意識高い系と他者に言わない理由:“ありがち”なクズは私である
“意識高い系”なんつーネットスラングあってね、
ざっくり言えば、
「こいつ、夢とか志とか、口ではえらそうに言ってるけど、実際なんもやってないやん」
みたいな人のこと。
厨二病の延長線上みたいなもんかな。痛々しいやつ。
自分の価値観を他者に強要することもあって、うざいこともしばしば。
当初は就活中の学生を揶揄する言葉だったけど、現在では一般にも向けられている。
“意識高い系”なんつーちょっと小馬鹿した、上から目線のフレーズを用いて、まぁ評するわけさ。
厨二病という言葉もそうだけど、ボクはこういった言葉を自分自身に使うことはあっても、『他者に対して』は使わない。つか、“使えない”。
その理由を書いてみるけど、読む?
意識高い系でいくよ、全世界に嫌われるイキオイで価値観を強要するよ。ごめんなさい。
何もやっていない自分、“ありがち”なクズは私
ちょっとね、うらやましかったりするんよ。うん。
意識高い系は、口だけで、それに見合った行動はしていないかもしれない。
でも、さすがに、まったく何もやっていない意識高い系って、少ないんじゃないかな?
それなりに、なんかやってるよ。
たとえば「オレ、将来、起業するんだ」なんていってる人。
起業本は買うけど、中身を読んでいない意識高い系。
バカだよね。いやほんと。
でもちょっとうらやましいんだよ。
オレにはそんな夢もない。
毎日なんとなく生きているだけのオレよりも、なんか頑張っているようにみえるんだよな。
起業本なんて買っちゃってさ、かっこつけたいだけだろ?って思うんだけど、オレには起業するとか、そんな夢すらない。加えて、なんの取り柄もない。
あいつは口だけかもしれないけど、実際、本も買ってるし、何もやっていないオレと比べたら、立派なもんだよ。
「こいつ口だけだな」って思っても、否定できないんだよ。意識高い系なんつって、バカにできないんだよ。
「お前、実際なにもやってないじゃん。口だけじゃん!」という前に、いや、それ以上にオレは何もやっていない。
で、最終的にこう思うんだよ。
『あれ?もしかして……口だけなのはオレじゃないか?』って。
実際、そうなんだよ。たぶん。
「うらやましい、こうなりたい!」とまでは思わないけど、どうこう言える立場にない。
「意識高く生きていきたい、けど、そんなきっかけや夢が、オレにはない、熱く生きていないオレ」、そんなはがゆさが、心のなかにちょっとあるんすよ。
“意識高い系”という言葉を他者に使うと、オレの場合、おもっくそ自分に返ってくる。
「じゃあお前自身はどうなんだよクソヤロウ」って。「お前、人になんかいえるほどのことしてんのか?“ありがち”なのはお前だよバカヤロウ」って
嫉妬、ルサンチマン
かりにね、ボクが他者に対して「でたでた!意識高い系!」なんていうとき、もう、嫉妬してるんだよね、確実に。
ルサンチマンってやつ。
勉強ばっかしているやつに『ガリ勉』と名付けることで、そいつを陥れる心理ね。
がんばっているやつに、“意識高い系”というタグ付けをすることで、安心したいんだよ。
「こいつ、かっこいい目標持ってるけど、でも実はダメダメ。中身なんにもねぇし」って、そうやっていうことで、アイツを下げることで、自分を正当化しようとするんだ。
「高い目標」をもっているアイツを、自分と同じ高さか、それよりも低くしてやることで、私は私に納得できる。安心ができる。
カテゴライズしたり、レッテルをはることで、個性的で意識高い者を“凡庸な一般”にしてしまう方法。
ほんまに何もやっていないオレのような人間が、そういう巧妙な自己正当を覚えてしまうと、無意識のクセになってしまう。やがて、自分を省みることを忘れてしまう。
そして、たぶん一生、生きていくことに“意識を高く”もつことができなくなってしまうんじゃないか。
そういう恐さがあるから、他者に対して“意識高い系”なんていう言葉を使えない。“使わない”というより、“使えない”。
“意識高い系”なんていう言葉を使ってはいるけど、ほんとうはオレも、“意識高く毎日を生きていきたい”と思っている。
有言《ちょっとだけ》実行
「有言実行」の人間ってかっこいいんだよね。
真面目な日本人の性格がでてるというか。
でも息苦しいんだよね。
“一度言ってしまったらやらなければならない”って、そういう風潮って、なんか息苦しいです。
そうやって結局、なんもやらない。
「なんか言ったらやんなきゃならない」って、しんどいし、めんどくさい。だから、なんも言わなくなる、そしてなにもやらなくなる。
オレなんてずっとそうだ。クソだマジで。
で、思った。
有言無実行はさすがに単なるホラ吹きでしかないからアレだけど、
『有言《ちょっとだけ》実行」』
これくらいなら、いいんじゃないか?
で、「《ちょっと》だけの実行」から、大きく開けることもあるんじゃないか?なにも実行していなかったあの頃のオレより。
たまには「意識高い系」になってみて、大口たたいてみて、結局たいしたことはしないんだけど、《ちょっとだけ》実行してみる、《ちょっとだけ》実行ができる。
「お前、口だけでほとんど何もやってねぇな、ダサ!」って笑われてもかまわない。
意識高いことを全く何も言わないより、たとえバカにされても、言ってしまって何か少しでも実行するほうが生産的な気がするんだよ。
***
意識高い系には、価値観を強要してくるような、すこぶるめんどくせぇやつもいるだろう。
それはそれで問題だし、全肯定はできない。
でもだからつって、「意識高い系」なんて言葉を他者に対して使うことはない。
そんな話でした。
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