こんばんは。

選挙や政治に音楽をぶち込んでくる方々がおります。

あげく、「これがロックンロールなんだ!」と言う人もいます。


違和感。

なぜなら彼らの歌が私は好きではない。

が、彼らの思想は少しわかる。納得できる部分もある。

しかし、いかんせん、彼らの「音楽」がまったく良くない。

「音楽」として聞くに堪えない。

ゆえに、賛同しにくい。

(というか、そもそも私は音楽が嫌いであるから、嫌いな音楽を用いられる時点で苦手だ)


彼らは「音楽の力」を信じているのかもしれない。

あるいは、「『音楽嫌い』なんていない」と思っているのかもしれない。

が、残念ながらここにいる。

私は音楽の力なんて全く信じていない。

フェスで拳を突き上げている人をみると、興醒めする。

恐ろしさすら覚える。

私はその中には入れないし、入りたいと思わない。

「音楽の力」という意味がよくわからない。

音楽で一体感を感じたこともないし、人生を変えられたこともないし、どうでもいい。音楽は私の人生には不要である。

が、彼らは歌う。

人間の力を信じ、音楽の力を信じ、歌う。

音楽の素晴らしさを感じたことがない私には、よくわからない。共感できず、置いてけぼりをくらっているようだ。

賛同したい、が、音楽が邪魔している。

音楽が邪魔なのだ。




そもそも、私にとって音楽とは「非日常性」である。

「この世にないもの」であり、「言葉にできないもの」である。

政治とは「日常性」である。

「この世の現実」であり、「言葉ありきのもの」である。

「政治と音楽」の関係は「水と油」のそれである。

交じり合うことはないし、交じり合わないがゆえ、音楽は音楽として、生き残る。

こういう表現ができるだろう。

『音楽が政治に巻き込まれている』

いろんなことが政治に巻き込まれてきた。そして音楽までもが。

私は思った。

「また政治がからむのか。音楽でさえもそうなのか」と。

もういい、そんな光景はさんざん見てきている。


無論、すべての音楽はそうではない。

しかし、こういった光景が今後もあるのかと思うと、げんなりとする。

音楽嫌いがますます加速する。

「選挙に行こう」、そんなもん、音楽に言われなくてもわかっているし、音楽にそんな力はない、あったとしても、私には届かない。

音楽は好きでも、音楽で私も世界も変わることなど無いという人々。

そんな人はけっこういるだろう。

しかし、そのことに気づいていない。

なぜなら、彼らは「音楽の力」を信じてやまないから。