「能ある鷹は爪を隠す」なんていう言葉があって。

才能や実力のある者は、軽々しくそれを見せつけるようなことはしない

そんなことをすれば、自慢っぽくて嫌われ、驕った態度は怠慢に繋がり、やがて足元をすくわれる。

……ということで、なるたけ謙虚に、実力や実績はうちに秘めておきましょう、ひけらかすもんじゃあない、と。


さて、優秀な者が、その“実力”を隠すのはわかった。

では、“数字”はどうだろう?

能ある鷹は“数字”を隠すのか?



数字はいやらしい



“数字”には、いやらしさがある。

「私は年収○千万です」とか、「私のCDの売上げ枚数は○万枚です」とか。

自慢っぽく聞こえるんだよね。

というか、「そんなこと言って何になるの?」って話で、自慢目的以外に公表する理由が見当たらない。

いっときの自己満足を満たすためだけに実績数字を公表することはリスクが高い、メリットが少ない。下手すりゃ悪用される可能性だってある。

だから、基本的には数字は隠すべきだ。能ある者はそうする、慎む。

いいと思う。

しかし近頃、私はこう思う。

「能がないのに、数字を隠してはいないか? 身の程知れよオレ!それこそ『驕り』だってば!」



数字にはチカラがある



そこらじゅうで言われていることだけど。

「プレゼンやスピーチでは、具体的な“数字”を取り入れると効果がある」

たとえば、

「この施策を行えば、経済的効果は約2200万です」

と言うよりも、

「この施策を行えば、経済的効果は2138万459円です」

と言ったほうが説得力がある。

数字が具体的であればあるほど、説得力が増す。

数字(数値)は感情で誤魔化すことができない。

感情や印象に影響されることなく、冷徹に、不動なものとして、数字は寡黙に屹立している。

有無を言わせないチカラ、合理的に追いやる説得力が数字にはある。



弱者の戦法



さて、お気づきか。

これ、『弱者の戦法』なんだよ。

つまり、「能がない弱者は、数字のチカラを利用しろ。むしろそれしか生き残る道はないぞ」、ってこと。


「実力がないんだよな、才能もないんだよ、俺」

なんのステータスもない、なんの実績もない。

だから、「数字を見せていくこと」でしか自分をアピールできない。

凡人の私が唯一みせることができるもの、唯一、人に納得してもらえるもの、それが「数字」なんだよ。

そうするしか生き残れない、“それしか武器がない”

能がない者にとっては、数字を隠す余裕などない。

数字のチカラを利用してアピールするしか方法がない凡人の私。『弱者の戦術』。



数字がなくても示すこと



キミはこう言うかもしれない。

「いや、わかるけどさ…。“数字を武器にする”ったって、俺、今、なにも数字をもっていないし。」

そんなことはない。

数字のチカラは「量」ではない、「数値」ではない。

「0(ゼロ)」という数字にもチカラはある。

大事なのは、『現在の数字(数値)を晒す』ということだ。

0でも1でもいい。

今現在の自分がもっている数字を伝えることで、それだけでチカラがある。

「私の年収は200万です」、これだけでいいんだよ。

「ファンの数、5人です」、これだけでいい。

たったこれだけで、一気にその人の輪郭がみえてくる。

さらには、現状の数値を公然にすることで、「ズレのない共有関係」ができあがる。

数字は印象物ではないゆえ、他者と“そのまま”共有できる。自分と他者との間にズレがない、そのイメージや輪郭が両者で合致している。「共有」というより、「同期」といったほうが相応しいかもしれない。


他方、一番やっちゃいけないのは、「数字を示さない」ということ。

取り柄もなにもない人間が、数字も示さないとなると、マジで何もない。

なにをやってるのかよくわかんないヤツ、以上。これで終わり、終わってしまう。

「実力があるのかないのかわからない状態」なんて、何もないのと同じ。

「とりあえず努力してます」「売れていないけど頑張っています」、ずっとそれじゃん、もういいよ。てか、よくわかんないよ。

それならば具体的な数字を公表して、「実力と実績がない私」をさらけだすほうが、等身大の私、本当の自分をみんなに見てもらえるんじゃないか?

それが表現ではないか?一切のごまかしがない正確な私をみてもらうこと、それが「本当の評価」というものではないか?


実績がないことに臆病になってはいけない。

実績がないことをきちんと数字で公表することで、「本当の自分」をみてもらうしかないんだよ。

「がんばってます!」などという印象操作では這い上がれなかった、それが私じゃないか?

具体的な数字を見てこなかった、あるいは“見せてこなかった”、そんなんだからいつまでも死にぞこないなんだ。私は。


ただし、履き違えないようにしたい。

決して自慢や自己満足のために数字を用いてはならない。

数字を公表すること、数字という武器、それは何の取り柄もない凡人の唯一の切り札、弱者が這い上がるための諸刃、能ある鷹が隠さねばならぬほどの厄介なシロモノ、それが「数字」である。


***


……なんか、偉そうなことばかり書いてすいませんでした。

マジ、一番実力ないのは私だし、常々、こういう驕り高ぶったブログを書くたび、頭抱える。

先輩、俺、間違ってますかね?

なんだか罪深いような気がして、「劣等生はお前だクソヤロウ」と言われても仕方がないような人材な気がします。

ではまた。