「難しいことを、わかりやすく伝えられるのが賢さだ」

言うんですけども、

ついつい「専門用語」というのは、使っちゃうもんです。

ボクはどんどん使っていっていいと思ってます、専門用語。

他人が知っているか知らないかなんて、そんなもの、どうやって判断すんのさ。


専門用語を遠ざける「甘え」


英文を読んでて、わかんない単語がでてきたら、あきらめますか?

小説や古典を読んでて、わかんない単語がでてきたら、それはダメな文学だと思いますか?

んなこっちゃないですよね。

辞書をひく、類推する、

読解とはそういうもんですし、学生だけじゃなく、大人になってもそうやって勉強していくもんだろうと思う。

「専門用語を使うな!」という人、そのだいたいは、甘えなんじゃないかって。

たしかに、虚勢をはりたいがために、覚えたての専門用語をかっこつけて使っちゃうような「悪文」はあるんでしょうが、

意外と、なんにも考えずに、使ってると思うんですよ、本人は。

普段からその専門用語を「日常用語」として使っているだけかもしれないし、

「あなたにはわからない単語」かもしれないけど、「あなた以外はけっこう知っている単語」かもしれない。

「もっとわかりやすく言って!」って、ワガママもあって、そして限度がある。


「わかりやすさ」と「簡潔さ」は両立しにくい



それに、「専門用語」を使ったほうが「手っ取り早い」ってのがある。

たとえば、「アイデンティティ」って言葉をいちから説明したら、140字じゃ足りない。

140字で伝えたいことがある場合、「アイデンティティ」っていう言葉をつかうと、いろいろ省けて、都合がいい。

簡潔に伝えるために「専門用語」を用いれば、「もっとわかりやすく!」と求められ、ならば「簡潔じゃなくなるよ?」って。

専門用語を使わない場合、説明長くなるんだけど、それはいいのか。

「簡潔であること」と「専門用語を使わないこと」、

その両方を求めることは、難しいんだよね、おそらく。両立しにくい。

※「アイデンティティ」はもはや専門用語じゃないか…


「専門用語」は専門でない分野を知る入り口


「その専門である人が使っている言葉」で、「その専門でない人は知らない言葉」、

これを「専門用語」と呼ぶとして。

その分野を知らないのだから、専門用語を知らないのは、当然。知らなくて当然。

自分の専門分野じゃない「分野」を知ることは、その分野の「専門用語」を知るってことから、始まるんじゃないかと。

その、「専門用語の段階」でつまづいてたら、もう、ムリじゃないか。専門へと進む、入り口の部分。

英文でいうと、「意味のわからない単語」がでてきて、

調べる人と、あきらめる人、

もちろん、英単語を大量に知っていても、英語はマスターできないだろうけど、

わかんない単語がでてきたときに、ひとつひとつをちゃんと調べる人は、「英語学習の入り口」に立っているんじゃないか。


覚えた言葉をすぐに使う



あと、「覚えた言葉をすぐに使う」「難しい言葉をわざわざ使う」、こういうの、嫌われたりするけど、

じゃあどの場面で使うのか?

そりゃあ、かっこつけた、調子に乗った感じが、鼻につくのもわかるけど、

言葉は使ってなんぼでしょって。

伝えるためだけに言葉は存在していないけど(思考するためっていうのもあるけど)、

そりゃ、会話や文中で、いつかは使うって。速い遅いの違いはあれど。

「相手は知らないとわかってて、自慢げに専門用語を使っちゃう」、

これは、たしかに“コミュニケーションに難あり”、性格がちょっと悪いかもしれないけど、

本人なりに、覚えた言葉をすぐにアウトプットする姿勢かもしれない。

実際、覚えた言葉はアウトプットしなきゃ、覚えられないし、マスターするとは運用できてこそ。

だから、相手が知らなくても、どんどん口に出して、「独り言」のようにして、使うのはいいんじゃないか。

自慢げじゃないなら、不快にさせようと思ってないなら、いいでしょう。

こっちに悪気は何もないけど、結果的に不快に思われた場合、それはもう、向こうの勝手だよって。

自分がその専門用語を知らないからって、身勝手に、不快に思っているだけで、

わからない自分を正当化するために、「難しいことを、わかりやすく伝えられるのが賢さだ」とか、

相手に求めるばかりで、そう言っちゃうのは、どうだろか。


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そんなこんなで、ボクのブログも気をつけたいものです。

今日も偉そうに語ってすいません、先輩。