人と会話する意味について俺悩んでる
先ず、キモいタイトルですまん。
が、けっこうこれマジだ。悩んでる。
「でた~、自意識過剰なやつ~」とか、いうなよ。あやまらないし、俺は。
最近、俺悩んでる。
人と会話する意味、その理由を見失いつつある。
「人と会話するのが億劫である」とか、そんなんじゃない。
「ひとりでいるのが好き」とか、そういうのでもない。
『会話ってなんのためにあるんだろう?』っていう疑問。
「なんで俺は今、人と話しているんだろう?いったいなんのために?」って。よくわからなくなった。
いま、俺は接客業をやっている。
で、ふと思ったんだよ。
接客、お客さんとの会話、
それと同僚との会話、同じなんだよ、俺。
そのふたつに、大きな違いがないんだよ、俺。
“接客しているように”、みんなと会話している。
接客は仕事だ。
笑顔つくったり、機嫌うかがったりさ、
接客ってのは、「仕事としての会話」だよね。
それは人と人との会話といえど、ロボットみたく、自動的にセリフがでて、意識せずとも表情をつくられていて。
俺、みんなと話すときもそんな感じなんだ。
接客と特段の差異がないんだよ。
最近、そういうことが気になるようになって。
「ん?あれ? 『接客』と『仲間との会話』、俺、同じじゃないか?」って。
で、その疑問は徐々に厄介な方向に進んでいって、
結句、「あれ?俺、なんでみんなと話しているんだろう????」って、
なんかアタマがおかしくなってきたんだ。
さて、こう思った人がいるだろう。
「いや、会話ってそういうもんじゃないから。“○○のために”行うものじゃないから。目的とか意味とか、そういうもんじゃなくて、『自然』な行いでしょ?」って
つまり、キミはこう云うんだろ?
「人と話すことは、呼吸と同じで、別に意識して行っていないよ」って。
うん、そうだよな、俺もそう思う。
「目的とか意味を考えて会話する」とか、変だよな。
でも、今の俺には、『目的や意味』がなければ人と話そうとしない、そういうのがなければ、人と話そうとするモチベーションが生まれないんだ、なぜか。
あれ?また別の人がこんなことを云う。
「目的とか意味とか、あるよ、会話には。人と会話することで成長する。他人の意見を吸収して、視野が広がる。色んな情報を得られる」って。
それ!俺もそう思ってる!
自問自答だけじゃあ、自意識が肥満化して、視野の狭い、独りよがりな思想しか生まれない。
だから、人と会話する、人の意見を聞くってことは、自己のバランスをとるために重要なことだと思う。
その自覚はある。
“会話しなければいけない”という気持ちはある。
でもうまくいかねぇんだ……。
「自分の成長のために、会話はとても大事なこと。意味や目的はある」、けど、それは結果的に得られるものであって、それを理由に人は会話をするわけじゃないよね。
先に述べたように、もっと“自然なもの”なんだよ、会話って。
意味や理由があるから会話するとか、やっぱ気持ち悪いでしょ。
もしも「人と会話すること」に意味や理由がないなら、人と会話しない?するよね?してるよね?じゃあなんでするの?
それはつまり、「会話は呼吸のようなもの」だからだよね。
わかってる、わかってるんだ。
でも俺、そんなふうに、自然に人と会話できないんだ、最近。
で、逆説的なんだけど、
「あー、人との会話に意味や理由があれば、俺は人との会話をもっと“自然に”行えるのに」って。
でも、見当たらない。
人と会話することに、意味や理由を見いだせない。
堂々巡りだよね。
人との会話には意味がある、が、それを動機にして会話は行うものではない。
そのへんでつまづいているんだ。
自然に会話ができない。かといって意味や理由も見いだせない。
じゃあどうしたらいいんだ?
いったい、会話ってなんなんだ?
そんな疑問にぶつかっている。
人との会話に悩んでる。
***
こんな感じの近況。
私的なことを今日は書いてみた。
あんまり厳しいことは云わない方向で、どうかここはひとつ穏便に。
ではまた。
