この記事を読んだ方から、先日、コメントをいただきました。

このブログには、いわゆる“コメント欄”がないので、

メールでしかコメントができないようになっています。

なので、メールでコメントを頂けたこと、とてもうれしかったです。


今回は、うざいかもしれませんが、自分語りをしてみます。

何かの参考になればと思います。



私は20代前半~後半まで、書道をしてきました。

書道がやりたくて、勤めていた会社も辞めました。

以降、書道家として、「やりたいこと」を夢中にやってきました。

けれども、いろいろあって、書道をやめました。

その後、抽象画という「やりたいこと」を見つけ、描き始めます。


ところが、いろいろあって、抽象画を描くこともやめました。

そしてついに、「やりたいことがみつからない」状態に陥りました。

何もない状態、自分が空っぽであるように感じました。

結果、自宅にひきこもるようになりました。

「やりたいことがみつからない」、これはとても苦しいことでした。

何に向かって頑張ればよいのかわからない。

ところが、焦っても、目標も何も見つからない。

そうして、時間だけが過ぎ、ひきこもり続けました。

そのとき、私は自分を見つめなおす機会を得ました。

今まで、自分は「やりたいこと」をやってきたつもりでした。

でも、それは「本当にやりたいこと」だったのか。

なんとなく、目の前にあったものをがむしゃらにやってきただけなんじゃないか。

だから、ころころとやりたいことが変わったんじゃないか。

それはそれで、「間違っていなかった」と今でも思います。

が、私には「自分を見つめなおす時間」が足りていなかったのではないかと思います。


ひきこもっている間、じっくり自分と向き合いました。

「やりたいことがみつからない」状態であるからこそ、向き合えたのではないかと思います。

そして、私はいろいろな本を読みました。

そのとき、私はとある本と出会い、たいへん感動しました。

私が「本当にやりたいこと」はコレではないか?

そして、小説、文章を書くようになりました。




このブログも、その頃に立ち上げました。

重い腰をあげて、仕事も始めました。

そうして、今に至ります。

私は今現在も、ブログを書いたり、小説を書いています。

これが、本当に自分の「やりたいこと」であるのか、

それは数年後、否、死ぬときにならないとわかりません。

が、少なくとも今は、「これが自分の『やりたいこと』だ」と思っています。


『夢がない、やりたいことがみつからない、その意味』というブログを書きましたが、

私はなんだかんだ、「やりたいことがある」、それはすばらしいことだと思っています。

けれども、「やりたいことがみつからない」という状態もまた、大事なことだと思います。

というのも、私の場合、その状態を経たことで、「やりたいこと」にたどりつくことができたからです。

ひきこもっていたとき、あの時期がなければ、出会えていなかったと思っています。


が、今でも、思います。

「やりたいことがある」だなんて、また自分をごまかしているんじゃないか。

哲学的な不安、無の状態、本来のあるべき姿と向き合うことが怖くて、「やりたいことがある」という言い訳して、逃げているんじゃないか。

「やりたいこと」が見つかっても、実は見つかっていない可能性が、常につきまといます。

私は問いかけます。

「これが私の本当にやりたいことなのか?」と。

そう言える自分と、そう言えない自分が共存しています。

不安定で、ぐらぐらと揺れ動いています。

「これが私の本当にやりたいことなんだ」と心から言えるように、頑張ろうと思います。


***


つたない文章、しょうもない自分語りになりましたが、以上です。

いつでもどなたでもかまいません、このブログに関して何かあれば、気軽にコメントください。

お待ちしております。

私の語れる範囲であれば、なんでも語っていこうと思います。

それでは。



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