でもある。

いろいろと迷っていても、「自分が心から楽しいと思えること」があるなら、

それを把握しているなら、何度も思い出して、また『そこ』から始められる。

そういう便利なもんだよな、「楽しいと思える瞬間」ってのは。


ないなら、ないでよくて。

それは日常が充実している証拠で、どこにも迷い込んでいない(と思う)。


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まぁ、こんなかんじで今日もえらっそうに書いたけど…、またきてくださいよ、先輩。