「うちわで盛り上がってどうすんのさ?」

以上。

……で終わるわけにもいかんので、書く。

人を不快にさせるような文章を書き続けるけど、いつもの調子で、人間くずれの動物の鳴き声だと思ってください。


さて、

ちょっとどうしようもないほど面白くないFacebookなわけですが、

「いや、チョット待てよ」と。

Facebook自体はすげぇんだよな。

ユーザー数も大量にいるし。

本名登録って画期的だったし。顔写真も含め。

となるとさ、「オレたちがFacebookの使い方を誤ったんじゃないのか?」、って。

繁栄していたFacebookにどこか陰りがみえてきたのは、オレたちの『使い方』に問題があったんじゃないか。

(つっても、いまだにFacebookを愛用している人もいるからアレだけど……。まだまだFacebookは終わっていませんよ!)



Facebookの醍醐味



さて、Facebookがドーンと登場した当時、

ボクの印象だけどさ、

「国際的にいろんな人と繋がれるツールの登場」って思った。

mixiがもろに国内向け、内側を向いていたのに対し、

Facebookには「海を越えた感じ」があったんだよ。

グローバルな感じ。

たとえば、Facebookページやコミュニティへの参加によって、世界各地から「イイね!」をもらえて。

ちなみにボクは糞みたいな抽象画や、ドシロウトの書道作品に取り組んでいた時期があって、伴って自身のFacebookページを作成し、海外アートコミュページに作品画像をよくのせたりしていた。

けっこう、コメントとかもらえて、「あー、なんかうれしいな」「こんな考え方あるのか、勉強になるな」とか、思えたもんだよ。

書道とか、特にそうだったよ。外人って漢字とか日本文化、好きな人多いし。

他方、日本では路上に作品を並べてもさっぱりだったし。


そんな感じでね、自分が所属する文化圏の外の人たちの価値観が垣間見えて、おもしろかったんだよ。

そんときゃ、Facebookすげぇってさすがに思った。

つまりボクが言いたいのはこういうことだ。

今現在知り合いじゃない人を知るということ、

異文化、外側とのコネクションとして使えるということ、

「既知ではない、未知との接触」

それこそがFacebookの醍醐味なのだろう、と。



すでに友達である者とつるむ場所



……ところがだ。我がジャパン。

もちろんみんながみんなそうじゃないし、「外側へのアプローチ、コネクション」として使っている人もいるけどさ

日本人の大多数、“うちわで集まっちゃった”んだよ。

「mixiと同じ使い方しちゃったよ」、って。

リアル友達にFacebookで友達申請して、仲のいい人たちがかたまる場所になっちゃった。

リアルで仲のいい人たちが寄り添うコミュニティ、閉鎖的な村。

『友達じゃない人』を知れるのがFacebookだとボクは思っていたよ。

だけど、“『すでに友達の人』とつるむ場所”になってしまった。

リアルで知り合えないような、物理的に接触がはかれない人や文化を知れるのがネットの強みであり、Facebookの良さだと思っていたボクはなんと恥ずかしい人間であろう。

“海を越える”なんて、とんだ幻想で、先見性のなさに死にたい。

そもそもが、海を越えたいなんていう気持が我々にはないのかもしれない。

明日も学校で会う友達ともっと仲良くなりたい、

携帯の電話帳にのっている友達の普段も知りたい、

そんなことのほうが、ボクたちにとっては重要なんだ。

『和(輪)』を広げることよりも、一個の『和(輪)』を強固にすることに重きをおく。


以前、「Facebookの使い方」みたいな本を買って読んだのだけど、こんな活用法が紹介されていた。

「旧友を検索すれば見つかるかも?同級生と再び会える!」

みたいな。

「どうだっていいよ!どうでもいいよ!今の今まで連絡先も知らない旧友なんざ、そこまで大事じゃなかったし、そこまで当時大事にしていなかったんだよ!てか、検索される側の気持ち!!」

って、誰かが言ってるけど、それは言いすぎだと思う。

実際そういう利用法で助かっている人もいるのだし、本名登録を活かした好事例だと思うよ、ボクは。

でも、それがFacebookの醍醐味なのか?真価なのかい?って。

うん、違うよなって。

ここは初心にかえってさ、『異文化との交流』だよ。内輪でかたまるんじゃなくて。

友達や身近な日本人とつるむなら、別にFacebookじゃなくてもよくて、せっかくユーザー数が世界規模なんだから、「外側へのアプローチ」としてがんがん使うべきだろうって。

そんなふうにして使わず、内輪でかたまるような使い方をしてきたから、モンスター級SNS・Facebookは日本において“お寒い感じ”になってきてるんじゃないの、って。

ともすれば、「まさかの短命で終わるんじゃないか」、って。


***


以上、子供の戯言でした。

休日の昼下がりにこんな記事を書いているボクのほうこそ問題があって、

「じゃあてめぇがそういう使い方すりゃいいじゃねぇか!」って、

うん、そう思う。ほんとごめん。

Facebookの繁栄を心より願っております。





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